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第89話 査定長、来たる

 商会が消えて、半月が過ぎた。


 グラナのギルドは、これまでにない忙しさだった。連合じゅうの品の保証を担っていた大店がなくなったのだ。その穴を、誰が埋めるのか。各地の商人が答えを求めて目利きの印を頼ってきた。よその街の問屋が頭を下げ、品を検めてほしいと言ってきた。隊商が列を作ってギルドの前に並んだ。


 俺は朝から晩まで、品を視続けた。


 毛皮。塩。鉄の延べ板。干し魚。薬草。織りの布。連合じゅうの品が、机の上を流れていった。良いものには印を押し、外れには首を振る。それだけの仕事だった。けれどその印一つに、いまや連合の信用がかかっていた。


 忙しいのは、悪いことではなかった。困っている人が来て視て、安心して帰っていく。ありがとうと言われる。それが積み重なるだけだ。俺はこの暮らしに、不満はなかった。


 ただセレネが、何度か気がかりそうな顔をしていた。連合じゅうにレイの名が広がるほど組合のなかの風当たりも強くなる。父からの文にも組合が割れているとあった。徽章を持たぬ者が連合の信用を一手に集めるのを、よしとする者と、苦々しく思う者。その溝が日に日に深くなっているらしい。俺にはその溝の深さが、いまひとつ実感できなかった。品を視て視たままを言う。それのどこが人をそんなにいらだたせるのか。考えても、やはり分からなかった。


 異変は、ある朝に来た。


 ◇


 立派な馬車が、ギルドの前に止まった。


 商会のものではなかった。組合の紋を打った、格式ばった馬車だった。降りてきたのは丸々と肥えた中年の男だった。金の刺繍の入った長衣を着て、胸には金の徽章を吊るしていた。供を何人も従え、いかにも偉そうにあごを上げて歩いてきた。


「鑑定士組合、査定長のオズワルド・ケインである」


 男は名乗った。よく通る、芝居がかった声だった。


「この街に、徽章なき身で目利きを称する不届き者がおると聞いた。連合の信用を、勝手に騙る者がな。──その者を、出せ」


 ミレイユが応対に出た。


「目利きのレイなら、奥で品を検めています。お客様の列がありますので、少々お待ちを」


「待て、だと」


 オズワルドの眉が、跳ね上がった。


「組合の査定長を、無資格の目利きの順番待ちにさせると申すか。──格というものを知らんのか、この街は」


 俺は奥から出ていった。


 偉い人が来たらしいことは、声で分かった。けれど何を怒っているのかは、よく分からなかった。


「レイです。何か、御用でしょうか」


 オズワルドが俺を、じろじろと見回した。粗末な仕事着。徽章のない胸。年若い顔。それを確かめて、ふんと鼻を鳴らした。


「これが、連合いちの商会を崩したという目利きか。──徽章の一つも持たぬ、ただの小僧ではないか」


 供の者たちが、追従するように笑った。


 俺はその笑いに別段、腹は立たなかった。小僧と言われるのは、慣れていた。商会でも六年、似たような目で見られてきた。検品しかできない、利を産まない、要らない男。そう言われ続けた。だから今さら何とも思わなかった。ただこの査定長は会頭に少し似ているな、と思った。格や肩書きを盾にして品そのものを見ようとしない。中身ではなく看板を見て人を測る。そういう目を、俺は前にも見たことがあった。


 横でフィオナが剣の柄に手をかけていた。セレネがその腕をそっと押さえた。ここで荒事を起こせば、組合の思うつぼだ。事実で勝つしかない、と目で言っていた。


 ◇


 オズワルドは、巻物を一つ取り出した。


 組合の封のついた、ものものしい通達だった。それを大げさに広げて、読み上げた。


「鑑定士組合、評議会の決により告ぐ。──品の良し悪しを見定め、その証として印を押し対価を受ける行いは、組合の認めた徽章を持つ鑑定士のみに許される。徽章なき者がこれを行うは、連合の信用を偽る行いと見なす。よって、グラナの目利きの印を本日をもって無効とする」


 ギルドが、ざわついた。並んでいた商人たちが顔を見合わせた。


「待ってください」


 ミレイユが前に出た。


「うちの目利きの印は、連合じゅうの商人が頼りにしています。それを無効にすれば、また連合の品がめちゃくちゃになる。──商会の偽りでどれだけの人が損をしたか、お忘れですか」


「だからこそ、だ」


 オズワルドは胸を張った。


「信用は格ある者が担うべきもの。素人がいいかげんに印を押すから世が乱れる。徽章こそが目利きの証。徽章なき者の印など、占い師の御託と変わらん。──組合が正しく保証してやろうと言うておるのだ。ありがたく思え」


 俺は、その言葉を聞いていた。


 言っていることが、よく分からなかった。俺の印を無効にして、組合が代わりに保証する。それで困っている人が、助かるのだろうか。


「あの」


 俺は尋ねた。


「組合の方は、品を視て、外れを見分けられるんですか」


「無礼な」


 オズワルドの顔が、赤くなった。


「我ら鑑定士は、徽章をかざせば品の等級も価値も読み取れる。当然のことだ」


「等級は、分かるんですね」


 俺はうなずいた。


「でも、これから先のことは、視えますか。たとえばこの鉄の延べ板。等級は上等です。でも芯に巣があります。打って剣にすれば半年で根元から折れる。──組合の徽章で、そこまで視えますか」


 オズワルドが、言葉に詰まった。


 俺はそばの台から一枚の延べ板を取り上げていた。よその問屋が検めてほしいと持ち込んだものだった。見た目はぴかぴかで、徽章で読めば最上等と出るはずの品だった。表の鈍い光は申し分なかった。だが俺の目には、その奥が視えた。鉄の芯の真ん中に、空気の入った巣がひそんでいた。鋳るときに温度の足りなかった証だった。表からは分からない。叩いても、なかなか出てこない。けれど火を入れて打ち延ばし、刃に仕立てていざ力をかけたとき。そのとき芯の巣が裂け目になり根元から折れる。戦いの最中に剣が折れれば、持ち主の命にかかわる。だから俺はこういう品を黙って通すわけにはいかなかった。


「視えるに、決まっておろう」


 オズワルドは強がった。だがその声は、わずかに上ずっていた。


「では、検めてみてください」


 俺はその延べ板を、差し出した。


 ギルドじゅうの目が金の徽章の査定長に集まった。並んだ商人たちが息をのんで見守った。オズワルドの額に汗が浮いた。後ろの供の者たちも急に静かになった。


 査定長は、震える手で徽章をかざした。


 俺はその様子を静かに見ていた。べつに恥をかかせたいわけではなかった。ただ、組合の徽章で何が視えて何が視えないのか。それをこの場の皆に知ってほしかっただけだった。徽章は等級を読む。けれど芯の巣までは読まない。それは徽章が劣っているという話ではない。徽章には徽章の役目があり、俺の目には俺の役目がある。本当はその二つは、争うものではないはずだった。なのにこの査定長は徽章で全てが視えると言い張る。そこに無理があった。


 無効を言い渡しに来た男が、その場で目利きを試される。話が、思わぬ向きに転がり始めていた。徽章を盾に乗り込んできた査定長の手が、いまや小さく震えていた。

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