第78話 名誉は戻る
返金の検めは、買った者だけのものではなかった。
売った者にも関わることだった。
商会は産地を偽った。安い品を高い産地の名で売った。だがその裏でもう一つの嘘があった。──本物の良品を安く買い叩いていたのだ。
名のある産地の名は借りる。中身は安く仕入れる。その差が、商会の儲けになっていた。
買い叩かれていたのは、まっとうに品を作る者たちだった。
◇
その日、本部に一人の老女が訪ねてきた。
遠い谷から馬車を乗り継いで来たという。腰の曲がった、小柄な織り手だった。背に大きな包みを負っている。
包みを解くと、一反の布が現れた。
深い藍の地に、白い細かな文様が織り込まれている。手の込んだ織りだった。糸は細く、目は詰まり、撫でると指に吸いつくようだった。光の加減で、藍の地に淡い影が浮かぶ。一目ずつ手で織らねば出せない、深みのある藍だった。
文様は、谷の草花だろうか。見たことのない形だった。だがひとつとして崩れた目がない。端の始末まで、几帳面に折り込まれている。長年、機に向かい続けた者だけの仕事だった。
「これを、視てもらえんかね」
老女は遠慮がちに言った。
「わしらの谷で織った布じゃ。長年、商会に納めてきた。だが──」
「だがいつも並の値しか、つけてもらえなんだ」
老女は皺の手で布をなでた。
「『田舎の織りだ。よくて並の品だ』と。そう言われて、安く買い取られた。文句は言えん。買ってくれるのは商会だけじゃったからな」
俺は布を手に取った。
糸の撚り。織りの密度。藍の染め。目を凝らす。
……驚いた。
これは、並の品ではなかった。糸の細さも、織りの詰まりも、染めの深さも。名のある産地の上物に、少しも劣らない。むしろここまで丁寧な織りは、そう見たことがなかった。
「これは、並の品ではありません」
俺は言った。
「並どころか。──連合じゅうのどこに出しても、上物で通る織りです」
老女がぽかんと俺を見た。
「上物……? わしらの布が?」
「はい」
俺はもう一度、布に目を落とした。
来歴の目を、そっと使った。今日の一つ目。頭の奥が、じんと重くなる。
視えてきたのは、谷の織り小屋だった。
幾人もの女が、機を織っている。糸を紡ぎ、藍に染め、一目ずつ布を織っていく。気の遠くなる手間だった。冬の長い谷だ。雪に閉ざされた小屋のなかで、来る日も来る日も、女たちは機に向かっていた。指がかじかむ。それでも手は止めない。一反を織り上げるのに、ひと冬かかる。そういう布だった。
織り上がった布が、買い付け人の手で値を踏まれる。「並の田舎織りだ」。その一言で、ひと冬の手間が、銅貨の山に変えられる。女たちは黙ってそれを受け取った。ほかに買い手を知らなかったからだ。
その布が、商会の蔵に運ばれる。
そして蔵で、別の証文が貼られた。──「東の高地の織り」と。値は、買い取った何倍にも跳ね上がっていた。
俺は目を開けた。
「あなたの谷の布は、商会の蔵で、別の産地の名をつけられて売られていました」
俺はゆっくりと言った。
「『東の高地の織り』として。──あなたが並の値で売った布が、その何倍もの値で、別の名で売られていたんです」
老女の手が震えた。
「そんな……わしらの織りが、よその名で」
「あなたの織りは、よその名を借りる必要なんてなかった。それだけの品です。──商会は、あなたの谷の名で売れば、安く買い叩けなくなる。だから別の名をつけた。あなたの織りの値打ちを、隠していたんです」
老女はしばらく言葉が出なかった。
やがてその目に涙がにじんだ。
「……わしは、ずっと思っとった。わしらの織りは、田舎の並の品じゃと。だから安いのは仕方ないと。──谷の若い者が、織りなんぞ継いでも食えん、と言って出ていくのも、仕方ないと」
老女の声がかすれた。
「じゃが違うたのか。わしらの織りは、よその上物に負けとらんかったのか」
「負けていません」
俺ははっきりと言った。
「あなたの谷の織りは、あなたの谷の名で、正しい値で売られるべきです。それだけの品です」
脇で聞いていた理事が、静かに口を開いた。
「賠償は、買った者だけでなく、売った者にも及ぶ」
理事は帳簿方の男に目をやった。
「この織り手が、長年にわたり不当に安く買い叩かれた分。本来の値との差を、商会の蔵から返す。──偽りで得た儲けは、もとの作り手にも戻すのが筋だ」
帳簿方が算盤を弾いた。何十年分の差額だ。気の遠くなる数だった。
老女はその数を聞いても、すぐには信じられない顔をしていた。
銭よりも、たぶん、別のことに心を奪われていた。
自分の織りが、本物だったということに。
「これからは」
俺は言った。
「あなたの谷の布は、あなたの谷の名で売れます。商会を通さなくても。グラナの市にも、隊商の伝手があります。本物の織りなら、本物の値で買う人がいます」
ミレイユが隣でうなずいた。
「うちのギルドが、口利きをするわ。良い品を、正しい値で売る伝手なら、いくらでもある。──あなたの谷の若い人にも、伝えてあげて。織りを継いでもちゃんと食べていけるって」
老女の目から涙がこぼれた。
だがそれは、悔し涙ではなかった。
「……谷の者に、伝えるよ。わしらの織りは、本物じゃったと。──胸を張って、いいんじゃと」
名のある産地の側も、無傷ではなかった。
東の高地の織元からも、人が来ていた。
自分たちの名が、よその安物に勝手に貼られていた。そのせいで、質の悪い「東の高地の織り」が連合じゅうに出回り、「東の高地も落ちた」と言われるようになっていた。
その名誉も、戻さねばならなかった。
俺は本物の東の高地の織りを「本物」と証した。目を凝らし、来歴を頼らずとも分かる作りの違いを示した。糸の張り。文様の組み。高地の織りには高地の癖がある。谷の藍とは別の手だった。徽章持ちが証文と突き合わせ、本物と偽物を二つに分けた。本物の名が、偽物に汚されたまま終わらないように。
東の高地の織元の老人は、本物と分けられた自分たちの反物を抱え、深く頭を下げた。「名を守ってくれて、礼を言う」。その声は、低く震えていた。名は、銭では買い戻せない。一度落ちた評判を立て直すには、何年もかかる。それを思えば、本物と証された一日は、何ものにも代えがたかったのだろう。
偽物を暴くことと、本物を守ること。
その両方が、名誉を戻すということだった。
◇
夕刻。老女は軽くなった背で帰っていった。
布の包みは、もう背に負っていなかった。本物だと証された布は、本部が預かり、正しい値で買い手を探すことになった。
俺はその小さな背を見送った。
商会が奪ったのは、銭だけではなかった。作り手の誇りだった。「自分の品は並だ」と、長いあいだ思い込ませてきた。その思い込みが、谷から若い織り手を奪い、技を細らせていた。
奪われた誇りが、いま少しずつ戻っていく。
まだ、後始末は終わらない。
だが崩れた嘘の跡から、本物が一つずつ、顔を上げ始めていた。
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