第97話 銭を取らねば
組合の触れで、俺の目利きの印は無効になった。
それでも人は来た。
朝、相談所の戸を開けると、もう何人かが軒先で待っていた。村の女房。隊商の下働き。腰の曲がった鍛冶の年寄り。みな手に品を抱えていた。鍋。革帯。買ったばかりの薬。組合の印がどうであろうと、外れを掴んだら困るのは自分たちだ。困った者は、確かめてくれる相手のところへ来る。印の有る無しなど、暮らしの前では関わりがなかった。
俺は一つずつ視た。
薄い底の鍋。芯のずれた革帯。色だけ濃い薬。よその街から流れてきた品ばかりだった。商会が消えてから、連合の市場には誰の保証もない品があふれていた。良いものも悪いものも、ひとまとめに棚へ並ぶ。買う側は見分けがつかない。だから外れを掴む。掴んでから、こうして抱えてくる。
「この鍋は底が薄い。火にかけ続けると、ひと月で穴が開きます」
「この革帯は良いものです。たぶん、お孫さんの代まで使えます」
「この薬は薄められてる。半分は水です」
言うことは、前と何も変わらなかった。視たものを視たまま言う。困っている顔が、ほどけて帰っていく。それも、前と変わらなかった。
ただ一つだけ変えたことがあった。銭を受け取るのをやめた。
卓の上に置かれた銅貨を、俺はそっと押し返す。村の女房は戸惑った顔をした。前なら銅貨五枚で見てもらえた。それが今日は、いらないと言う。
「銭はいりません。組合の決まりで、銭を取って品を見るのは、いけないことになったので」
「ほんなら、ただで?」
「ただで、いいです」
「銭を取らなければ、いいんです」
その朝、セレネが触れの写しを机に広げて、そう言った。
「組合の触れにはこう書いてある。──徽章を持たぬ者が、銭を取って品を見定め、その見立てを商いの証としてはならない、と。つまり咎められるのは、銭を取って見定めること。タダで意見を言うぶんには、どこにも触れていない」
「人助けと、同じ扱いってことですか」
「そう。隣の人に『その魚、傷んでるわよ』と教えるのと変わらない。誰も咎められない。──昔、わたしが査察に来たときも、同じだったわね。あのときは徽章持ちが銭を取る役を肩代わりした。今度は逆。あなたが、銭を取らずに言う」
俺はうなずいた。
前にセレネが査察に来たとき、組合は「無資格の者が銭を取って見定めるのは触れ違反だ」と言ってきた。あのとき俺たちは、徽章を持つセレネが見定め役を引き受けることで切り抜けた。今度の触れも、根は同じだった。銭を取って見定めることを禁じている。ならば、銭を取らなければいい。
簡単な、抜け道だった。
ただ抜け道には穴があった。銭を取らなければ、当たり前だが、銭が入ってこない。
◇
「タダ働きじゃないの、それ」
昼すぎ、フィオナが相談所をのぞいて、あきれた顔をした。
「朝から晩まで人が来てるのに、一銭にもならないんでしょ。ギルドの台所、もつの?」
「もたないわよ」
答えたのはミレイユだった。帳場の奥から出てきて、難しい顔をしていた。
「相談で入っていた銅貨が、まるまる消えたの。あれは小さな実入りだったけど、毎日のことだったから。──積もれば馬鹿にならない。正直、痛い」
俺は少し、申し訳なくなった。
「やめたほうが、いいですか」
「やめなくていい」
ミレイユは即座に言った。
「困ってる人を追い返すあなたなんて、見たくないもの。台所は、別の手で考える。ガロの武具がある。冒険者の体調診もある。相談は、しばらく持ち出しでいい」
「でも──」
「いいの。あのね、レイ」
ミレイユが帳場の縁に腰をかけて、外を見た。軒先には、まだ何人か待っていた。
「組合はあなたを締め出せば人が離れると思った。印がなければ、誰も頼らなくなると。──でも逆だった。銭を取らなくなったら、前より人が増えたの。タダで本当のことを教えてくれる目利きなんて、どこを探してもいないから」
◇
その日の夕方、不思議なことが起こり始めた。
相談に来た者が、銭の代わりに、品を置いていくようになった。
村の女房は、卵を一籠。隊商の下働きは、よその街の塩を一袋。鍛冶の年寄りは、自分で打った火箸を一対。みな、俺が受け取らないと知っていて、それでも何か置いていきたがった。
「銭じゃねえ。礼だ。受け取ってくれねえと、こっちの気がすまねえ」
俺は困った。けれどミレイユが横で笑った。
「礼なら、触れに引っかからないわ。──ありがたく、いただきましょう」
卵。塩。火箸。机の脇に、礼の品が少しずつ積もっていった。それは銭ではなかった。けれど銭よりも確かなものに見えた。人が、俺を信じている。その証だった。
俺は商会にいた六年を思い出した。あの頃は、いくら品を視ても、誰も礼など言わなかった。当たり前にやれと言われ、外れを見つければ嫌な顔をされた。ここでは違った。視たものを言うたび、人が喜ぶ。頭を下げる。卵を置いていく。同じことをしているのに、何もかもが違った。
◇
話は、近在から連合の街々へ、隊商の足で広がっていった。
「グラナの目利きは、組合に印を取り上げられても、ただで品を視てくれる」
「銭を取らねえから、組合も手が出せねえ」
「あの目は本物だ。印があろうがなかろうが関わりねえ」
よその街からも人が来るようになった。傷んだ干し肉を抱えた行商。芯の折れた弓を担いだ猟師。底のにじむ酒甕を荷車で運んできた酒屋。みな半日も一日もかけて、グラナまで品を視せに来る。印のない目利きを、わざわざ訪ねて。
組合は印を無効にして俺の信用を消そうとした。けれど消えるどころか、印という飾りが剥がれたぶん、目そのものの値打ちがむき出しになった。人が信じているのは印ではなく目だった。
妨害が、かえって評価を固めていた。
夜、戸締まりをしながら、セレネがぽつりと言った。
「組合はたぶん気づいていないわ。──印を奪えば奪うほど、あなたの目が裸で残るってことに。飾りを剥がして困るのは、中身のない者だけ。中身のあるあなたは、剥がされても何も困らない」
「困ってないですけど、台所は困ってます」
「……そこは、まあ、ミレイユに任せましょう」
俺は机の脇の卵を見た。明日も人が来る。視て、答える。銭は取れない。けれど礼は積もる。
それで、よかった。
ただ本部のほうは、それで終わる気配がなかった。
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