第64話 銘を彫り直す
銅の徽章の使いは理事の文を携えていた。
ミレイユとセレネがそれを開いた。セレネの父──組合理事からの返事だ。
文は短かった。だが重かった。
産地の偽りは、組合がもっとも重く見る罪である。連合じゅうの取引が、産地の信用の上に成り立っているからだ。理事はこの件を捨て置かない。そう書かれていた。
「父が、動く気になった」
セレネがほっとしたように息をついた。
だが文には続きがあった。
「組合が正式に動くには徽章持ちの目で確かめられる証しがいる。墨の違いだけでは弱い。安い産地の品を、高い産地の品と偽った。その偽りを誰が見ても分かるかたちで一つ立ててほしい」
セレネが眉を寄せた。
「父の言うとおりよ。墨の違いは、後から付けたと言い張られたら終わり。来歴を視たのが本物だと徽章持ちにも分かる証しがいる」
使いの男が口を開いた。
「私が、その証しを見届けに参りました。組合本部の名代として。確かな一件があれば本部へ持ち帰ります」
ちょうどその日。
一人の冒険者が、剣を担いでギルドへ来た。
古びた立派な剣だった。鞘も柄も年代物の風格がある。使い込まれた革の柄巻き。鈍く光る鍔。ただ置いてあるだけで、見る者を黙らせる重みがあった。
「これは親父の形見でな。名匠ドルガの銘が入っている。連合じゅうで名の通った鍛冶だ。親父は一生この剣を腰から離さなかった。──だが近ごろの噂を聞いて、本物か気になってきた」
冒険者の声には、確かめたいような、確かめたくないような揺れがあった。本物だと言ってほしい。だが嘘なら、それも知りたい。最近ここへ来る客は、みな同じ顔をしている。
冒険者は剣を鞘から抜いた。刃元に小さく銘が刻まれていた。「ドルガ」と。
セレネがすぐにガロを呼びにやった。
ガロが鍛冶場から出てきた。
偏屈な老鍛冶は剣を一目見るなり鼻を鳴らした。
「ふん」
ガロは剣を手に取った。刃を光にかざす。鎬の線を指でなぞる。峰を爪で弾いて、音を聞く。
長いあいだ無言だった。
それからぽつりと言った。
「これは、ドルガの手じゃねえ」
冒険者が目を見開いた。
「な──」
「ドルガの鍛えは、鎬がもっと鋭い。刃文の波がこんなにだらしなくねえ。叩く手の数がまるで違う。こいつは腕は悪くねえが、ドルガじゃねえ。別の鍛冶だ」
ガロは刃元の銘を指で叩いた。
「それに、この銘の彫り。ドルガの銘はもっと深く、ひと息で切る。こいつは彫りが浅くて線がためらってる。あとから別の手で彫ったもんだ」
冒険者の顔から血の気が引いた。
「では、これは……贋作か」
「贋作ってより、銘の偽りだな」
ガロは剣を冒険者に返した。
「剣そのものは悪かねえ。だがドルガの銘がついてるから、十倍の値がついた。中身は、無名の鍛冶の剣だ」
ガロは、ふんと鼻を鳴らした。それから、低く吐き捨てた。
「腕のいい鍛冶ってのは、田舎にもいる。名がねえだけだ。その剣を安く買い叩いて、別の名を貼って高く売る。──打った鍛冶への侮りだ。鉄を打ったことのねえ奴の、考えそうなことよ」
俺は、その言葉が胸に残った。
名のない鍛冶が、汗を流して打った剣。その剣に、別の誰かの名が貼られる。打った当人は、安い銭しか受け取れない。儲けは、名を貼った商会のものになる。
作り手が報われない。それは、俺が商会で六年見てきたことと、同じだった。
そこで俺は、剣を借りた。
ガロの目が作りからそれを見抜いた。なら来歴がそれを裏づけるはずだ。
念じた。頭の奥がじんと重くなる。
視えてきたのは、小さな鍛冶場だった。名のない田舎の鍛冶だ。腕はいい。だが銘を売るほどの名はない。打ち上がった剣は銘もないまま、安く商会に買い取られた。
それが、商会の蔵に運ばれる。
蔵で職人が鏨を握る。刃元にひと文字ずつ彫っていく。「ド」「ル」「ガ」と。
無名の剣が、名匠の剣に化けた瞬間だった。
刃そのものは、何も変わっていない。同じ鉄。同じ鍛え。同じ切れ味だ。変わったのは、刃元に彫られた三つの文字だけ。
たったそれだけで、値が十倍になる。
名というのは、不思議なものだと思った。中身は同じでも、名がつくだけで人は十倍の銭を払う。商会は、そこに目をつけた。中身を良くするより、名を貼るほうが安く儲かる。
俺は目を開けた。
「ガロさんの言うとおりです」
俺は静かに言った。
「この剣を打ったのは名のない田舎の鍛冶です。銘はありませんでした。それを商会が安く買い取り、蔵で『ドルガ』の銘を彫り足したんです。作った人と銘の人が別なんです」
冒険者は握った剣を見下ろした。
「親父は……これを、宝にしていた。名匠の剣だと、誇りにしていた」
その声に、俺はかける言葉を持たなかった。
また一つ、誰かの誇りが商会の嘘でできていた。
使いの男が進み出た。
銅の徽章の鑑定士だ。男は剣を借りて、刃元の銘をじっくりと検めた。
しばらくして男は顔を上げた。
「……銘の彫りの深さが、刃のほかの傷と違う。鏨の入れ方が新しい。これは後から彫ったものだ。私の目でも確かに分かる」
男はガロを見た。
「そして鍛冶の親方が、作りそのものから別人と見抜いた。職人の目と彫りの跡。この二つがそろえば来歴の目に頼らずとも、組合は動ける」
男の声がわずかに高ぶった。
「これは、本部へ持ち帰れる証しだ」
使いの男は、剣の銘と彫りの跡を丁寧に写し取った。
それからふと俺に尋ねた。
「一つ訊いてもいいか。あなたはなぜこの剣の刃元を、最初から疑った? ガロ殿が呼ばれる前から、あなたはこの剣を視ていたように見えた」
俺は少し考えた。
「疑ったわけじゃありません。ただ、刃の感じと銘の感じがちぐはぐだったので」
男はしばらく俺を見ていた。
それから深く息をついた。
「……刃と銘がちぐはぐ、か。私たちは徽章をかざして等級と状態を読む。だが刃と銘のちぐはぐさなど、考えたこともなかった。あなたは品の声を聞いているんだな」
◇
その夜。
使いの男は剣の証しを携えてメルダートへ発った。
ガロの見立て。彫りの跡。冒険者の証言。それらを束ねた確かな一件だ。来歴の目に頼らずとも、徽章持ちが確かめられる証し。
組合が、ついに動く。
偽の印のときは、グラナと商会の二つの街の争いだった。だが産地と銘の偽りは、連合じゅうを束ねる組合を動かそうとしていた。
俺は机に残った剣の写しを見た。
商会が彫り足した三つの文字。
あの蔵で、いったいどれだけの品に嘘の文字が彫られてきたのだろう。
その数を思うと、頭の奥がまた鈍く痛んだ。
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