第75話 集まる人々
裁きから、五日が過ぎた。
組合本部の大広間が、返金の検めの場になった。連合じゅうに触れが回った。商会の品で偽りを買わされた者は、その品を持って集まれ、と。差額を返す。本物なら、本物と証す。
その日の朝。広間の前に、長い列ができていた。
俺は窓からそれを見下ろした。
列は門の外まで続いていた。荷を抱えた者。布に包んだ品を胸に抱く者。馬車で遠くから来た者もいる。みな商会の保証を信じて品を買った人たちだった。
その数を見て、胸が静かに重くなった。
◇
検めの場に、机が並べられた。
俺。セレネ。検めに立ち会った徽章持ちが数人。それから、寝返ってきた商会の元青年。銀の徽章を持つ男だ。商会の蔵の証文を、誰より知っている。仕分けの実務は、この男が回した。
俺の役は、変わらない。
まず目で絞る。第一層だ。罅。傷み。作りのちぐはぐ。怪しい品を選り分ける。来歴の目は、決め手のときだけ。一日に三つか四つが限りだ。それ以上は、頭の奥が痛んで視えなくなる。
残りは徽章持ちが、証文と突き合わせる。墨の違い。紙の古さ。商会の控えと照らせば、嘘は浮かび上がる。
「では、始めます」
セレネが列の先頭に声をかけた。
最初に来たのは、年老いた反物商だった。
一反の絹を、大事そうに広げる。
「商会で買った。西の蚕の絹だと。連合いちの上物だと言われてな。それを信じて客に売ってきた。だが偽りの噂を聞いて、夜も眠れんようになった」
俺は絹に触れた。
糸の艶。織りの詰まり。指で撫でて目を凝らす。
「……これは本物です」
俺は言った。
「西の蚕の絹で間違いありません。艶も糸の細さも、本物のものです。あなたは嘘の品を売っていません」
老いた反物商の肩から力が抜けた。
「……本物か。本物だったか」
声が震えていた。
「よかった。客に顔向けができる。──偽物を売っていたのかと、ずっとそれが怖くてな」
偽りの品ばかりではなかった。
むしろ本物のほうが多かった。商会の品がすべて偽りだったわけではない。四十品に一つが偽りだった。だがその一つの噂が、残りの本物まで疑わせた。
だから俺は、本物を本物と言った。
偽物を暴くのと同じくらい、本物を守ることがこの場では大事だった。疑いの中に埋もれたまっとうな品。それを本物だと言うたびに、品を抱えた人の顔がほどけていった。
次に来たのは若い夫婦だった。
小さな香炉を差し出す。
「祝言のときに両親が贈ってくれたものです。南の窯の名品だと。──偽物だったらどうしよう、と」
俺は香炉を手に取った。
肌の色。釉薬の照り。糸底の土。
「本物です。南の窯の確かな品。大事になさってください」
妻のほうが、ほっと胸を押さえた。
むろん、偽りの品も出た。
昼前。商家の女が、銀の首飾りを持ってきた。
「北の銀鉱の品だと。亡くなった母の形見にと思って、無理をして買いました」
俺は首飾りを受け取った。
銀の色。刻印の打ち。鎖のつなぎ。
目を凝らす。刻印の銀と本体の銀。色がわずかに違った。
「……これは刻印だけ、北の銀鉱のものです。本体は南の安い銀です」
俺は静かに言った。
「北の刻印を後から打ってある。産地を偽った品です」
女の顔がこわばった。
女はしばらく、首飾りを見つめていた。
「……偽物、ですか」
「銀そのものは、悪い品ではありません。ただ、産地が偽られている。買った値より、ずっと安い銀です。その差額が、返ります」
「お金は、いいんです」
女は首を横に振った。
「ただ──母の形見にと思って買ったものが、偽りだったのが。それがつらくて」
俺は言葉に詰まった。
差額は返せる。だがその人が品に込めた思いは返せない。銭で量れぬものを、商会の嘘は踏みにじっていた。
俺は首飾りをそっと女に返した。
「……差額は返ります。でも、それとは別に一つだけ」
俺はその銀をもう一度見た。
「この銀の細工そのものは、丁寧な仕事です。打った職人は腕のいい人だった。産地は偽られたけれど、細工に罪はありません。お母さまに贈るのに、恥ずかしい品ではないと思います」
女は、はっと俺を見た。
それからこらえきれずに、目元を押さえた。
列は、途切れなかった。
午後になっても、門の外まで続いていた。
俺は来歴の目を三つ使った。どれも決め手のいる品だった。残りは目で絞り、徽章持ちに渡す。頭の奥が鈍く痛み始めていた。
来た品はさまざまだった。嫁入りの簪。古い茶器。祝いの杯。旅の途中で買った護符。どれも、その人にとっては、ただの品ではなかった。誰かの記念。誰かの誇り。誰かの形見。商会はその一つ一つに、平気で嘘の証文をつけて売っていた。
仕分けの机には二つの山ができていた。本物の山と偽りの山。本物の山のほうがずっと高かった。
それを見て、少しだけ救われる気がした。
商会は嘘をついた。だが連合じゅうの品がすべて嘘だったわけではない。まっとうに作られ、まっとうに売られた品のほうがずっと多い。その本物を本物だと証していく。それも後始末の一つだった。
◇
夕刻。
列のいちばん後ろに、一人の老人が立っていた。
ほかの者が品を抱えているのに、その老人は何も持っていなかった。ただ皺の刻まれた手を胸の前で固く握りしめていた。
順番が来ても、老人はなかなか机に近づかなかった。
セレネがやさしく声をかけた。
「品は、お持ちですか」
老人は、ゆっくりとうなずいた。
それから、震える手で、懐から小さな包みを取り出した。古い布に、何重にも包まれた、小さなものだった。
「これを……視てほしい」
老人の声はかすれていた。
「わしの、たった一つの宝なんじゃ。──だが、もしこれも偽りだったら」
老人の目に涙がにじんでいた。
その手は、包みを差し出しながら、まだ迷っていた。本当のことを知りたい。だが知るのが怖い。二つの思いのあいだで、皺の手が震えていた。
俺はその包みを静かに見た。
もう日が暮れていた。今日はもう、来歴の目は使えない。頭の奥が、限界を告げていた。
「……すみません。これは、明日、視させてください」
俺は老人に頭を下げた。
「ちゃんと視たいんです。いちばん、確かなときに」
老人は、ゆっくりとうなずいた。包みを、また胸に抱き直す。
明日、この老人の宝を視ることになる。
それがどんな宝なのか。本物なのか偽りなのか。このときの俺には、まだ分からなかった。
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