第101話 崩れた階層
グラナの北のはずれに、古い坑道がある。
昔、誰かが鉄を掘った跡だという。今は使われていない。けれど魔物が棲みつくと、近在の村まで出てくる。だからトーロたち冒険者が、月に何度か見回りをする。それが定まった仕事になっていた。俺もときどき同行する。戦うためではない。坑道の奥が、危ないか危なくないかを視るためだ。
冒険者の仕事は、命がけだ。崩れる天井。底の見えない縦穴。毒気のたまった横穴。剣の強さだけでは、どうにもならない危なさがある。前は入ってみるまで分からなかった。だから怪我人が出た。けれど俺が先に視れば危ない場所が前もって分かる。どこを避けどこを通ればいいか。冒険者の生き死にに、俺の目が役に立つ。商会にいたころは、考えもしなかった使い道だった。
「今日は、奥まで行く」
トーロがたいまつをかざして言った。背の高い寡黙な男だ。前に薄い血を俺が視て養生してから、ずいぶん動けるようになった。
「先月の見回りで、奥のほうから風が通ってた。崩れて、新しい穴が開いたのかもしれん。──レイ、頼む」
「はい」
フィオナが先頭で剣を抜いた。
「あたしが前。トーロが後ろ。レイは真ん中。──危ないと思ったら、すぐ言いなさいよ」
「分かりました」
◇
坑道の奥は、しんと冷えていた。
たいまつの灯りが、ごつごつした岩肌を照らす。俺は足元と天井を視ながら進んだ。
「そこの天井、ダメです。岩のつなぎ目に、ヒビが走ってる。下を通ると、崩れます。──壁ぎわを、そっと」
三人が、壁ぎわをすり抜けた。すぐあとで、通らなかった真ん中の天井から、こぶし大の岩がいくつか落ちた。
「あぶな」
フィオナがひゅうと口笛を吹いた。
「ほんと、便利ね、あんたの目。地図にも書いとくわ。──ここ、頭上注意、っと」
フィオナは手にした羊皮紙に、ちびた炭で印を書き込んだ。坑道の地図だった。俺が危ないと言った場所、良い鉱脈の筋、水のたまり。一つずつフィオナとトーロが書き留めていく。この地図があれば、次に来る冒険者が安全に回れる。俺が一度視た危なさが地図になり、皆を守る。
しばらく行くと、トーロの言ったとおり、新しい穴が口を開けていた。
古い壁が崩れて、その奥に、もう一つの空間がのぞいていた。
◇
「……これは」
俺は穴の奥を視て、息をのんだ。
崩れた壁の向こうに、別の階層が広がっていた。今の坑道よりも、ずっと古い。岩の組み方が違う。人の手で丁寧に削られた跡があった。けれどずっと昔に崩れて、誰にも忘れられた階層だった。
「奥に、何かあります」
「魔物か」
「いえ、それだけじゃなくて。──岩の奥に、まだ誰も掘ってない鉱脈の筋が見えます。黒っぽいいい鉄の筋です。グラナの近くに、こんな鉱脈が眠ってたなんて。それと、もっと奥に古い石組みが。柱みたいな。誰かが昔ここで何かを造ってた」
俺はその鉱脈の筋を、もう一度視た。表に出ている岩は、なまくらな鉄だ。けれど奥へ行くほど、筋が濃くなっている。掘り進めれば、いい鉄が採れる。亀の沢のなまくら石とは、また違う鉄だった。グラナの北に、こんな宝が眠っていたとは、誰も知らなかった。長いあいだ、崩れた壁の向こうに隠れていたのだ。
トーロがたいまつを近づけた。崩れた階層は、闇に沈んでいた。鉱脈の筋も、石組みも、まだ遠い。
「ただ」
俺は付け加えた。
「魔物の気配が、します。一匹じゃない。──岩のあいだから何か来ます」
言い終わらないうちに、闇の奥で、かさかさと音がした。
◇
現れたのは、大きな百足だった。
体は人の背丈ほど。岩の色をした固い甲殻に覆われている。何匹もいた。崩れた階層に棲みついて、新しい穴から這い出てきたのだ。たいまつの灯りに、いくつもの脚が照らされた。岩を擦る音。あごの鳴る音。坑道の天井に、影が大きくゆれた。
「来た!」
フィオナが剣を構えた。
俺はその百足を視た。固い甲殻。何本もの脚。鋭いあご。けれど視ていると、一か所だけ違って見えるところがあった。
「フィオナさん! 甲殻の、首のすぐ後ろ! そこだけ殻が薄い! 脱皮したばかりなんです、こいつら! あとは全部、固い!」
「首の後ろね!」
フィオナが地を蹴った。
先頭の一匹の脇をすり抜け首の後ろへ剣を打ち込む。固い甲殻ではなく薄い継ぎ目へ。一撃で、百足が崩れ落ちた。トーロが後ろから別の一匹を仕留める。同じ、首の後ろへ。
俺は戦わなかった。戦えない。剣を持っても、振り方すら知らない。俺にできるのは、視ることだけだった。どこを打てばいいか。どこが固くてどこが薄いか。それを伝えるだけ。あとは、フィオナとトーロがきれいに片づけていった。
戦いは、長くはかからなかった。固い甲殻を相手に正面から斬り合えば、何度も刃をはね返されただろう。剣も刃こぼれする。人も疲れる。けれど薄い継ぎ目が分かっていれば、一匹に一撃で済む。フィオナとトーロは、無駄なく動いた。俺が口で伝えた一点を、二人の腕が形にした。それだけのことだった。
最後の一匹が倒れたとき、坑道はまた静かになった。
「ふう。──助かったわ、レイ。あんたが薄いとこ教えてくれなきゃ、あの固い殻、何度も叩く羽目だった」
「俺は視ただけです。倒したのは、二人です」
「それでいいのよ」
フィオナが汗を拭って笑った。
「あんたは、視る。あたしたちは、斬る。役割よ。──全部一人でやろうとする奴より、よっぽど頼りになるわ」
◇
崩れた階層の入り口に、目印をつけて、その日は引き返した。
奥の鉱脈も、古い石組みも、まだ手つかずだった。百足の巣だった階層は、これから少しずつ安全を確かめながら調べていくことになる。一度に踏み込めば何が出るか分からない。トーロが慎重にそう言った。
帰り道フィオナが地図を広げて言った。
「新しい階層が見つかったって、ミレイユに報せましょ。──手つかずの鉱脈があるなら、グラナの実入りになるかもしれない。商会みたいに乱暴に掘らずちゃんと安全を確かめてから。あんたの目があれば、無茶せずに済むもの」
「奥の石組み、何だったんでしょうね」
俺は闇の奥に沈んでいた、古い柱を思い出した。
誰かが、ずっと昔あそこで何かを造っていた。それが崩れて忘れられ、百足の巣になった。あの石組みの来し方を強く知りたいと思えば、たぶん、視えるのだろう。けれどそれは頭の芯がきしむほど疲れる。今、無理に視ることはなかった。
ただなんとなく、予感がした。
あの崩れた階層の奥には、まだ誰も知らない何かが、静かに眠っている。
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