第94話 まっすぐな剣
翌朝、フィオナが一振りの剣を抱えて、相談所へ飛び込んできた。
「レイ、見てくれ。新しい剣を買ったんだ」
頬を上気させ、目を輝かせていた。坑道の探索でこれまでの剣が刃こぼれしたらしい。隣街の市で安く出ていた一振りを買ってきたという。鞘から抜くと刃が朝日を弾いて光った。見た目はなかなかの業物だった。
「どうだ。掘り出し物だろ。値の割に、いい鋼を使ってるって、店のおやじが」
俺はその剣を受け取った。
刃を光にかざし、地肌を視た。鋼の鍛えを根元から鋒まで追った。
「……フィオナさん」
「お、おう。なんだよ、その間は」
「鋼は、悪くないです。でも、目釘のところ。柄を留めている、この穴の縁に、細いヒビが入っています。今は気づかないくらい小さい。でも、強く打ち込むたびに、少しずつ広がる。──たぶん、十回か二十回、固いものを打てば、ここで刃と柄が抜けます。坑道の魔物相手に、それは危ない」
フィオナの顔が、みるみるしぼんだ。
「……またかよ。おれ、安いのに飛びつく癖、直ってねえな」
初めて会ったときもそうだった。粗悪な盾を握って依頼に出ようとして、レイに「その盾、割れます」と止められた。あれからずいぶん経つ。けれど買い物の癖だけは、まだ抜けないらしい。
「直す手はあります」
俺は言った。
「ガロさんに頼んで、目釘の穴を打ち直してもらえば、まだ使えます。鋼そのものは、本当に悪くないんです。──掘り出し物なのは、本当ですよ。ただそのまま使ったら危なかった、というだけで」
フィオナの顔が、ぱっと明るくなった。
「そうか。──さすがレイだ。やっぱり、おまえに見せてよかった」
まっすぐに、そう言った。剣みたいに、まっすぐな娘だった。
フィオナはいつもそうだった。思ったことをそのまま口にする。隠し事も駆け引きもない。商会にいた頃、俺の周りにいたのは、腹のなかで別のことを考えている大人ばかりだった。にこやかに笑いながら、検品の品にケチをつけるなと釘を刺してくる。そういう世界で六年を過ごしてきた身に、フィオナのまっすぐさはまぶしかった。安物に飛びつくのは困りものだがその素直さだけは、この街に来てよかったと思わせるものの一つだった。
◇
剣を脇に置いて、フィオナが右肩を回した。
俺はその動きが少し気になった。肩の回りがわずかに硬い。
「フィオナさん。右肩、また痛めてませんか」
「……げ。なんで分かるんだよ」
「動きで。──坑道で、ずっと盾をかばう構えをしてたでしょう。前に骨接ぎした古傷のところ。あそこに、また張りが来てます。ひどくはない。でも、無理を続けると、ぶり返します」
フィオナがばつの悪そうな顔をした。右肩の古傷はずっと前からのものだ。一度レイが視て骨接ぎに連れていった。それからは無理をしないよう言い聞かせている。けれど探索が続くと、つい体を張ってしまうのだった。
「しばらく、重い盾は控えてください。湿布と、温めと、休み。それで治ります。──フィオナさんが倒れたら、トーロくんが困ります。前衛が、いなくなる」
「……分かったよ。ったく、おまえはおれの母ちゃんか」
フィオナは口をとがらせた。けれどその頬は少し赤かった。体のことまで気にかけてもらえるのが嬉しいような、くすぐったいような。そういう顔だった。
「なあ、レイ」
フィオナが上目づかいに言った。
「おまえ、おれの肩のことも、剣のことも、なんでそんなに気にしてくれるんだ。──もしかして、おれのこと」
「フィオナさんは、大事な仲間ですから」
俺はまじめに答えた。
「仲間が怪我をしたら、困ります。だから気になります。当たり前のことです」
フィオナががくっと肩を落とした。
「……だよなあ。うん。知ってた」
何が知ってたのか、俺にはよく分からなかった。
◇
そこへ、セレネが机の向こうから声をかけてきた。
「フィオナ。あなた、また安物に飛びついたの。──探索の前衛が、目利きの基本もできないのは困るわね。これからは、買う前にレイに見せなさい」
「うるせえな。セレネこそ、徽章があったって、剣の目釘のヒビは視えねえだろ」
「ええ、視えないわ。だからわたしもレイから学んでいるの。──鑑定士として、よ」
「ふうん。鑑定士として、ねえ」
フィオナがにやりと笑った。
「ずいぶん熱心に学んでるよなあ。朝から晩まで、レイのすぐ隣で。──鑑定士として、なんだろ?」
セレネの頬が、かすかに染まった。
「……当然でしょう。あの目を、間近で見られる機会なんて、ほかにないもの。学ぶのは、鑑定士として当たり前のこと。それ以上の意味は、何もないわ」
「へえ。そっか。それ以上の意味は、ないんだ」
「ないわ」
二人が火花を散らした。
俺には、二人が何を言い合っているのか、よく分からなかった。剣の目利きの話が、いつのまにか別の話になっている。けれど二人とも探索や検めを真剣に考えてくれているのは、伝わった。いい仲間だなと思った。
「あの」
俺はおずおずと口を挟んだ。
「フィオナさんの剣、早めにガロさんのところへ持っていったほうがいいです。ヒビは、放っておくと広がるので」
二人が同時にこちらを向いた。それから顔を見合わせて、ため息をついた。
「……こいつ、ほんと、こういうやつだよな」
「ええ。ほんとうに」
なぜか二人の声が、そろっていた。何が二人をそろわせたのか、俺にはやっぱり分からなかった。
ただフィオナの直球も、セレネのつんとした横顔も、どこか似た色をしているのは、なんとなく感じていた。二人とも何かを言いたくて言わずにいる。そういう顔だった。けれどそれが何なのかは、考えても分からなかった。きっと剣や徽章の話とは別の、もっと込み入ったことなのだろう。俺はそういう込み入ったことを読むのが、昔から苦手だった。品の傷みなら、ひと目で視えるのに。人の心だけは、どうしても視えなかった。
◇
その日の午後、フィオナは剣を抱えてガロの鍛冶場へ向かった。
目釘の穴を打ち直せばあの剣はいい相棒になる。鋼は本物だ。あとは使い手が無茶をしなければいい。フィオナの肩の古傷も、しばらく休めばよくなる。仲間が無事に坑道へ通える。それが何より大事だった。
組合との争いは、まだ続いている。けれどこういう日もあった。剣を視て、肩を診て、仲間と軽口を叩く。そういう穏やかな一日が戦いの合間にちゃんとある。それが、グラナという街の暮らしだった。
俺はぬるくなった茶をすすった。なぜだか、悪くない気分だった。
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