第62話 確かめたい人たち
青い宝玉の話は思ったより速く広がった。
偽印を見分けた話のときと同じだ。隊商の御者が運び、市場の客がしゃべり、宿の客が次の街へ持っていく。噂は人の足で歩く。
北鉱の宝玉が、実は南の安い掘り場のものだった。グラナの目利きが、品の来た道を視て、それを暴いた。
その話を聞いた者たちが、自分の手元の品を見直し始めた。
うちの絨毯は本当に名産地のものか。先代から伝わるこの燭台は。あの高い香木は。商会の保証つきで買ったあの品も──。
不安になった者から順にグラナへ来た。
馬車で半日の村から。隣のキランから。もっと遠い街から。みな大事な品を抱えて、後発の小さな街へやってきた。少し前まで誰も足を止めなかった街だ。それがいまでは、品の真贋を確かめに人が遠くから訪ねてくる場所になっていた。
不思議なものだと思う。俺はただ視えるものを言っているだけだ。なのに人が集まる。
朝、ギルドの戸口に列ができていた。
みな手に何かを抱えていた。布の包み。古い箱。証文の束。それぞれの家の、大事な品だ。
「目利き殿。これを視てもらえないか」
「うちの先代が買ったものだ。本物か、確かめたい」
俺は少し困った。
来歴を視るのは疲れる。一つ視れば頭の奥がじんと重くなる。一日に三つか四つが、たぶん限りだ。それ以上やれば、夕方には目の前がかすむ。
この列の品を、全部は視られない。
ミレイユが横で、てきぱきと列を仕切った。
「まず、ふつうの目利きで済むものと、来歴まで視ないと分からないものを、分けます」
ミレイユは客の一人ひとりに尋ねた。
「あなたのは、罅や傷が心配なの? それとも、産地そのものが疑わしいの?」
罅や傷なら、来歴はいらない。俺の目はそれをいつもどおり一目で読める。罅。腐り。中の荒れ。それは触れずとも視える。
産地そのものが疑わしいときだけ。品の来た道を辿る、あの重い目がいる。
だから前者から先に捌いた。
最初の客は織物の女だった。
古い絨毯を広げた。深い赤の地に細かな模様が織り込まれている。
「これは、東の名産地の絨毯だと言われて買いました。でも、もしや、あれも嘘なのではと」
俺は絨毯に手を当てた。
糸の張り。織りの密。染めの深さ。
迷ったが、念じてみた。これがどこから来たのかを。
頭が重くなる。だが視えた道は、まっすぐだった。
東の高地。寒い土地の羊。手間をかけた染め。腕のいい織り手の指。荷に積まれ、まっとうな道を通って、この女の家まで来ていた。
俺は手を離した。
「……これは、本物です」
女の顔が、ぱっと明るくなった。
「本当に?」
「はい。東の高地の羊毛です。染めも織りも、ごまかしがありません。良い絨毯です。大事にしてください」
女は絨毯を抱きしめるようにして、何度も頭を下げて帰っていった。
俺は少し、ほっとした。
来歴を視るのは、嘘を暴くためだけじゃない。本物を本物だとはっきり言ってやれる。それも目利きの仕事だ。
疑い始めると、人はすべてが嘘に見えてくる。先代から受け継いだ宝も急に色あせて見える。
そういうとき、「それは本物だ」と言ってやれる者がいる。それだけで、人の胸の重しが下りる。
全部が偽物なわけじゃない。商会だって、まっとうに仕入れた品も多い。嘘が混じっているから、本物まで疑われる。
だから一つずつ、分けてやる。本物は本物。偽物は偽物。
それが、いま俺にできることだった。
次の客は年配の男だった。
布で巻いた銀の燭台をそっと机に置いた。
「これは……北の名匠の作だと聞いて、大枚をはたいた。商会の保証つきでな」
俺は燭台を手に取った。
銀の艶。重み。底に小さな刻印。北の名匠の印だ。
だが刻印の銀の色が本体とわずかに違った。
念じた。頭の奥が、また鈍く鳴る。
視えたのは、南の小さな鋳物場だった。安い銀で量産された燭台。それが商会の蔵に運ばれる。蔵で職人が小さな鏨を握る。底に北の名匠の刻印をあとから打ち込む。
俺は目を開いた。
「……これは、北の名匠の作じゃありません」
男の肩が、がくりと落ちた。
「やはり、か」
「南の鋳物場のものです。安い銀です。北の刻印は、商会の蔵であとから打ち込まれてます。だから刻印の銀の色だけ、本体と違うんです」
俺は刻印を指した。男は目を凝らし、長いあいだそれを見ていた。
男は怒らなかった。
ただ深いため息をついた。
「わしは商会を信じていた。秤と麦穂の印を見れば、安心だと思っていた。──その印が、いちばん信じられんものだったとはな」
その声に俺は何も返せなかった。
商会の紋。秤と麦穂。俺が六年、検品場の壁で見上げてきた印だ。
あの印は、公平な商いの印のはずだった。秤は正しく量り、麦穂は実りを分かち合う。そういう意味のはずだった。
その印が、嘘の保証の印になっていた。
◇
その日、俺が来歴で視られたのは三品だけだった。
夕方には、もう頭の芯が痛んだ。目の前の文字がにじんだ。それ以上は、視ようとしても視えなかった。無理に念じれば、ただ疲れるだけだ。
列の客はまだ残っていた。
「すまない。今日はここまでなんです」
俺が頭を下げると、客たちは案外、素直にうなずいた。
「いや、構わん。明日また来る」
「一日にそれだけしか視られんのか。大変な目だな」
誰も急かさなかった。
俺の目がただの便利な道具ではないと、みな分かってきたらしい。
フィオナが列の客に水を配って回っていた。ドニは戸口で順番を整えていた。トーロは遠くから来た客の馬の世話をしていた。
俺一人では、とても捌けない数だ。だがギルドのみんなが、それぞれのやり方で支えてくれる。
一人の目では足りないところを、みんなの手が埋めてくれる。商会の検め蔵とは、そこが違った。あちらは鑑定士一人にすべてを背負わせていた。
セレネが机を片づけながら、ぽつりと言った。
「これ、グラナだけの話じゃ、もう収まらないわ」
俺は顔を上げた。
「今日来た客だけで、北の宝玉、北の名匠の燭台、それから昨日は南の香木。──全部、商会が産地を偽って売ったもの。連合じゅうに、どれだけ撒かれていると思う?」
セレネの声は低かった。
「何十年も、商会はこれをやってきた。連合じゅうに、嘘の産地の品が、数えきれないほど出回ってる。──これは、組合が動かなきゃいけない話よ」
組合。
セレネは銀の徽章を握りしめた。
「産地を偽る。それは組合でいちばん重い罪。徽章持ちでも見抜けないからこそ、誰もが信用で取引してる。その信用の土台を、商会は何十年もかけて腐らせてきた」
セレネは俺を見た。その目は、いつになく真剣だった。
「父に……組合の理事に、報せる。これは支部の手に余る。本部が、連合ぜんたいで調べなきゃいけない話よ」
俺はうなずいた。
偽の印は、商会の小さな嘘だった。だが産地の偽りはもっと大きく、もっと古い。商会一つでは収まらない。
その夜、セレネは机に向かい、父への長い文を書き始めた。
俺の来歴の目が掘り起こした商会の古い嘘。
それが、グラナの外へ、連合の真ん中へ、動き出そうとしていた。
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