第70話 蔵の真実
検めは、三日続いた。
机の上の品はすべて検め終えた。脇に寄せられた偽りの品は、山と積み上がった。産地を偽った品が、四十を超えた。延べ銀。絨毯。宝飾。陶器。香木。どれも、商会の保証つきで売られたものだった。
俺の来歴の目は、決め手の品だけに使った。あとは徽章持ちが証文を突き合わせ、書き換えの跡を一つずつ見つけていった。
束ねれば、嘘は隠せない。それが、はっきりと形になった。
理事は積み上がった品の山を、長いあいだ見ていた。
それから、一枚の文に署名をした。
バルロ商会への、召し出し状だった。
◇
メルダート。バルロ商会の館。
召し出し状が会頭のもとへ届いた。
組合本部へ出頭し、産地の偽りについて答えよ。三日のうちに。文には、そう記されていた。
会頭はその紙を机に置いた。
手がわずかに震えていた。長年、連合じゅうの商いを束ねてきた手だ。その手がいま、一枚の召し出し状を前に震えている。
会頭は検品場の主任を呼んだ。
「蔵の証文は、始末したな」
会頭の声は低かった。すがるような響きがあった。
「あれさえ消えていれば、品だけでは決め手にならぬ。墨の違いなど、後から付けたと言い張れる。──消したと言え」
主任はしばらく口を開かなかった。
白髪まじりの岩のような男だ。長年この検品場を預かってきた。会頭の若いころも知っている。商会が大きくなっていくのも、傾いていくのも、ずっと間近で見てきた。
「……会頭」
主任は静かに言った。
「私は、四十年、この蔵を守ってきました」
会頭が顔を上げた。
「良い品を、良い品として送り出す。それが検品の務めだと思っておりました。ですがいつからか、蔵の奥に別の帳面が積まれるようになった。産地を書き換えた控え。日付をいじった覚え。──私はそれを、見て見ぬふりをしてきました」
主任の声は震えていなかった。ただ深かった。
「もう、見て見ぬふりはできません」
「貴様……」
会頭の顔がこわばった。
「裏切るのか。この商会を。わしを」
主任は首を横に振った。
「裏切るのではありません」
その目はまっすぐだった。
「ただ、嘘を嘘のままにはできぬのです。あの証文を信じて、銭を払った人がいる。誇りにした人がいる。その人たちに、私は顔向けができません。──四十年守ってきた蔵を、最後に本当のものにしたいのです」
会頭は何も言えなかった。
主任は深く頭を下げた。それから背を向けて、部屋を出ていった。
会頭は一人、机の前に残された。震える手をただ見下ろしていた。
◇
主任は蔵へ向かった。
奥の棚から、布に包んだ束を取り出す。会頭が「焼け」と命じた、あの証文の控えだ。焼かずに、仕舞っておいた束。
主任はそれを抱えて、検品場を出た。
裏門をくぐる。荷馬車のいない静まり返った裏門だ。四十年、毎日くぐった門だった。主任は一度だけ振り返り、それから二度と振り返らなかった。
かつて、銀の徽章の青年も、この門を出ていった。商会を辞めてグラナへ向かった。今度は、主任の番だった。
商会から、また一人、良心が抜けていく。
主任は街の北へ歩いた。組合本部のある高台の方角だ。手の中の束は見た目より重かった。紙の重さではない。四十年、見て見ぬふりをしてきた、その重さだった。
道の途中で、主任はふと足を止めた。
懐に手を当てる。だが、そこにはもう何もなかった。長く持っていた、なまくら石の一片。あれはもう、グラナのレイに託した。次に託すのは、この束だ。
石を託したときから、心は、決まっていたのかもしれなかった。
主任はまた歩き出した。今度は迷いがなかった。
◇
組合本部。
その日の夕刻。一人の男が、門を訪ねてきた。
白髪まじりの岩のような男。布に包んだ束を、大事そうに抱えている。
俺はその顔を見て、息を呑んだ。
「主任……」
商会の検品場の主任だ。俺が六年隣で働いた人。俺の名に最初に気づいてくれた人。追い出された俺を、ただ一人案じてくれた人だった。
主任は俺を見て、わずかに目を細めた。
「……レイ。大きくなったな」
その声に、俺は何も言えなくなった。
主任は抱えていた束を、理事の前に置いた。
「商会の蔵にあった、産地を書き換えた控えです。何十年分の。会頭は、これを焼けと命じました。ですが焼けませんでした」
主任は束を、ゆっくりと開いた。
古い証文の写し。書き換えの元になった、もとの帳面。「南鉱」を「北鉱」へ。「西の窯」を書き直した跡。商会自身の手で記された、嘘の覚えだった。
理事が束を手に取った。一枚、一枚とめくっていく。
「……これは」
理事の声が低く震えた。
「品の墨だけでは、後から付けたと言い張られたかもしれぬ。だが、これは商会自身が記した控えだ。書き換えの元と、書き換えた先が、両方そろっている。──言い逃れは、できぬ」
俺は主任を見た。
「いいんですか。これを出して。商会を、辞めることになる」
主任は静かにうなずいた。
「四十年、嘘の上に立っていた。最後くらい、本当のことの上に立ちたい」
それからふと表情をやわらげた。
「お前が、グラナで、ありがとうと言われていると聞いた。──よかった。お前は、ここでは、一度も言われなかったからな」
俺の胸が熱くなった。
追い出されたあの日、誰も俺を見送らなかった。だが、この人だけはずっと、俺を気にかけてくれていた。それが、いま分かった。
そばで聞いていたミレイユが、そっと主任に頭を下げる。
「グラナのギルド長です。レイが、うちの街を何度も救ってくれました。──あなたが昔、この人を案じてくれたから、いまのレイがいる。礼を言わせてください」
主任は、ばつが悪そうに、白髪まじりの頭をかいた。
「私は何も。ただ見ていただけです。良い仕事をする男が報われぬのを、ただ歯がゆく見ていただけで」
フィオナが横から口を出した。
「見てるだけでも、立派よ。商会には、見て見ぬふりをした人ばっかりだったんでしょ。あんたは最後に、ちゃんと動いた」
主任は少しだけ、笑ったように見えた。
主任の差し出した控えで、検めは、決め手を得た。
品の嘘。証文の書き換え。そして商会自身の記した控え。三つがそろった。徽章持ちでも、誰の目でも、もう、覆せない証しだった。
理事は束を閉じて、静かに言った。
「明日、会頭を召し出す。──逃げ道は、もうない」
俺は窓の外を見た。
明日、俺は会頭と会う。
俺を「検品など誰にでもできる」と切り捨てた、あの会頭と。四年と少しぶりに。
その日が、すぐそこまで来ていた。
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