第72話 裁きが下る
理事会の日が来た。
組合本部の大広間に連合じゅうの取引先が集まっていた。各地の商人。諸都市の名代。買い付け人。みな、バルロ商会の品を扱ってきた者たちだ。長椅子はすべて埋まっていた。立ち見の者が壁際にあふれていた。
壇の上に理事会の席が並ぶ。中央に理事。その左右に連合各地から呼ばれた評議の者たち。胸には金や銀の徽章が光っていた。
壇の下の長机には産地を偽った品の山。延べ銀。絨毯。陶器。香木。その脇に主任の差し出した控えの束。
俺は広間の隅に立っていた。徽章のない、ただの元検品係として。
会頭が広間の中央に立たされた。
仕立てのいい外套は昨日のままだった。だが姿勢はもう張りを失っていた。背を丸めうつむきがちに、たった一人で壇を見上げている。
数えきれぬ視線がその背に注がれていた。
ここに集まった者はみな会頭の品を信じて銭を払ってきた。産地を信じた。保証を信じた。商会の名を信じた。その信を会頭は裏切った。広間の空気は冷たかった。
壁際で誰かが押し殺した声を漏らした。
「あの男に、何十年も買い叩かれた」
別の声がそれに続いた。
「親父の代からの付き合いだった。それが、みんな偽りだったとはな」
声は低く、広間の隅々に広がっていった。怒りというより、信じてきたものを失った者の、虚ろな響きだった。
理事が立ち上がった。
広間が水を打ったように静まる。
手にした一枚の文をゆっくりと開いた。
「バルロ商会会頭。ゲオルク・バルロ」
理事の声が広間に響いた。
「連合じゅうの取引先より集めた品を検めた。四十を超える品に産地の偽りが見つかった。安い産地のものを名のある産地の品と偽った。保証をつけて売った。商会自身の蔵から書き換えの控えも見つかった。──事実に争いはない」
会頭は何も言わなかった。
「これより商会の咎を定める」
理事は文に目を落とした。
広間がしんと静まった。
「一つ」
理事の声が一段低くなった。
「バルロ商会の信用保証の資格を剥奪する」
広間がどよめいた。
信用保証。それは商会が連合じゅうの商いを束ねてきた、その根だった。商会の印がついた品は本物と信じられる。だからこそ高く売れた。だからこそ諸都市が商会を頼った。その資格を組合が取り上げる。
会頭の肩がわずかに落ちた。
保証なき商会はただの一商人だ。連合の背骨ではなくなる。何十年もかけて積み上げた信用が一枚の文で消える。
壁際の商人がぽつりとつぶやいた。
「……あの商会の印が、ただの紙きれになる」
「二つ」
理事は続けた。
「偽りの品を買わされた者すべてに賠償と返金を命じる。産地を偽って得た差額。買い叩いた良品の不当な儲け。すべて商会の蔵から返す」
広間の商人たちが低くざわめいた。
返金。それは長年商会が積み上げた蔵を根こそぎ吐き出させるものだった。四十を超える品。連合じゅうの取引先。その被害を一つずつ質す。一つずつ返す。商会の蔵が底をつくまで。
「返しきれぬなら商会の家屋。蔵。船。すべてをもって充てる」
理事の声に容赦はなかった。
会頭が初めて顔を上げた。
「……すべて、と言われるか」
声がかすれていた。
「蔵も。船も。あれは商会の血だ。あれを失えば、商会は──」
「その血で、何十年も人を欺いてきた」
理事は静かに遮った。
「偽りで得たものだ。偽りを正すのに使う。それだけのことだ」
会頭は口を閉じた。返す言葉がなかった。
俺の隣でミレイユが小さく息をついた。
「これで救われる人が、たくさんいる」
ミレイユの声は静かだった。買い叩かれた素材。値を削られた品。連合じゅうの真面目な作り手が長いあいだ泣かされてきた。その分が、いま戻る。三年もの借金に追われたグラナのギルドも、もとはこの商会の利子の鎖につながれていた。その鎖を断ち切ったときの、ミレイユの横顔を思い出した。
「三つ」
理事は文の最後の一行に目を落とした。
「会頭ゲオルク・バルロに処分を通告する。連合の商いに関わるすべての役から退くこと。今後、連合じゅうのいかなる商いにも保証人として名を連ねることを禁ずる」
会頭はうつむいたまま聞いていた。
商いから退く。
それはこの男のすべてだった。若いころから商いだけを見て生きてきた。家族より友より、商いを選んできた。その商いから退けと組合が告げた。
会頭は何も言わなかった。
ただ丸めた背がまた少し丸くなった。
壇の端で、一人の女が父の横顔を見つめていた。
セレネだ。銀の徽章の令嬢。理事の娘だった。父が裁きを読み上げるあいだ、ずっと口を結んでいた。その父はかつて商会の品を扱い、商会の保証を信じてきた組合の一員でもある。裁く側も、無傷ではいられない。
セレネの目に迷いはなかった。だが、楽な裁きでもなかった。父が一字ずつ咎を定めるたびに、その横顔がわずかに強ばっていくのが分かった。
◇
理事は文を閉じた。
「以上が商会の咎だ。──申し開きがあるなら、いま聞く」
広間の目がいっせいに会頭へ向いた。
会頭はしばらくうつむいていた。それからゆっくりと顔を上げた。
その目にはまだ何かが残っていた。長年商いを束ねてきた男の意地だ。落ちるところまで落ちてなお、消えきらぬ何か。
「……一つだけ」
会頭の声はかすれていた。
「申し開きを、させてもらおう」
広間がまた静まった。
俺は隅でその背を見ていた。
胸に湧くものはなかった。勝ち誇る気持ちも溜飲を下げる思いも。ただ目の前で一つの大きなものが崩れていくのを静かに見ていた。
俺がしたのは品を視ただけだ。悪い品を弾いた。嘘を見抜いた。検品係として当たり前のことを当たり前にしただけだった。
なのにそれが何十年もの嘘を崩した。
なぜみんな、これを見ずにいられたんだろう。墨の違い。土の目。銀の色。並べれば誰の目にも浮かぶものを。
分からなかった。
たぶん、見ようとしなかったのだ。商会の印を信じれば、自分で確かめずに済む。楽だからだ。その楽が何十年も積もって、こうなった。会頭が楽な儲けを選び続けたのと、根は同じだったのかもしれない。
誰も悪くなかった。だが誰も、確かめなかった。その積み重ねが、いま一人の男を膝に落としている。
俺はそんなことを、ぼんやり考えていた。
ただ会頭の最後の申し開きが何なのか。それだけが気にかかった。
会頭が口を開いた。
その一言が、この長い嘘の終わりの始まりだった。
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