表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
50/256

第50話 二つの保証

 商会の横取りは、滑り出しは上々だった。


 グラナの品が、商会の名で連合じゅうへ流れていく。革。鉄。香草。干し肉。どれも商会の検めを経たという触れ込みで、各地の市場に並んだ。グラナの良い品に商会の信用の看板がついた。売れ行きは良かった。


 メルダートの会頭のもとには、久しぶりに明るい報せが届いていた。荷は動いている。儲けも出ている。グラナを潰す代わりにグラナを食う。会頭のもくろみは、当面、形になっていた。


 会頭は満足げに帳面を眺めた。荷の出入りを記す墨の列が、ひさしぶりに右肩上がりに伸びている。


 あの目利きの男など、いらぬ。あの男が値打ちをつけた品を商会の名で売ればいい。これで商会はまた息を吹き返す。そう会頭は思った。


 ここしばらく、商会には暗い報せしか届かなかった。返品の樽。離れていく隊商。痩せ続ける信用。それが、ひさびさに数字が上を向いた。会頭は帳面の墨跡を指でなぞり口の端をゆるめた。やはり力のある者が勝つ。販路を持つ者が勝つ。たかが目利きひとりに、この商会の地力が覆せるものか。


 だが、それは短い持ち直しだった。


 ◇


 いっぽう、グラナのギルドでは。


 商会に品を流す作り手が出て、目先の痛手は、確かにあった。革なめしの親方も香草の老婆も、商会の銭に手を伸ばした。市場に並ぶ品が少し減った。ミレイユの帳面の数字もわずかに沈んだ。


 だがミレイユは慌てていなかった。


 その朝、ミレイユは受付に作り手たちを集めて、こう切り出した。


「商会が、みんなの品を高く買うって言ってるのは、知ってるわ。止めはしない。目先の銭が要る人は、流せばいい。──でも一つだけ、聞いてほしいの」


 ミレイユは一枚の木札を、机に置いた。


 そこには小さく焼き印が押してあった。秤でも麦穂でもない。簡素な、目の形をした印だった。


「これからグラナのギルドは、レイが視た品にこの印をつける。『目利きのレイが検めた品』という印よ。商会の保証じゃない。グラナの目利きの保証なの」


 作り手たちが、ざわめいた。


「目利きの……印?」


「そう。レイがひとつひとつ視て、悪いところがないと認めた品にだけ、この印をつける。──この印のついた品は、まず外れがない。買う人は、それを知ってる。だからこの印のついた品は、商会の名なんかなくても、ちゃんと売れる」


 ミレイユの声は、静かだが芯があった。


「商会は、品をまとめて抜き取りで検める。レイは、ひとつひとつ視る。どっちの保証が確かか。──買う人は、すぐに分かるわ」


 俺はその横で、少し戸惑っていた。


 俺の名が印になる。なんだか、こそばゆかった。俺はただ品を視ているだけだ。それをたいそうな保証のように言われると落ち着かない。


「あの、俺はそんな、たいした」


「あなたが、たいしたことないと思ってるのが、いちばんの強みなのよ」


 ミレイユがふっと笑った。意味は、よく分からなかった。


 その日から、目利きの机に、印を待つ品が並んだ。


 なめした鹿の毛皮。壺に詰めた蜂蜜。羽根を整えた狩りの矢。布で巻いたチーズ。俺はひとつずつ視ていく。この毛皮は端の毛が抜けやすい。返す。この蜂蜜は混ぜ物なし。印を押す。この矢は三本だけ軸が反っている。抜く。残りに印。チーズは良い。印。


 悪いところのない品にだけ、目の焼き印を押していく。たったそれだけのことだ。だがその小さな印が作り手の顔を明るくさせた。印のついた品は高く売れる。買う者が安心する。それが分かるから、作り手も雑な品を出さなくなる。街の品がまた一段、底上げされていった。


 ◇


 その印は思いのほか早く広まった。


 はじめ半信半疑だった隊商の御者たちも、目の印のついた品を運んでみて驚いた。荷崩れしない。腐らない。客から苦情が来ない。バッソが真っ先にその効きを見抜いた。


「この印のついた荷は、安心して運べる。途中で傷んだり着いてから返されたりが、ない。──御者にとっちゃ、これほどありがたい話はねえ」


 バッソは目利きの印のついた品を、優先して運ぶようになった。


 キランの市でも同じだった。ハルバが目の印を一目見て、すぐに値打ちを認めた。


「商会の保証なんぞ、信用ならん。だがあの目利きの坊主が視た品なら、別だ。あたしの店は、この印のついた品しか置かないよ」


 商会と犬猿のハルバは、むしろ嬉々として目利きの印を選んだ。


 こうして、二つの保証が、並んだ。


 商会の名。グラナの目利き。


 商会の名は大きく広く行き渡っていた。だがその中身は、抜き取りの検めだった。グラナの目利きの印は、まだ小さく、狭かった。だがその中身は、ひとつひとつ視た、確かなものだった。


 看板の大きさでは、商会が勝っていた。中身の確かさでは、グラナが勝っていた。


 そして市場というのは、長く商いを続けるほど、中身の確かさが効いてくる。一度や二度なら看板で売れる。だが十度、二十度と買ううちに、客は気づく。どちらの品が外れないかを。


 ミレイユはそれを、よく分かっていた。


「焦らなくていいの。商会は、看板で先に走ってる。でも看板は、中身がついてこなければ、いつか剥がれる。──こっちは、中身で、ゆっくり追い抜けばいい」


 俺はその言葉を、半分くらい分かった気がした。


 その頃。遠い市場で、小さな異変が起き始めていた。


 商会の名で売られたグラナの品。そのいくつかに、外れが混じっていたのだ。


 底の傷んだ干し肉の樽。ひびの入った鉄の延べ板。湿気を吸った香草の袋。どれも、抜き取りの検めでは、見逃された品だった。樽の上のほうは良かった。延べ板の端は良かった。袋の口は良かった。だが底は、芯は、奥は、悪かった。


 買った商人が、首をかしげた。


「商会の検めを経た品のはずだが……これは、いかんな」


 苦情は、まだ、ぽつり、ぽつりだった。


 だがその「ぽつり」は、確かに、灯り始めていた。商会の大きな看板の、ちょうど足元のところで。


 会頭はまだ、それに気づいていなかった。


 一つの苦情は、すぐには響かない。だがそれが二つ三つと重なれば、やがて声になる。商会の名で買った品が外れだった。そういう声が遠い市場の隅で、少しずつ数を増やしていた。看板が大きいほど、足元は見えにくい。傾いた屋台骨を、横取りの儲けが束の間ささえている。その下で新しいひびが、静かに走り始めていた。

面白かったら、ブックマークで応援していただけると更新の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ