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第93話 坑道の地図

 街道を外れた丘の中腹に、古い坑道があった。


 昔、誰かが鉄を掘り、掘り尽くして捨てた跡だという。今は冒険者たちが、ときどき残りの石を拾いに入る。けれど中は暗く、崩れかけ、迷いやすい。何度か、戻ってこない者が出た。だから近ごろは、月に一度、トーロたちが見回りに入ることにしていた。危ない場所に印をつけ安全な道筋を確かめる。それがギルドの新しい仕事になりつつあった。


 その日、俺も一緒に入ることになった。


「レイさんが来てくれりゃ、百人力だ」


 槍を担いだトーロが白い歯を見せた。痩せて背の高い少年は、すっかり頼もしい冒険者になっていた。血の薄かった頃の面影は、もうない。


「俺は掘らないし、戦いもしませんよ」


「いいんだよ。レイさんは視てくれりゃいい。どこが危ねえか、どこに石があるか。──それが分かるだけで、おれたちは生きて帰れる」


 松明をかざして坑道へ入った。


 ◇


 ひんやりとした湿った空気が頬をなでた。


 奥へ進むほど、闇が濃くなった。岩肌に、古い鏨の跡が残っていた。足元には、掘り捨てられた石くずが転がっていた。天井から、ぽたりぽたりと水の滴る音が響いた。松明の煤が、岩の天井を黒く舐めていく。フィオナが前を、トーロが後ろを固め、俺は真ん中で岩を視ながら歩いた。


 俺の目には、岩の一枚一枚が、それぞれ違って見えた。乾いた岩。湿った岩。内にヒビをはらんだ岩。崩れる前の岩には表に出ない細かな乱れがある。商会で六年、品の傷みを視てきた目には岩の傷みも同じように映った。品も岩も、悪くなる前には必ず兆しがある。それを拾うだけのことだった。


 しばらく行くと、横道が三つに分かれた。


「右の二つ目、入っちゃだめです」


 俺は足を止めて言った。


「奥に毒気がたまっています。古い坑道だと、ときどきあるんです。岩の隙間から目に見えない悪い気がしみ出して、低いところにたまる。松明の火が、あの横道の手前で少し弱るのが見えますか。あれがたまっている証です。入れば、息ができなくなる」


 フィオナが松明をかざして横道をのぞいた。確かに炎が奥へ行くほど力なく揺れていた。


「うへえ。──言われなきゃ、まっすぐ入ってたぞ。石がありそうな道に見えるもんな」


「見た目は、いちばん良さそうな道です。だから危ないんです」


 俺は左の道を指した。


「こっちは安全です。それと、左の道の突き当たり。あの岩の奥に、まだ掘られていない鉄の筋があります。前に掘った人たちは、ここで掘るのをやめたみたいですけど──やめた壁の、もう一歩奥。そこから先が、いい鉄です」


 トーロが目を丸くした。


「壁の向こうが、視えるのか」


「なんとなく、ですけど。岩の色と、湿り方で。──掘り尽くしたと思って捨てた坑道に、いちばんいいところが残ってる。よくあることです」


 昔の掘り手はたぶん、鉄の筋が一度細くなったところで尽きたと思ってあきらめたのだろう。けれど細くなった筋は、ほんの少し先でまた太くなっていた。あと一歩、鏨を入れていれば。そう思うと、少し惜しい気がした。なまくら石のときと同じだ。値打ちのあるものは、たいてい、見えにくいところに隠れている。誰もが見限った場所に、いちばんいいものが眠っている。


 ◇


 危ない横道に、フィオナが石で印を積んだ。


 毒気の道。崩れそうな天井。底の抜けた縦穴。俺が視て危ないと言った場所に、一つずつ目印を置いていく。トーロがそれを羊皮紙に書き写した。坑道の地図だ。どこが危なく、どこに石があるか。一度作っておけば、次に入る者が迷わずにすむ。戻ってこられる。


「すげえな、これ」


 トーロが地図を見ながらつぶやいた。


「この地図さえありゃ、新入りでも安全に石を運べる。──危ねえところを避けて、いい鉄のあるところだけ掘ればいい。坑道が、ちゃんと稼ぎ場になる」


 そのときだった。奥の闇で、かさかさと、乾いた音がした。


 岩棚の上から、影が舞い降りた。坑道に巣くう、大きな羽虫の群れだった。鋭い針を持っている。フィオナが剣を抜き、トーロが槍を構えた。俺はその羽虫を視た。


「羽の付け根、そこが弱いです。固い殻に見えるけど、付け根だけ薄い。──針より先に、羽を狙ってください」


「了解だ」


 フィオナの剣が、ひとふり。トーロの槍が、ひと突き。俺が言ったとおり、羽の付け根を狙えば、固い殻ごと崩れた。針が届く前に、群れは片づいた。俺は一歩も動かず、ただ弱いところを伝えただけだった。それで十分だった。


 戦うのは、二人の役目。視るのが、俺の役目。それぞれの役目があった。


 俺には、剣も槍も振れない。振ったところで足手まといになるだけだ。けれどどこを狙えば一突きで終わるかは視える。固い殻のなかの、たった一点の弱いところ。それを伝えれば、二人は無駄な傷を負わずにすむ。前に出て無双する英雄には、なれない。なる気もなかった。ただ仲間が生きて帰れるように、視えたことを伝える。それだけで、俺はこの坑道で役に立てた。商会で「検品など誰でもできる」と捨てられた目が、ここでは人の命を守っていた。


 ◇


 坑道を出ると、外はもう夕暮れだった。


 籠いっぱいの良い鉄。一枚の地図。全員が無事だった。それが今日の収穫だった。


「いい一日だったわね」


 迎えに来たミレイユが地図を見て微笑んだ。


「組合に印を無効にされても、ここには別の柱が育つ。坑道の石。探索の稼ぎ。──目利きの相談だけに頼らない道があるって、心強いわ」


 俺はうなずいた。


 組合との争いは、まだ続いている。けれど街の暮らしはそれだけではなかった。坑道があり、鉄があり、それを運ぶ仲間がいる。視たものを伝えるだけで、誰かが生きて帰ってこられる。それは、品を視るのと同じくらい、悪くない仕事だった。


 ただ一つだけ気になることがあった。


 坑道のいちばん奥。左の道のさらに先。掘られていない鉄の筋の、もっと向こう。そこに、何か古い人の手の入った気配があった気がした。崩れた石の積み方が、自然のものではなかった。誰かが昔あの奥で何かをしていた。それが何かは、まだ視えなかった。


 いつか確かめてみてもいいかもしれない。そう思いながら、俺は丘を下りた。

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