第100話 無印の品
バッソが、めずらしく怒った顔で相談所へ駆け込んできた。
隊商の御者頭だ。いつもは日に焼けた顔で笑っている男が、めずらしく眉を吊り上げていた。
「レイ。聞いてくれ。組合の査定長が、隊商組合に妙な触れを回しやがった」
「妙な、触れですか」
「『組合公認の印のない品を、隊商は運ぶな』だとよ。──無印の品を扱う隊商は、格を疑われる。組合公認の品だけを運べ、と。要するに、グラナの品を運ぶなって言ってるんだ」
俺はその査定長の顔を思い出した。
オズワルド・ケイン。金の徽章を持つ、組合の査定長。延べ板の芯の巣を見抜けず、グラナで恥をかいて逃げ帰った男だ。あれから、また別の手で来た。今度は隊商を縛りにかかった。
俺は組合公認の印というものを思った。あの印は徽章持ちが品をかざして等級を読み、確かと認めたしるしだ。本来ならたしかな保証のはずだった。けれどそれを押すか押さないかを決めるのは、人だった。査定長の機嫌ひとつで、印は増えも減りもする。中身ではなく誰の側につくかで。
「グラナの品には、徽章持ちの裏書きがついてます。組合公認の印じゃないけど、銀の徽章の保証で」
「それがな、査定長に言わせると、裏書きは『正式な公認じゃない』んだとさ。組合公認の焼き印が押してある品だけが、格のある品だと。──格式、ってやつだ。あの男の好きな言葉だよ」
◇
メルダートの組合本部。
オズワルド・ケインは隊商組合の肝煎りを呼びつけ、机を叩いていた。
「いいか。組合の格式というものがある。組合公認の印こそが、品の正しさの証だ。それ以外の、どこの馬の骨が裏書きしたとも知れぬ品を運ぶなど、隊商の名折れだ。──無印の品は、運ぶな。これは査定長としての、正式な申し渡しだ」
「しかし、査定長さま」
隊商の肝煎りは困った顔をした。
「グラナの品は、評判がよろしいので。客が、欲しがるのです。運ばねば、こちらの商いが」
「評判など、一時のものだ。格式は、永い。──目先の銭に転んで格を失えば、二度と取り戻せんぞ。組合公認の品だけを運べ。それが、長く商う者の道だ」
オズは自分の言葉に満足していた。
品の中身は、一つも語らなかった。語れなかった。彼に分かるのは、印が押してあるか、ないか。それだけだった。
◇
数日して、おかしなことが起こり始めた。
組合公認の印を押した品が、次々と外れを出した。
まず車軸だった。組合公認の印のついた荷車の車軸が、坂道の途中で折れた。荷がひっくり返り、隊商は半日を棒に振った。次は蹄鉄だった。組合公認の蹄鉄が、十里も行かぬうちに割れた。馬が脚を傷め、引き返すはめになった。樽もそうだった。組合公認の樽から、酒が漏れた。
「どういうことだ」
隊商の肝煎りは青ざめた。組合公認だから安心と思って運んだ品が、片端から外れだった。
なぜか。理由はすぐに分かった。
組合公認の印は徽章持ちが品をかざして等級を読み、押す。けれど査定長のオズは印を乱発していた。グラナに対抗するために、組合公認の品を増やしたかった。だからろくに検めもせず、次々と印を押させていた。芯の巣も、底の薄さも、見ないまま。印だけが、増えていった。
商会と同じだった。中身を見ずに看板だけを刷る。看板が増えれば増えるほど、外れも混じる。
折れた車軸が、相談所に持ち込まれた。隊商が、念のため俺に視てほしいと言う。俺は折れ口を見た。
「……ダメですね、これ。木の芯に、もともと割れが入ってました。組合公認の印を押すとき、外から見ただけで通したんだと思います。芯まで見れば、すぐ分かったはずなのに」
「印があるのに、外れか」
「印は外から押すものですから。芯の中までは、押せません」
隊商の男は組合公認の印をにがにがしく見つめた。立派な焼き印だった。けれどその下の木は、初めから割れていた。印は品の正しさを語らない。ただ誰かが押したという、それだけのしるしだった。
バッソが、また相談所へ来た。今度は笑っていた。
「逆だったよ、レイ。──組合公認の品のほうが、よっぽど危ねえ。査定長が数を増やすために、検めもせずに印を押させてやがった。隊商の連中、みんな気づいた。『無印を運ぶな』どころじゃねえ。組合公認こそ運べねえって」
「皆さん、どうするんですか」
「グラナの裏書きの品を運ぶさ。徽章持ちが一枚ずつ検めて、外れははじいて、それから名を書く。──こっちのほうが、よっぽど確かだ。隊商は馬鹿じゃねえ。荷の中身で食ってる連中だ。印の格式なんかより、折れねえ車軸のほうが、ずっと大事なんだよ」
俺は少しほっとした。
隊商の人たちは毎日品とともに旅をする。折れた車軸で立ち往生すれば、自分が困る。割れた蹄鉄で馬を失えば、自分の損になる。だから品の良し悪しに、いちばん正直だった。格式という言葉では、ごまかせなかった。
オズの「無印を運ぶな」という触れは、こうして裏返った。組合公認の品が外れだらけだと知れたぶんグラナの裏書きの品の値打ちが、かえって上がった。隊商たちは、進んでグラナの品を選ぶようになった。
査定長の面目は、また一段下がった。
◇
その夜、セレネが、本部のことを思って、ため息をついた。
「査定長は、たぶんまだ分かっていないわ。──印を増やせば増やすほど、組合公認という言葉が、安っぽくなるってことに。本物の保証は、数を絞るから値打ちが出るのに。あの人は、逆をやっている」
「会頭も、似たことをしてました」
俺は言った。
「中身を見ずに看板だけ増やして。看板が増えれば安心だと思って。──でも看板は、中身がないとすぐ剥がれる。前に、セレネさんが言ってました」
「覚えていてくれたのね」
セレネは少し笑った。それからまた真顔に戻った。
「でも油断はできない。査定長は道化だけど、その後ろにいる人は、こんな下手な手は打たないわ。──印を乱発するような、見え透いた真似はしない。もっと静かに、もっと正しい顔をしてこちらを追い詰めてくる」
俺はその「後ろにいる人」のことを、まだ知らなかった。
ただ本部の白い建物の奥で、誰かが静かにこちらを見ている気配だけは、なんとなく感じていた。
面白かったら、ブックマークで応援していただけると更新の励みになります。




