第98話 連合をまたぐ机
ミレイユの机には、このごろ連合じゅうの地図が広げてある。
メルダート。キラン。北の村々。東の交易路。商会がつないでいた品の道が、今はどこも切れたままだった。バルロ商会は、連合の信用をひとりで束ねていた。良い品も悪い品も商会の名で出回り、誰もが商会の保証を信じて買った。その商会が消えた。束ねていた縄が切れて、品の道がほどけてしまった。
「保証する者が、どこにもいないの」
ミレイユは地図の上に指を置いた。
「商会がいたころは、悪い品でも商会の名で通った。今はその名がない。だから誰も、よその街の品を信じられない。信じられないから、買わない。買わないから、品が動かない。連合じゅうの市場が、少しずつ細っている」
俺は地図をのぞき込んだ。よその街のことは、よく分からなかった。俺に視えるのは、目の前にある品の良し悪しだけだ。連合がどう回っているかなんて、考えたこともなかった。
「俺に、何かできますか」
「できるわ。あなたにしか、できない」
ミレイユは顔を上げて、まっすぐ俺を見た。
「あなたの目は、商会の保証より確かなの。商会は抜き取りで検めていた。あなたは全部視る。──だから連合の商人たちに、あなたの目を信じてもらえれば、切れた道がまたつながる。そのために、わたしが回る。あなたが視た品を、連合じゅうに『これは確かだ』と届けて回る」
◇
翌朝、ミレイユは馬車の支度を始めた。
行き先はキランだった。連合でいちばん大きな市のある街だ。そこの商人組合の肝煎りと、品の取り決めをしてくる、という。
「組合の徽章はないけど、わたしには商いの伝手がある。グラナのギルド長として、三年やってきた伝手が。──印が使えないなら、人と人で約束を結ぶ。あなたが視た品には、わたしが顔で保証をつける」
「顔で?」
「そう。『グラナのミレイユが請け合う』って。印より弱いかもしれない。でも何もないよりずっといい」
俺は荷台に品を積むのを手伝った。ガロの剣が三振り。レイの目を通した毛皮が十枚。薬草の束。どれも、俺が一つずつ視て確かめた品だった。これを見本にして、キランの商人に「グラナの品は本物だ」と示すのだという。
フィオナが護衛についた。剣を背負い、御者台のバッソの隣に乗り込む。
「あたしがいれば、道中の心配はいらないわ。──ミレイユ一人で行かせるわけ、ないでしょ」
「ありがとう、フィオナ」
ミレイユが笑った。俺は自分も行くべきか迷った。けれどミレイユが首を振った。
「あなたは、ここにいて。あなたがいなくなったら、相談所が止まる。困った人が、来るから。──道をつなぐのはわたしの仕事。品を視るのは、あなたの仕事よ」
◇
四日して、ミレイユが帰ってきた。
顔は疲れていた。けれど目は明るかった。
「半分は、うまくいった」
帳場に座るなり、ミレイユはそう言った。
「キランの肝煎りは、最初は渋ったの。徽章のない目利きの品なんて、組合がうるさい、って。──でもガロの剣を見せたら、目の色が変わった。あの剣、向こうの鍛冶に検めさせたのよ。そうしたら『こんな芯の通った鋼は見たことがない』って。それで、話を聞く気になった」
「残りの半分は」
「組合の触れが、やっぱり邪魔をした」
ミレイユは肩を落とした。
「グラナの品を扱うと、組合に睨まれる。徽章なき目利きの品を市に上げたと知れたら、肝煎り自身の立場が危うい。──だから表立っては組めない。裏でこっそり、信のおける相手とだけ。それが今できる精いっぱいだった」
俺は組合の壁の厚さを思った。俺の目は本物だと品を見れば誰にでも分かる。それでも組合の触れ一枚が、その本物を表に出させない。正しいかどうかではなく決まりに沿っているかどうか。連合はその決まりで回っていた。
会頭は品を見れば負けると分かると、人を引き抜きにかかった。熱くなって、無理を重ねて、自分から転がり落ちた。組合は違った。声を荒らげない。手を汚さない。ただ決まりを盾にして、本物を表から押し出す。それだけで、こちらは身動きが取れなくなる。
「商会のほうが、まだ分かりやすかったわね」
ミレイユが苦笑した。
「会頭は欲で動いた。だからどこで損をするか読めた。──でも組合は、損得じゃない。正しさで動く。正しさを盾にされると、こっちは何も言い返せないの。だって向こうは嘘をついていないんだから」
◇
それでも道は少しずつつながり始めた。
キランの信のおける商人が、グラナの毛皮を引き取った。ミレイユの顔を保証にして。次の隊商が、グラナの薬草を運んでいった。バッソが、その荷の確かさを街々で言って回った。印のない、人と人の約束が、細い糸のように連合へ伸びていった。
夜、ミレイユが帳場で帳面をつけながら、ぽつりと言った。
「ねえ、レイ。三年前、わたしがこのギルドを継いだとき、台所は火の車だった。借金があって、人は減って。──あのころは毎晩、どうやって明日をしのぐかばかり考えていた」
「今は」
「今は連合じゅうの地図を見て、どうやって道をつなぐかを考えてる。──ずいぶん、遠くまで来たなって思うの。あなたが来てから」
俺は何と答えていいか分からなかった。
ミレイユの帳面には、細かい字で、連合の街の名と、品と、約束した相手の名が並んでいた。一つずつ、ミレイユが足で結んだ約束だった。俺は品を視るだけだ。その品を、人の手から人の手へ渡していくのは、ミレイユの仕事だった。俺一人では、何もつながらない。
「ミレイユさんは、すごいです」
「……急に、どうしたの」
「俺は品を視るだけで。それを連合に届けるのは、ミレイユさんで。──二人で、やっと一つの仕事になるんだなと思って」
ミレイユが筆を止めた。
それから少し顔を赤くして、帳面に目を戻した。
「……そういうことを、さらっと言うところ、本当にずるいわよ、あなた」
俺は何がずるいのか分からなかった。
ただ帳場の灯りの下で、ミレイユの横顔が、いつもより少し柔らかく見えた。
◇
その晩、もう一通、知らせが届いた。
メルダートの組合本部から、グラナ宛ての文だった。差出人の名はない。封蝋に、天秤の紋が押してあった。組合の、正式な紋だった。
ミレイユが封を切り、文に目を走らせ、眉を寄せた。
「……正式な、通告だわ。組合本部から。グラナのギルドに宛てて。──近いうちに、本部から人が来る、って。徽章なき目利きの扱いを、評議会で正しく定めるために」
「正しく、定める」
「言葉だけ聞けば、立派よね。でも書いた相手の名がない。それが引っかかるの」
俺はその天秤の紋を見つめた。
草の根は固まりつつあった。連合の道も、細いながらつながり始めた。けれど本部はそれを黙って見てはいなかった。動き始めたのは、こちらだけではなかった。
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