第56話 盗んだ看板
メルダート。バルロ商会。
会頭のもとへ、その報せが届いたのは数日後だった。
グラナの市場で、偽の印が人前で暴かれた。商会が目利きの印を真似て、外れを売っていた。それが連合じゅうに知れ渡り始めている。
会頭は報せの文を握ったまま、しばらく動かなかった。
「……見分けた、だと。印を。本物と偽物を」
「はい。なんでも、品の来歴を視たとか。どこを通ってきたか、グラナを通ったか商会の蔵を通ったか。それを一つずつ言い当てたそうで」
使いの者の声が震えていた。
会頭は低くうめいた。
印は、瓜二つに彫らせた。誰にも見分けられぬはずだった。形さえ盗めば、中身など問われぬはずだった。それをあの男は見分けた。形ではなく、品の歩いてきた道で。
そんな目が、あるものか。
だが会頭には心当たりがあった。
かつて自分の検品場にいた男。代表の品ではなく、一つ残らず視ていた男。底も、芯も、奥も見抜いた男。会頭が誰でもできる雑用だと切り捨てた、あの検品係だ。
あの男なら。
あの男の目になら、できるのかもしれない。
会頭はその考えを振り払おうとした。だが振り払えなかった。返品の山。離れた隊商。痩せた信用。横取りの失敗。そして今度は、偽の印が暴かれた。
すべての糸が、一本のところへつながっていた。
あの男を切ってから、商会は転がり落ち続けている。
もう誤差ではなかった。たまたまでもなかった。会頭はとうに、それを分かっていた。分かっていて、なお認めたくなかった。認めれば、自分が宝を捨てた愚か者だと、みずから証すことになる。
偽の印の話は、商会の信用をさらに深く抉った。
これまでの返品や苦情はまだ「検めが甘い」で済んでいた。だが今度は違った。商会がよその街の印を盗んだ。商会が外れを承知で偽の保証をつけて売った。──それは、検めの甘さではない。商いの不正だった。
隊商組合がざわついた。
「バルロ商会は、グラナの印を盗んで、外れを売ったらしい」
「保証つきと偽って、腐った肉を売ったとか」
「あそこの『商会の名』も、もう当てにならんな」
商会の名は、かつて連合じゅうで通る看板だった。その看板に自分で泥を塗った。盗んだ看板で外れを売り、本物の看板まで地に落とした。
階段を、また一段、商会は転げ落ちた。前よりもずっと低いところへ。
横取りのときは、まだ「品の検めが甘かった」で言い訳が立った。だが偽の印は違う。よその街の信用を、そっくり盗もうとした。盗んで外れに貼りつけて、銭に換えようとした。それが露見した。
商人にとって、いちばん高くつく汚名だった。検めが下手な商会なら検め直せば済む。だが嘘をつく商会とは誰も商いたくない。一度ついた「盗む商会」の名は、千の良い品でももう洗い流せなかった。
古い取引先が、一つまた一つと商会から離れていった。会頭が長い年月をかけて築いた販路が、足元からほどけ始めていた。
◇
商会の検め蔵。
銀の徽章の青年が、主任のそばに立っていた。
「主任。──もう、無理です。わたしには、この商会の品を守りきれません」
青年の声は疲れ果てていた。
「抜き取りでは底も芯も見抜けない。全部を視るには人が足りない。そのうえ会頭は外れの品に偽の印まで押させた。──わたしは、何のために、徽章を持っているのか、分からなくなりました」
主任は白髪まじりの頭をゆっくりと振った。
主任は懐から、小さな鉄の欠片を取り出した。いつか沢の調査者が持ち帰った、なまくら石の一片だ。主任がこっそり一つ、懐に残していたものだった。
「お前さんはまじめだ。だからこそ、この商会には、長くいられんかもしれん」
主任の目は遠くを見ていた。
その手の中の鉄の欠片。打てば化けるなまくら石だ。だが商会の誰にも、それを打つ術はない。化けさせる手順を知るのは、あの男と、グラナの老鍛冶だけ。主任はそれを承知のうえで、一片を懐に残していた。いつか何かの役に立つときのために。
商会を立て直す道は、もう会頭の手の中にはなかった。そのことを、この蔵にいる二人は誰よりも先に知っていた。
◇
グラナ。ギルド。
偽の印の騒ぎが収まったあと、街には、前よりも強い評判が立っていた。
目利きの印は、偽物さえ見分けられる。盗もうとしても、品の来た道までは盗めない。だから目利きの印こそ、本物。
皮肉なことに、商会が偽の印を作ったおかげで、本物の印の値打ちが、かえって上がっていた。
偽物が出れば本物が際立つ。盗もうとして盗めなかったものこそ、いちばん確かなものだ。人々はそう知った。目利きの印は、盗んでも中身まではついてこない。それを商会自身が、身をもって証してしまった。
目の印を求める作り手が、前にもまして増えた。机に並ぶ品の列が、毎朝長くなった。俺は相変わらず一つずつ視て、悪いところがあれば弾いた。それだけのことだ。だがその「それだけ」が、いまや街の背骨になっていた。
ミレイユは帳面を見ながら、息をついた。
「目利きの印の品が、また売れ始めたわ。商会に流れかけてた作り手も、ぜんぶ戻ってきた。──借金の利子も、もう何月も、自分の力で払えてる」
ミレイユは顔を上げて、俺を見た。
「ねえ、レイ。あと少しなの。商会から借りた銀貨四百枚。──完済まで、もう、あと少し」
その声には、三年ぶんの重みがこもっていた。
俺はうまく言葉が出なくて、ただうなずいた。
◇
その夜。俺は目利きの机の片づけをしていた。
すると一通の古い証文が、品にまぎれて出てきた。冒険者が担保に置いていった、古い借りの証文だ。
俺はなんとなく、それを手に取った。
すると。
文字の墨がにじんで見えた。この証文が、いつどこで誰の手で書かれたのか。──その道筋が、うっすらと視えた。
そして視えてしまった。
この証文の日付は書き換えられていた。あとから別の墨で、上から。
俺はその証文をじっと見た。
品の来歴だけじゃない。証文や書きつけの、本当の出どころまで視えるらしい。
ふと思った。
商会は長いあいだ品を集めて各地へ売ってきた。その品は本当に、商会の言うとおりの産地から来ているんだろうか。証文や帳面に、書き換えはないんだろうか。
俺の新しい目はまだ、その奥を覗いていなかった。
だが覗けば、見えてしまう気がした。
商会が長い年月のあいだに隠してきたものが。
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