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第73話 認められぬ男

「申し開きを、させてもらおう」


 会頭はそう言って顔を上げた。


 広間の目がその一人に集まる。会頭はゆっくりと壇を見上げた。落ちきった背に最後の張りが戻っていた。商いを束ねてきた男の土壇場の意地だ。


「まず──」


 会頭は長机の品の山を指した。


「この検めの出どころだ。徽章もない男が、品の来た道が視えると言う。来歴の目などと。そんな作り話を真に受けて商会を裁くのか。占いと変わらぬ」


 俺を見もせずに会頭は言った。


 俺は隅で黙って聞いていた。慣れた話だった。実力で覆せぬとき、人はまず相手をいかさまと呼ぶ。


 理事は動じなかった。


「来歴の目を組合は証しとしておらぬ」


 静かな声だった。


「あの男が当たりをつけた。それだけだ。どこを見るべきか教えただけ。──証しはこの品とこの証文と、お前の蔵の控えだ。三つを突き合わせれば徽章持ちの誰の目にも書き換えは見える」


 理事は脇に控えた鑑定士たちを示した。十人の徽章持ち。検めに立ち会った者たちだ。


「ここにいる者がめいめいの徽章で確かめた。占いではない。徽章の目だ。──お前が長年、本物と認めてきた、その目だ」


 会頭の顔がこわばった。


 自分が信じてきた徽章。それが自分を裁いている。


「ならば、その控えだ」


 会頭は手を変えた。


「あれは商会を辞めた主任が持ち出したもの。あの男は私を恨んでいた。長年こき使われた末に逆恨みででっち上げたのだ。墨など、いくらでも後から書ける」


 広間の隅で主任が静かに立っていた。


 会頭はその顔を見ようとしなかった。


 理事は控えの束を手に取った。


「でっち上げ、と言うか」


 一枚を抜き出し灯にかざす。


「ならば聞く。この紙の黄ばみ。墨の沈み。何十年も蔵で眠った紙だ。昨日今日、書けるものではない。ここにいる徽章持ちは紙と墨の古さも読める。──偽りなら、なぜ古いのだ」


 徽章持ちの一人が進み出た。


 あの検めの朝に俺を田舎者と呼んだ、痩せた銀の徽章の男だ。男は控えの一枚を手に取り灯に透かした。


「……紙は二十年は経っている。墨も同じだけ古い」


 男は淡々と言った。


「後から書いたものではない。これは当時の蔵で記されたものだ。徽章にかけて間違いない」


 会頭が男をにらんだ。


「貴様まで、あの男に」


「私は紙を読んだだけだ」


 男は会頭を見返した。


「徽章持ちが紙の古さを偽れと言うのか。──それこそ組合の名折れだ」


 会頭は黙った。


「では」


 会頭はなお食い下がった。声がうわずってきた。


「書いたのは蔵の下の者だ。私は知らぬ。検品の主任が勝手にやった。私はただ品を売っていただけだ」


 その言葉に主任が初めて口を開いた。


「会頭」


 低い声だった。


「『南鉱を北鉱と書け』。そう命じたのはあなたです。私はその場にいた。一度ではない。何十回もです。控えの隅に、あなたの花押がある」


 主任は束の一枚をめくった。証文の隅。崩した署名。商会の主だけが記す、会頭の花押だ。


「下の者がやったのではない。あなたが命じ、私が背いた。それだけです」


 会頭の口が半分開いたまま止まった。


 会頭は、最後にすがるものを探した。


「……理事。考え直してくれ」


 声が震えていた。もう抗弁ではなかった。哀願だった。


「連合の商いは、わしが育てた。三十年だ。諸都市をつなぎ、荷を回し、銭を回した。商会がなくなれば、連合の商いそのものが滞る。わしを退けて、誰が代わりを務める。──組合に、それができるか」


 最後の手だった。自分は連合になくてはならぬ。だから罰せられぬ。そういう理屈だ。


 理事はしばらく会頭を見ていた。


「お前が回してきた荷の、四十品に一つは偽りだった」


 静かな声だった。


「お前がつないだ信用は、偽りの上に立っていた。それは育てたのではない。痩せ細らせてきたのだ。──代わりは、案ずるな。本物の品を本物と見る目は、連合のあちこちに、まだ残っている」


 理事の目が、一瞬だけ広間の隅の俺をかすめた。


 会頭は、それきり何も言えなかった。


 俺はその様子をただ見ていた。


 会頭は手を変え品を変え、言い逃れを重ねた。だがそのたびに別のものが立ちふさがった。徽章持ちの目。紙の古さ。蔵の控え。会頭自身の花押。


 来歴の目など、もう要らなかった。


 俺が開けたのは入り口だけだ。扉を開けたあとは商会自身の積み上げた嘘が勝手に崩れていった。墨が。紙が。花押が。会頭の代わりにすべてを語っていた。


 一つ嘘をつくと、それを隠すためにまた嘘をつく。それが何十年も積もると、もう本人にもどこから崩せばいいか分からなくなる。


 会頭はその山の上に一人で立っていた。


 その足もとが、いま崩れようとしていた。


 会頭の抗弁は尽きた。


 もう品も控えも花押も、何一つ覆せなかった。残ったのはうつむいた老いた男と、机に積まれた嘘の山だけだ。


 広間の商人たちは、誰も助け舟を出さなかった。かつて連合じゅうが頼った会頭だ。その周りには常に人がいた。取り入る者。へつらう者。便宜を求める者。だがいま、その一人もいない。みな黙って、崩れていく男を見ていた。


 理事は静かに告げた。


「申し開きは聞いた。だが、咎を覆すものは一つもなかった」


 理事は立ち上がった。


「先に告げた三つの処分を確定する。信用保証の資格、剥奪。被害への賠償と返金。会頭は連合の商いから退くこと。──これをもって理事会の裁きとする」


 広間に、どよめきは起きなかった。


 ただ、長い息のような静けさが広間を満たした。


 ◇


 会頭はしばらく動かなかった。


 それからゆっくりと膝をついた。


 崩れ落ちたのではない。力が抜けたのだ。長年、嘘の山を支え続けてきた力が。最後の抗弁とともに、その力も尽きた。


 俺は隅でその背を見ていた。


 勝ったとは思わなかった。負かしたとも思わなかった。ただ一人の男が、長く背負ってきたものをようやく下ろしたように見えた。重すぎて、下ろした拍子に膝をついてしまうほどの。


 六年のあいだ、俺はこの人の検品場で働いた。一度も名を呼ばれなかった。良い品を弾いても誰も気づかず、悪い品を見逃しても誰も咎めなかった。そういう場所だった。あのころのこの人は、誰よりも大きく見えた。


 いま、膝をついたその背は、ひどく小さかった。


 大きく見えたのは、嘘の山の上に立っていたからだ。山が崩れれば、ただの老いた一人の男だった。


 裁きは下った。


 だが、これで終わりではない。


 偽りを信じて銭を払った、数えきれぬ人々。その一人一人に本当のことを届けねばならない。


 後始末は、これからだった。

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