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第103話 二派の天秤

 メルダートの組合本部。丘の上に立つ白い建物の、奥まった一室だった。


 評議の間ではない。その手前の、小さな控えの間だった。長い卓を囲んで、数人の鑑定士が顔をつき合わせていた。グラナの目利きをどう裁くか。その下相談だった。


 テオ・ハルクは、銅の徽章を胸に、卓の端に座っていた。本部では下座のほうだ。けれどこの日、彼は声を上げた。


「グラナの目利きを、公式に検めるべきです」


 卓がざわついた。


「正面から、公の場で。徽章持ち立ち会いのもと、品を検めさせる。当たるか外すか、皆の目の前で確かめればいい。──噂と通達だけで無効と決めるのは、組合の名にふさわしくありません。組合は品の確かさを守る所のはずだ。ならば、確かめればいい」


「ばかな」


 声を荒らげたのは、査定長のオズワルド・ケインだった。金の徽章を、いらだたしげに指で弾いた。


「あの者は徽章なき素人だ。検めるまでもない。組合の決として、すでに印は無効と通達した。それを今さら公の場で検めるなど、決を疑うようなもの。──査定長として、断じて認められん」


 オズの顔は赤かった。


 無理もなかった。彼はグラナで二度恥をかいていた。延べ板の芯を読み損ね、組合公認の印を乱発しては外れを出した。公の場であの目利きと並べば、また何が起こるか分からない。オズは、検めの場そのものを恐れていた。


 テオは引かなかった。声は若く、けれど芯があった。


 彼は本部では下座の鑑定士だった。家柄もなく銅の徽章どまりだった。それでも現場をいくつも歩いてきた自負があった。徽章の数字だけでは品の良し悪しが測りきれぬことを、その足で知っていた。だからこそ、ここで引けなかった。


「査定長。──現に、徽章で見抜けぬ外れが、連合じゅうに出ています。組合公認の品が折れ、割れ、漏れている。民は気づき始めている。徽章が万能でないことに。ここで目をふさげば、いずれ組合そのものが信を失う。検めて堂々と勝てばいいではありませんか。それとも、検めては困ることでも」


「なんだと」


 オズが腰を浮かせた。卓を叩こうとした。


 その手が、止まった。


  ◇


 卓の上座に、一人の老人が座っていた。


 オットー・レーヴェ。評議会の長老格だった。六十をいくつか越えている。白いものの混じった髪を後ろになでつけ、背筋はまっすぐだった。金の徽章を胸に、これまでひとことも発していなかった。ただ静かに、皆のやり取りを聞いていた。


 その老人が、ゆっくりと口を開いた。


「ハルク。よい心がけだ」


 しわがれてはいたが、よく通る声だった。声を荒らげない。むしろ低く静かだった。オズの怒声よりも、その静けさのほうが、部屋を黙らせた。


「組合は品の確かさを守る所。確かめずに裁くは、名折れ。──その通りだ。わしも、賛成しよう」


 テオが、わずかに目をみはった。


 予想と違ったのだ。長老格のレーヴェは、守旧派の頂に座る男だった。当然、検めに反対すると思っていた。それが、賛成した。あっさりと。


「査定長」


 レーヴェはオズに目を向けた。


「ハルクの言うとおりだ。逃げては、かえって組合が疑われる。公の場で、堂々と検めよう。徽章持ちが立ち会い、組合の総意のもとで。──それで、よいな」


「し、しかし、評議員」


「よいな」


 二度目の声は、最初とまったく同じ調子だった。けれどオズは、それ以上逆らえなかった。金の徽章を持つ査定長が、同じ金の徽章の老人の前で、ただ口をつぐんだ。道化が、駒に変わった瞬間だった。


「……承知、いたしました」


 オズは座り直した。顔の赤みだけが、行き場をなくして残っていた。


  ◇


 卓の隅に、もう一人、ずっと黙っている男がいた。


 ロデリック理事。五十なかば。金の徽章。セレネの父だった。組合の上層にありながら、どの派にもつききれずにいる男だった。


「理事は、いかがか」


 レーヴェが水を向けた。


 ロデリックはしばらく卓の一点を見つめていた。それから、慎重に言葉を選んだ。


「……公正に、検めるべきだと思う。徽章なき者であろうと、品を当てるなら、それは事実だ。事実から目をそらすのは、組合の道ではない。だが──」


 彼はそこで言葉を切った。


「検めが、初めから結果の決まった芝居であってはならん。本物の検めを。誰が見ても公正だと言える検めを。それだけは、わしが見届ける」


「無論だ」


 レーヴェは薄く笑ったように見えた。けれどそれは唇の端がわずかに動いただけだった。目は笑っていなかった。


「公正に。当然のことよ。──検める品は、評議会で選ぼう。誰の手心も加わらぬよう、組合の蔵から、組合の名で」


 その言葉に、テオはまた引っかかった。


 組合の蔵から品を選ぶ。一見公正な言い分だった。誰の手心も加わらない。けれど蔵の中身を、いちばんよく知っているのは誰か。何百年ぶんもの品を、どこに何があるか把握しているのは、長く評議会に座ってきた者たちだった。蔵から品を選ぶということは、品を選ぶ手を向こうに握らせるということでもあった。


 話は、それで決まった。グラナの目利きを、評議会の公開の検めにかける。日取りは追って定める。テオは、自分の提起が通ったことに、安堵と、かすかな引っかかりを覚えていた。通りすぎた。あまりにも、すんなりと。


 散会のあと、レーヴェは一人、評議の間へ戻った。


 高い窓から、夕日が差し込んでいた。蔵の鍵を束ねた帳面を、老人は静かにめくった。組合の蔵には、何百年ぶんもの品が眠っている。そのなかには、徽章でしか測れぬものがある。来歴の絡んだもの。等級の分かれるもの。素人の目では、決して当てられぬもの。


 レーヴェは検めを恐れていなかった。


 むしろ待っていた。公の場で、あの目利きが「視えません」と言う瞬間を。徽章なき者の限界を、連合じゅうの前で晒す瞬間を。それは暴くよりも確かな潰し方だった。テオは、自分から罠の戸を開けたのだ。


 会頭のような男なら、力で潰しにかかっただろう。査定長のように、見え透いた妨害を重ねたかもしれない。だがレーヴェは、そのどちらもしない。声を荒らげず、手を汚さず、ただ正しい顔をして「公正に検めよう」と言う。そして、相手が自分から崩れる場所を、静かに用意する。長く組合の頂に座ってきた者の、いちばん恐ろしいやり方だった。


 老人は帳面を閉じ、窓の外の街を見下ろした。


 彼にとってこれは私怨ではなかった。あの目利きを憎んでいるわけでもない。ただ徽章なき者が認められれば、組合の秩序が揺らぐ。秩序が揺らげば、長年そこに眠らせてきたものまで、いつか掘り起こされかねない。それだけは、避けねばならなかった。秩序のために。組合のために。レーヴェは、そう信じていた。


 白い建物の天秤の像が、夕日に長い影を落としていた。

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