第63話 理事への文
セレネは三日かけて父への文を書いた。
書いては破り、また書いた。机の脇に丸めた紙くずが山になっていた。
俺は不思議に思った。視たことをそのまま書けばいいのに、と。
「そう簡単じゃないのよ」
セレネは筆を置いてため息をついた。
「相手は組合の理事。連合じゅうの鑑定を束ねる人。いいかげんな文を送れば、それだけで取り合ってもらえない。証しの一つひとつを隙なく並べないと」
セレネは指を折って数えた。
「まず、品がある。北鉱と偽られた青玉。北の名匠と偽られた燭台。それぞれ証文がついてる。墨の色が違う。書き換えの跡がある。これは誰が見ても分かる証し」
俺はうなずいた。
「次に、あなたの目。来歴を視て、どこから来たかを言い当てた。でも──」
セレネは少し言い淀んだ。
「あなたの目は、組合の証しにはならないの」
「徽章がないからですか」
俺が訊くと、セレネは申し訳なさそうにうなずいた。
「ええ。組合は徽章を持つ者の見立てしか正式には認めない。あなたの目がどれだけ本物でも紙の上では『無資格の者の言い分』にしかならない」
俺は別に気にしなかった。
徽章なんて、もとから持っていない。検品係に徽章はいらなかった。視えるものを視て、弾くものを弾く。それで六年やってきた。紙の上でどう書かれようと、視えるものは視える。
むしろ少し、ほっとした。
俺の目が組合の証しにならないなら、責めも俺一人に向かう。組合の偉い人たちが、無資格の田舎者の言い分にどう振り回されたか、などと後で言われずに済む。
俺はただ、視えたものを言うだけでいい。それを証しに仕立てるのは、徽章を持つ人の仕事だ。役割が分かれているのは、悪くなかった。
「でもね」
セレネが顔を上げた。
「あなたの目が証しにならなくても、あなたの目が指し示した先には、証しがある。墨の違い。書き換えの跡。安い産地の品としての作り。それを私の徽章で裏づければ組合も無視できない」
なるほど、と思った。
俺の目は、どこを見ればいいかを教える。そこに何があるかは、品そのものが語る。
俺が「この証文は書き換えられている」と言う。するとセレネが目を凝らし墨の違いを見つける。職人がその品を調べ、安い産地の作りだと認める。
俺の目は、入り口だ。
扉を開けたあとは、品と証文が、自分で真実を語り出す。
「あなたの目がなくても、たどり着けるように書くの」
セレネはまた筆を取った。
「あなたの目が、まず気づく。でも、たどり着いた先の証しは徽章持ちの誰が見ても確かめられる。──そういう文にすれば、父も動かざるを得ない」
ミレイユも文に名を連ねた。
「冒険者ギルドの長として、わたしも証言する。商会の保証つきの品に産地の偽りがあった。被害に遭った者が、現にうちへ何人も来ている、と」
ミレイユは静かに言った。
「グラナ一つの言い分なら、後発の街のやっかみと思われるかもしれない。でも、被害者の名と品と証文がそろえば。それはもう、やっかみじゃない」
文には、これまでに来た客の名と、持ち込まれた品の覚えが、びっしりと添えられた。
北鉱の青玉。北の名匠の燭台。南の香木を北の香木と偽ったもの。一つひとつに、証文の書き換えの跡が記された。
文が仕上がった夜。
セレネは封をする前にそれを俺に見せた。
長い文だった。事実だけが、淡々と並んでいた。怒りも嘆きも書かれていなかった。ただ「これが起きている」という事実が隙なく積まれていた。
「いい文ですね」
俺が言うと、セレネは少しだけ笑った。
「鑑定士の報告は、こうでなきゃ。感じたことじゃなく視えたことを書く。──あなたから、教わったことよ」
その夜、文は隊商の手に託された。馬車で四日。メルダートの組合本部へ。
◇
メルダート。バルロ商会の館。
会頭は焦っていた。
産地の偽りが、グラナで一つ、また一つと暴かれている。その話が、連合じゅうへ広がり始めていた。
偽の印の件だけなら、まだよかった。あれは「検めの甘さ」で言い逃れもできた。だが産地の書き換えは違う。あれは「商いの不正」だ。何十年もかけて、商会がついてきた嘘だ。
会頭は古い取引先に、使いを送った。
昔、北鉱の品として売ったものをいまさら南だと言われては困る。あれは確かに北鉱のものだったと口をそろえてほしい。そう頼んだ。
だが、返ってきた答えは、冷たかった。
ある取引先は、こう言った。
「あんたのところの品が偽りだったなら、それを高く売ったわしも、客を欺いたことになる。──いまさら庇えるか。こちらまで巻き込む気か」
別の取引先は、もっと素っ気なかった。
「グラナの目利きは、品の来た道を視るという。庇い立てしても、いずれその目に暴かれる。火の粉は浴びたくない」
誰も口裏を合わせてはくれなかった。
むしろ商会から距離を置こうとした。沈む舟から人が逃げるように。
なかには、こんなことを言う者まで出た。
「思えば、あんたのところの品には、前からおかしなものが混じっていた。北の品だと言われて買ったのに、どうも安っぽい。あのときは気のせいだと思ったが──」
いったん疑いが芽生えると、人は過去の取引まで疑い出す。今まで見逃してきた小さな引っかかりが急に意味を持ち始める。
商会の積み上げてきた取引の一つひとつが、後ろから掘り返されていく。会頭はそれを、止めるすべを持たなかった。
会頭は、ひとり館で唇を噛んだ。
長い年月、商会の名は連合じゅうに通っていた。困ったときは、誰もが力を貸した。商会に恩のある者が、いくらでもいたはずだった。
それが、いまは違う。
恩を返すどころか誰もが我が身を守るのに必死だった。商会の名は、もう守る価値のあるものではなくなっていた。
信用とは、いざというときに人が力を貸してくれること。その信用が、根こそぎ消えていた。
会頭は、机の奥の古い帳面の束を、ぎゅっと握りしめた。
あの帳面さえ、誰の目にも触れなければ。
だが、その望みが、もう叶わぬことも──会頭は薄々、感じ始めていた。
◇
文が組合本部へ届くのに、四日かかる。
その四日のあいだもグラナへは客が来た。
俺は一日に三品ずつ、来歴を視た。北の宝飾。南の織物。書き換えられた証文。一つずつ、嘘を掘り起こした。
頭の奥は、毎日重かった。だが、やめるわけにはいかなかった。
待っている人がいる。先代の宝を、本物だと信じたい人。偽物だったなら、せめてそれを知りたい人。
ある朝、ギルドの戸口に見慣れない男が立っていた。
胸に、銅の徽章が光っていた。
「グラナの目利き殿に、組合本部から、使いで参りました」
理事からの返事が思ったより早く届こうとしていた。
本作は毎日更新中です。ブックマークしておくと更新通知が届きます。続きをお見逃しなく。




