表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
51/256

第51話 看板のひび

 ひと月もしないうちに、ぽつりぽつりだった苦情は、声になった。


 メルダート。バルロ商会。


 会頭のもとに、各地の取引先から、返品と苦情の文が束で届き始めた。


 商会の名で買った干し肉の樽。底が腐っていた。商会の名で買った鉄の延べ板。打ってみたら芯に巣があって折れた。商会の名で買った香草。湿気を吸って効きが落ちていた。どれにも、商会の検めを経たという触れ込みがついていた。それが外れだった。


 遠い街では、肝を冷やす騒ぎも起きていた。商会の名で買った延べ板で打った剣が、魔物との戦いの最中に根元から折れた。冒険者はあやうく命を落としかけた。商会の保証つきの品だったから、誰も中身を疑わなかった。それが芯に巣を抱えた鉄だった。


 信用とは、こういうときいちばん高い代償を払う。「商会の品で死にかけた」と一度言われれば、その噂は千の良い品よりも速く広がる。


 会頭は文の束を前に、顔をこわばらせた。


「……どういうことだ。検めは、したのだろう」


 検め蔵から、銀の徽章の青年が呼ばれた。


 青年の顔は青ざめていた。


「申し上げます。荷の量があまりに多すぎました。一人で抜き取りの検めをするのが精一杯で。樽の上は見ました。延べ板の端も見ました。袋の口も。──でも底までは、芯までは、奥までは、とても手が回りませんでした」


「ならば、人を増やせばよかろう」


「徽章持ちの鑑定士は、そうそう増やせません。それに……」


 青年は言いにくそうに、続けた。


「抜き取りでは、もとより底の腐りも芯の巣も、見抜けないのです。代表の一つが良くても、残りが悪ければそれまで。──全部を視るのでなければ、はじけません」


 会頭は黙り込んだ。


 全部を視る。その言葉が胸に刺さった。かつて検品場に、全部を視る男がいた。会頭が誰でもできる雑用だと切り捨てた男だ。


 その場には、検品場の主任もいた。白髪まじりの岩のような男だ。主任は棚の奥から、古びた帳面を一冊持ってきて卓に置いた。六年分の弾き帳。レイが残した、外れを弾いた控えだ。いつか会頭の前に一度置いた、あの帳面だった。


「会頭。この帳面のとおりに弾いていれば、こんな苦情は一つも出なかった。前に申し上げたとおりです。あの男はこれだけのものを、毎日ひとりで視ていた。──いまの蔵には、それができる者がおりません」


 会頭は、その帳面に手も触れなかった。とうに分かっていた。分かっていて、なお、あの男を呼び戻せず、横取りにも失敗した。今さら帳面を見るまでもない。それが、いっそう苦かった。


 ◇


 いっぽう、グラナでは。


 商会に品を流していた作り手たちが、青い顔で、ギルドへ戻ってきた。


「商会に流した品が、外れだったって、突き返された。おれの革はちゃんと作ったのに。なんで……」


 革なめしの親方が肩を落としていた。


 俺はその話を聞いて、首をかしげた。


「親方の革は、いい革ですよ。俺前に視ました。外れてません」


「だ、だが商会の名で売ったら、外れだと」


 俺は少し考え、それからたぶんこうだろうと思ったことを言った。


「親方の革に、商会が別の悪い革を混ぜたんだと思います。商会は、いろんな人から品を集めて、まとめて売ってます。その中の悪い革と親方の革が、商会の名でひとくくりにされて……それでまとめて外れ扱いに」


 親方が目を見開いた。


「じゃあ、おれの革のせいじゃ」


「ないです。商会がちゃんと視ないで、まとめて売ったせいです」


 その話は、すぐに作り手たちのあいだに広まった。


 商会の名で売れば、自分の良い品も他人の悪い品と一緒くたにされる。そしてまとめて「外れ」の烙印を押される。商会の保証は看板こそ大きいが、中身を守ってくれない。


 いっぽう、グラナの目利きの印は、違った。


 レイがひとつずつ視て、悪いものを弾く。印のついた品は外れない。だから印のついた品だけが、苦情を出さず各地で評判を保っていた。


 作り手たちは、はっきりと思い知った。


 商会に流した品は、突き返された。目利きの印をつけた品は、売れ続けている。──どちらが確かか、もう誰の目にも明らかだった。


 商会へ流れかけていた品が、またギルドへ戻ってきた。


「やっぱり、レイの印で売るよ。商会の看板なんか、もういらねえ」


 革なめしの親方がばつが悪そうに、だがきっぱりと言った。


 俺はその様子を、ぼんやり眺めていた。


 よく分からなかった。俺はただ、いつも通り品を視て悪いところがあれば言っただけだ。それなのに、商会の大きな看板がひびだらけになっていく。みんながギルドへ戻ってくる。


 なぜ、こうなるんだろう。俺にはその理屈が、半分しか飲み込めなかった。


 その横でミレイユが、晴れやかに笑っていた。


「ね、言ったでしょ。看板は、中身がついてこなければ、いつか剥がれるって」


「ミレイユさんは、こうなると分かってたんですか」


「ええ。だって商会には、あなたがいないもの」


 俺はその言葉の意味を、また半分くらい考えて、よく分からないままうなずいた。


 その輪に、セレネとフィオナも加わっていた。


「鑑定士として言わせてもらえば、当然の結果ね」


 セレネが、腕を組んで言った。


「品を束で抜き取るやり方では、一つの悪い品を一つの良い品で隠せてしまう。レイのやり方は、その逆。一つも隠させない。──商会は、隠す検め。レイは、隠さない検め。長く商えば、隠さないほうが残るに決まってる」


「むずかしいことは知らないけど」


 フィオナが、にっと笑った。


「ざまあみろ、ってことでしょ」


「……身も蓋もないわね」


 セレネが、小さく息を吐いた。


 ◇


 メルダート。バルロ商会。


 会頭は傾いた帳面を前に、歯がみしていた。


 横取りは裏目に出た。グラナの品を商会の名で売ろうとして、かえって商会の名に自分で泥を塗った。外れの品を商会の保証つきで売りさばいた。隊商はまた、離れ始めている。短い持ち直しは、もう終わっていた。前よりも一段低いところへ落ちた。


 階段を、また一段、転げ落ちた。


 会頭は長いあいだ、考えていた。


 あの目利きの男は来ない。横取りも失敗した。ならば、どうする。あの男の目が生む値打ちを商会のものにする手は、もう一つしか残っていない。


 会頭は低く、つぶやいた。


「……あの目利きの印。あれを、こちらが刷ればいい」


 その目に、暗い光がまた宿った。


 グラナの目利きの印が、それほど効くというなら。その印を商会が真似て刷ればいい。本物そっくりの印を粗悪な品に押して売る。買う者は、見分けがつかない。


 偽の印だった。


 会頭は職人を呼ぶよう命じた。目の形をした焼き印を彫れ、と。


 遠いグラナで、目利きのレイは、まだ知らなかった。自分の名が、自分の知らぬところで偽物に使われようとしていることを。


 そしてその偽物こそが、レイの目を新しい深みへと開かせることになるのを。

面白かったら、ブックマークで応援していただけると更新の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ