第52話 偽の目
メルダート。バルロ商会の奥まった一室。
焼き印が一つ、火にあぶられていた。
鉄の柄の先に、目の形。グラナの目利きの印に、よく似ていた。会頭が職人に彫らせた偽物だ。
職人は腕のいい彫り師だった。市場で目利きの印を一目見て、その形を写し取ってきた。瞳のふくらみ。まぶたの線。端のわずかな反り。どれもよく似せてある。並べても、まず見分けはつかない。
会頭はその焼き印を手に取り、満足げにうなずいた。
あの目利きの印が、それほど効くというなら。商会がその印を真似て押せばいい。本物そっくりの印を、商会の品に押す。買う者は見分けがつかない。目利きが視た品だと思って、安心して買う。
商会の蔵には、抜き取りの検めで余った品が山と積まれていた。底の傷んだ干し肉。湿気た香草。芯に巣のある鉄。グラナの良い品にまぎれて、はじけなかった外れの数々だ。会頭はそこへ目をつけた。
どうせ捨てる品だった。返品されてきた品もあった。買い手のつかぬまま蔵の隅で黴びていく品もあった。それが偽の印ひとつで上物に化ける。会頭にしてみれば、損が儲けに裏返る妙手だった。
会頭は彫り師に、もう数本の焼き印を打たせた。蔵の品をすべて、目利きの保証つきに変えるためだ。鉄の柄が並び、火に焼かれ、目の形が次々と品へ押されていった。
外れの品に、偽の目利きの印を押す。
そうすれば外れも、目利きの保証つきの上物として売れる。
「これで、あの目利きの値打ちは、まるごと商会のものだ」
会頭は低く笑った。
その手の中で偽の目の焼き印が、にぶく光っていた。
◇
数日後。連合じゅうの市場に、目の印を押した品が出回り始めた。
商会の荷馬車が、各地へその品を運んでいく。塩漬けの肉。打ち固めた兜。織りの布。どれにも目の形の焼き印が押してあった。
市場の者たちは、その印を見て喜んだ。
「おお、これがあの評判の目利きの印か。グラナの目利きが視た品だな。なら間違いない」
目利きの印は、もう連合じゅうに知れ渡っていた。バッソの隊商が運び、ハルバの店が並べ、客から客へと評判が伝わっていた。この印のついた品は外れない。誰もがそう信じていた。
だから誰もその印を疑わなかった。
商会の品に押された目の印を、本物の目利きの印だと思い込んだ。
塩漬けの肉が飛ぶように売れた。兜も布も売れた。商会の蔵に眠っていた外れの品が、目利きの保証つきの上物として、次々と買われていった。
ある市では、目の印を見ただけで値が二割上がった。ある宿場では、印のない同じ品より先に印つきの品が売り切れた。買う者は中身を確かめなかった。印さえあれば、目利きが視た品だと信じた。それがこの数月でレイの印が築いた信用の厚さだった。
その信用を商会はそっくり盗んで使っていた。レイの目が一つずつ積み上げたものを、偽の焼き印ひとつで横から掠め取っていた。
会頭のもとには、また明るい報せが届いた。荷は動いている。儲けも出ている。
短い持ち直しが、また始まった。
◇
いっぽう、グラナ。
俺は何も知らずに、いつものように目利きの机に座っていた。
その日並んだのは、狩人の持ち込んだ品だった。
鞣した熊の毛皮。骨を削った釣り針。脂を固めた灯し用の塊。俺はひとつずつ視ていく。
この毛皮は良い。印を押す。この釣り針は、根元に細かい罅がある。引けば折れる。抜く。この脂は、古いのが半分混じっている。半分だけ印。
悪いところのない品にだけ、目の印を押していく。たったそれだけだ。
俺の名が印になっている。いまだに、こそばゆい。だが品が外れなければ、買う者が安心する。それで作り手の顔が明るくなる。それだけは、俺にも分かるようになっていた。
机の向こうで、セレネが帳面に何か書きつけていた。
禁止令が撤けてから、セレネはグラナに移り住んでいた。鑑定士として、俺の目利きを間近で学ぶためだ。俺がどの品をどう視て、何を理由に弾くのか。それを一つずつ帳面に写している。
「あなたは、この釣り針の何を視たの」
「根元です。打ったとき、火の回りが甘くて、内に細かい罅が残ってます」
「……わたしの徽章では、等級も状態も最上と出る。罅なんて、どこにも見えない」
セレネは小さく息を吐いた。
「やっぱり、あなたの目は、おかしいわ。いい意味で」
俺はその言葉に、どう返せばいいか分からず、ただ次の品を手に取った。
ギルドの戸が、勢いよく開いた。
駆け込んできたのは、バッソだった。隊商の御者頭だ。いつもの落ち着きが、その顔にはなかった。
「レイ。ミレイユのお嬢。ちょっと、面倒なことになってるかもしれねえ」
ミレイユが受付から顔を上げた。
「どうしたの、バッソ」
「キランの市で、妙な話を聞いた。──目利きの印のついた塩漬け肉が、腐ってたとよ」
その場の空気が、わずかに張った。
俺は手を止めた。印のついた品が、腐っていた。そんなはずはない。俺は腐った肉に、印を押したことなどない。
「バッソさん。それ、本当ですか」
「ああ。買った冒険者が、店に怒鳴り込んだそうだ。目利きの印を信じて買ったのに、中が腐ってたって。──おかしいだろう。お前さんが視た品が、腐るはずがねえ」
俺は塩漬けの肉に、印を押した覚えがなかった。
この数月、俺が印を押したのは毛皮や蜂蜜や矢や釣り針だ。塩漬けの肉を視たことは、一度もない。
「俺、塩漬けの肉に、印を押してません」
俺がそう言うと、ミレイユとセレネがはっと顔を見合わせた。
セレネがゆっくりと立ち上がった。
「……押していない品に、印がついている」
その声は低く、固かった。
「レイ。それが本当なら、答えは一つよ。──誰かが、あなたの印を、真似て押している」
部屋が、しんとした。
俺の印を、真似る。俺の名で品を売る。そんなことができるのか。
ミレイユの顔から、血の気が引いていた。
「偽の印……商会だわ。レイの引き抜きに失敗して、横取りにも失敗して。──今度は、印そのものを盗もうとしてる」
俺はまだ半分も飲み込めていなかった。
ただ一つだけ胸の奥が、ざわりとした。
俺の名で腐った肉が売られている。俺が視てもいない品に、俺の目の印が押されている。買った人が、それを信じて、損をしている。
俺の名が、知らないところで、誰かを騙している。
その感覚は、品の罅を見つけたときの冷たさとは、まるで違うものだった。
遠い市場のどこかで、偽の目が、笑っていた。
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