第74話 徽章たちの目
裁きが終わった。
会頭は退席させられた。広間の商人たちも、三々五々に引いていく。賠償の届けを出す者。被害の品を取りに戻る者。みな、これからの後始末に向けて動き出していた。
広間に残ったのは、検めに立ち会った十人の徽章持ちと、理事。そして俺たちだ。
俺は長机の品の山を片づけ始めた。偽りの品。本物の品。仕分けの続きがある。後始末は山ほどあった。
そのとき、ふと、視線を感じた。
徽章持ちたちが、俺を見ていた。
一つではなかった。
十の徽章が、それぞれ違う目で俺を見ていた。
ある者は感心していた。検めの三日で徽章では読めぬ産地の偽りを次々と当てた男だ。その目の確かさに素直に舌を巻いている。
ある者は警戒していた。徽章もない田舎者が連合じゅうの目利きの上を行った。それが何を意味するのか。組合の物差しが揺らぎはしないか。
そしてある者は──嫉妬していた。
何十年も徽章を磨いてきた。金の徽章を得るのに半生を費やした。その自分たちが見抜けなかったものを、徽章もない男があっさりと見抜いた。その事実が苦かった。
金の徽章を下げた、恰幅のいい鑑定士が口を開いた。
「見事な目だ。それは認めよう」
声は丁寧だった。だが、目は笑っていなかった。
「だが一つ聞きたい。来歴が視えるなどという、その力。徽章の物差しではどう量る。等級もつけられぬ。位もない。組合はお前のような者をどう扱えばいい」
もっともな問いだった。
俺は手を止めて少し考えた。何を聞かれているのか、いまひとつピンと来なかった。
「……扱う、というのは」
俺は逆に聞き返した。
「俺は品を見ているだけです。良いか悪いか。本物か偽物か。それを言うだけで。──組合にどう扱われるかなんて、考えたこともありませんでした」
逆に問い返された男のほうが、一瞬、言葉に詰まった。
金の徽章の男は、わずかに鼻白んだ。
組合に位を求めるでも、徽章を欲しがるでもない。ただ品を見ているだけ。その答えが、かえって男を落ち着かなくさせたらしい。
「……欲がないのか。それとも、徽章など要らぬと、見下しているのか」
男の声に、棘がにじんだ。
俺は首を横に振った。
「見下してなんて。徽章持ちの方の目はすごいです。等級も状態も、紙の古さまで読む。俺には産地しか見えません。みなさんの目があって初めて検めが成り立ちました」
本心だった。
検めの三日。俺が当たりをつけ徽章持ちが証文と突き合わせた。どちらが欠けても嘘は暴けなかった。
だが男の表情は晴れなかった。褒められたことが、かえって癇に障ったようだった。
いえ、こんなの誰でも。そう言いかけて、俺はやめた。前にもこの言葉を口にして、なぜか場を静まらせたことがある。本気で言っているのに、周りはそうは取らないらしい。理由は、いまも分からないままだった。
俺の隣で、セレネが小さく息をついた。
「困った人たちね」
セレネは銀の徽章を下げている。組合の令嬢だ。徽章持ちの気持ちも、レイの気持ちも、両方が分かる立場だった。
「あなたが謙遜するほど、あの人たちは落ち着かなくなる。徽章を盾にしてきた人ほど、徽章の要らない目を見ると足もとが揺れる気がするのよ」
「揺れますか」
「揺れるわ」
セレネは苦笑した。
「組合は徽章で目利きの位を量ってきた。何百年も。それが組合の秩序だった。あなたはその物差しの外から来た。──物差しが揺れれば、物差しで偉くなった人は困るの」
俺にはよく分からなかった。
品を見るのに位が要るんだろうか。良いものは良い。悪いものは悪い。それだけのことのはずだった。
でもセレネは、ずっと組合の中で生きてきた。その人がそう言うなら、たぶん、そういうものなのだろう。俺の見えていないところに、面倒なものが横たわっているらしい。
壇の上から、理事がそのやりとりを見ていた。
理事もまた、難しい顔をしていた。
会頭は裁いた。商会の嘘は暴いた。だが、その嘘を暴いたのは、徽章のない男だ。組合の物差しの外にいる男。これから連合じゅうに、この男の名が広まる。徽章なき目利き、と。
組合は、それをどう扱うのか。
徽章を与えるのか。あるいは、物差しを乱す者として、遠ざけるのか。
理事の隣で、痩せた銀の徽章の男が、静かに立っていた。検めの朝、俺に頭を下げた男だ。男は、金の徽章の同輩たちのざわめきを、苦い顔で聞いていた。
「……同じ場に立ち会って、同じものを見たはずなのにな」
男は低くつぶやいた。
「素直に頭を下げる者と、足を引かれた気になる者と。徽章は同じでも、中身はずいぶん違う」
片づけが一段落した。
俺は重い品の箱を抱えて、広間を出ようとした。金の徽章の男が、まだ何か言いたげに、こちらを見ていた。
「あの」
俺は箱を抱えたまま、その男に言った。
「立ち話より、手が足りません。仕分けの品が、まだ山ほどあるんです。よかったら、徽章で状態を見てもらえますか。俺には、産地しか分からないので」
男はぽかんとした。
褒められても困り、警戒されても響かない。そのうえ、当の本人は、もう仕事の話に戻っている。男の身構えは、行き場を失っていた。
セレネが、こらえきれずに小さく噴き出した。
「……ね。困った人でしょう」
◇
その夜。
俺はグラナへ持ち帰る品の目録を、ミレイユと書いていた。
「会頭は裁かれた。商会は終わる。でも──」
ミレイユは筆を止めて、俺を見た。
「あなたの名が、連合じゅうに広まる。徽章のない目利き、って。それは、いいことばかりじゃないかもしれない」
「いいことばかりじゃない、というと」
「組合が、あなたをどう見るか。今日の徽章持ちの目を見たでしょう。賞賛もあった。でも、警戒も、嫉妬もあった」
ミレイユは目録に目を落とした。
「商会は、ひとまず終わる。でも、その先に、また別の壁があるかもしれない。──徽章っていう、古い壁が」
俺は窓の外を見た。
メルダートの夜空。商会の沈んだ街だ。一つの嘘が崩れた。だが、ミレイユの言うとおりだった。
崩れた嘘の向こうに、まだ何かが静かに横たわっている気がした。
古くて、大きくて、動かないもの。徽章という、何百年も続いてきた壁。
それが何なのか、このときの俺にはまだ分からなかった。ただ、商会との戦いが終わっても、俺の検品は終わらないらしい。それだけは、なんとなく感じていた。
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