第102話 改革派の文
一通の文が、グラナのギルドに届いた。
届けたのは見覚えのない若い使いだった。馬を飛ばしてきたらしい。額に汗をかいていた。差し出された文には、組合の天秤の紋が押してあった。本部からだ。俺は身構えた。
これまで本部から来るものは、ろくなものではなかった。印を無効にする通達。隊商を縛る触れ。差出人のない、ぶっきらぼうな通告。どれもグラナを締めつけるものばかりだった。今度は何だろう。
ミレイユが封を切った。
読み進めるうちに、ミレイユの眉が少しずつほどけていった。
「……変わってるわね、これ」
「何て、書いてあるんですか」
「テオ・ハルク。組合本部の、銅の徽章の鑑定士。──あなたに会いたいって。査察でも通達でもなく。ただあなたの目を、自分の目で見たいと書いてあるわ」
俺は文をのぞき込んだ。きちんとした字だった。脅すでも命じるでもない。言葉は静かで、まっすぐだった。
「明日にも、自分で来る。そう書いてあるわね」
組合のなかにも、こういう人がいるのか。俺はそう思った。けれどフィオナは渋い顔をした。
「罠かもしれないわよ。査定長の仲間が、油断させに来るんじゃないの」
「銅の徽章ね」
セレネが横から言った。
「金より下、銀より下。本部の中堅どころだわ。──若いのに本部に入っているなら、家柄でなく腕でのし上がった口ね。査定長とは、たぶん畑が違う」
俺には、よく分からなかった。ただ文の字を見ていると、悪い人の字には思えなかった。もっとも、字で人は視えない。品とは違う。会ってみるしかなかった。
◇
翌日の昼すぎ、その男は本当に来た。
二十八、九というところだろうか。旅装に砂をかぶっていた。背は高くないが、目がよく動いた。品を見るときの目だ。相談所の隅に黙って立ち、俺の手元をじっと見ていた。名乗りもしないまま、しばらくそうしていた。
俺はいつもどおり、客の品を視ていた。
その日は釣り人が来ていた。新しく買った釣り針が、すぐ折れると言う。俺は針を手に取った。
「……ダメですね、これ。焼きが、甘いです。曲げて戻すと、ここに白い筋が出る。三度も使えば、根元から折れます。安物ではないんですが、焼きで手を抜いてある」
「やっぱりか」
釣り人は舌打ちして、針を懐に戻した。
次は薪売りが来た。湿った薪を高く売られたと言う。俺は薪の切り口を視た。表は乾いているように見える。けれど芯まで乾いていない。割れ目に、まだ水を含んだ色が残っていた。これでは火持ちが悪い。煙ばかり出て、熱が立たない。それも言った。
そのあとは、近在の女房が干し肉を持ってきた。日もちの相談だった。俺は脂の照りを視た。表は悪くない。けれど巻いてある内側に、ほんの少し、青いものが回り始めていた。
「あと三日で、内から傷みます。安く買ったのは、もう古い肉だったからです。今日明日に火を通して、食べきってください」
「まあ。買ったばかりなのに」
女房は顔をしかめて、礼を言って帰っていった。
男はずっと黙って見ていた。
客がひと区切りついたところで、ようやく前に出てきた。
「テオ・ハルクです」
男は頭を下げた。徽章を見せた。銅の天秤だった。
「本部の鑑定士です。──失礼ながら、名乗らずに見せていただきました。名乗れば、あなたが構えると思ったので」
「構えますよ」
フィオナが横で剣の柄に手を置いた。テオは苦笑した。
「でしょうね。本部は、ずいぶんあなたがたを困らせてきた。恨まれて当然です」
それからテオは、まっすぐに俺を見た。
「いま釣り針の焼きの甘さを言いましたね。徽章では、あれは読めない。徽章は等級と、おおよその価値を読む。けれど焼きが甘いとか、三度で折れるとか──そういう、品のこれからは読めません。あなたは、徽章で読めないものを読んだ。私には、それがどうしてもこの目で確かめたかった」
俺は答えに困った。
「読んだというか。──視えたまま、言っただけです」
「その『視えたまま』が、徽章にはできないんですよ」
テオの声に、少しだけ熱がこもった。
◇
その夜、テオはギルドの囲炉裏端で、長く話した。
組合は、割れているのだという。
「古い人たちは、徽章こそが目利きの証だと信じています。徽章を持たぬ者が品を見定めるなど、秩序を乱すことだと。──だから、あなたの印を無効にした。あなたの腕がどうこうではない。徽章なき者が認められると、徽章の値打ちが揺らぐ。それが、許せないんです」
「品が、ちゃんとしてればいいのに」
俺がそう言うと、テオはうなずいた。
「ええ。本来は、そのはずです。組合は品の確かさを守るためにある。徽章は、そのための道具にすぎない。なのにいつのまにか道具のほうが大事になった。徽章を守るために、品を二の次にする。──それはおかしい。そう考える者も、本部には、少ないですが、います」
「あなたみたいな人が」
「ええ。数えるほどですが」
テオは火を見つめた。炎が、若い顔に陰影を落としていた。彼の話しぶりには、出世のための調子のよさがなかった。ただ長く現場を歩いてきた者の、地に足のついた確かさがあった。徽章を持っていても外す者を見て、徽章を持たずとも当てる者を見て、それでも組合を信じようとしている。そういう人の声だった。
「私は家柄もなく銅の徽章どまりです。けれど現場をいくつも見てきました。徽章を持っていても外す者がいる。徽章を持たずとも、当てる者がいる。──あなたを見て、確信しました。組合は、あなたを潰すべきではない。正しく扱うべきだ。あなたの目を、組合の敵ではなく、組合の宝にすべきなんです」
俺は黙って聞いていた。
組合の宝。そんなふうに言われたのは、初めてだった。本部の人は皆、俺を邪魔者だと思っているのだと思っていた。けれどここに、一人だけ違う人がいた。
「ただ」
テオは声を落とした。
「言うは易しです。本部には、それを許さぬ人がいる。古い徽章の頂に座る、静かな人が。──その人を動かさぬかぎり、私一人が騒いでも、何も変わらない。私はまだ、糸口を探している段階です。今日は、ただあなたの目を確かめに来た。それだけです」
テオは翌朝、本部へ帰っていった。
去り際、彼はこう言い残した。
「いずれ、本部であなたの目が試される日が来ます。そのとき私は、あなたの側に立ちます。──覚えておいてください。組合のなかにも、あなたを待っている者がいる、と」
馬の影が、街道の向こうに小さくなっていった。
俺は組合という大きなものを、初めて少しだけ近くに感じた。あれは一枚岩ではなかった。なかで人が割れて、押し合っていた。そのどこかに、味方が一人、立っていた。
ただテオの言った「静かな人」のことが、なぜか胸に残った。古い徽章の頂に座る人。会ったこともない。けれどその気配だけが、白い建物の奥から、こちらを見ているような気がした。
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