表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
48/256

第48話 三倍の給金

 使者の男は帰らなかった。


 返事をもらうまでは動かぬ。そう言って、街の宿に居座った。翌日もギルドへ来た。その翌日も来た。手土産まで携えてだ。商会の上等な品ばかりを、机にずらりと並べてみせる。


 琥珀色の酒の樽。布に包まれた円いチーズ。蜜漬けの干し果実。香りの高い香辛料の小袋。どれも、グラナの市場では滅多にお目にかかれない上物だった。


「ほんの心ばかりの品でございます。皆さんで召し上がってください」


 男はにこやかに言った。


 俺はその品々を、何気なく眺めた。


 そしていつものくせで、視てしまった。


 酒の樽。中ほどまでは上等な葡萄酒だ。だが底の三寸ほどに、安酒が混ぜてある。継ぎ足してかさを増したのだろう。チーズは外側は良いが、芯に近いところがわずかに傷んでいる。あと十日もすれば、表まで黴が回る。干し果実の蜜には、水が足してあった。香辛料は、別の安い草の粉が、二割ほど混ぜ込まれている。


 ……どれも、ひと混ぜしてある。


「……これ、混ぜ物がしてありますね」


 俺はつい、いつもの調子で言ってしまった。


 使者の顔が、一瞬、こわばった。


「混ぜ物、とは」


「酒は底に安酒が。チーズは芯が傷んでます。あと十日で表まで。蜜には水。香辛料は二割ほど別の草が」


 俺は見えたものを、そのまま並べた。隠すつもりも、責めるつもりもなかった。ただ、視えたから言っただけだ。商会にいた頃から、これは呼吸と同じだった。


 使者はしばらく言葉を失っていた。


 それからぎこちなく笑った。


「……いやこれは異なことを。当商会の品に、そのような」


「割ってみれば分かりますよ」


 俺がそう言うと、男はもう何も言い返さなかった。


 その手土産は、商会が「上物」として外へ売る品だった。会頭が、ギルドの歓心を買うために選ばせた、とっておきの品だったのだろう。それすら、混ぜ物がしてある。今の商会は、自分たちの売り物の中身さえ、もう分かっていない。


 ミレイユが後ろで小さく息を吐いた。呆れたような、いっそ哀れむような吐息だった。


 使者は咳払いをして、話を本題へ戻した。


「……レイ殿。返事を、いただきたい。会頭は給金三倍と申しました。だがそれでもご不満とあらば」


 男は声をひそめた。


「四倍。いや五倍でも構わぬと、会頭は仰せです。検品の長として、商会の品をすべてお任せする。あなたの目で、商会を建て直していただきたい。これほどの厚遇は、どこを探してもございませんぞ」


 五倍。


 その数字に、俺はまた少し考え込んだ。


 商会にいた頃の給金の、五倍。住まいまでつく。役は検品の長。考えれば考えるほど、破格の話だった。俺のような者に、なぜそこまで、と思う。


 だが考えているうちに、ふと、別のことが頭をよぎった。


 商会へ戻れば、また、あの検品場へ戻ることになる。あの薄暗い検品場で、出荷の品を、ひとりで黙々と視る日々。誰も、ありがとうとは言わない。ケチをつけるなと、また叱られるのかもしれない。混ぜ物を見つけても、誤差だと握り潰されるのかもしれない。


 俺はグラナの受付を、見回した。


 雑多な品の並ぶ目利きの机。漁師が網を持って並ぶ列。フィオナの赤い髪。ドニの斧。ミレイユの帳面。視たものを言えば、ここではみんなが笑う。


 ……ああ、と思った。俺はもう答えを知っていた。


「ありがたいお話です」


 俺は頭を下げた。


「でもお断りします」


 使者の笑みが、固まった。


「……五倍でもですか」


「はい」


「な、なぜです。グラナの給金など、商会の足元にも及びますまい。あなたほどの目を、こんな後発の小さな街で腐らせるなど」


 俺は少し考えてから、言った。


「腐ってないんです、俺」


「は」


「ここでは俺の視たものを、みんなが喜んでくれます。漁師さんが網を繕って、笑って出ていく。困ってた人が、助かったと言ってくれる。──商会では、一度も、なかったことです」


 使者は何も言えなかった。


「給金が三倍でも五倍でも俺はたぶん、また、あの検品場で誰にもありがとうと言われずに、品を視ることになります。それなら俺はここにいたいんです」


 俺はそれだけ言って、もう一度、頭を下げた。


 使者はしばらく茫然としていた。


 給金で動かない男を、どう扱えばいいのか、分からないようだった。商会の理屈では、金を積めば人は動く。それが当たり前だった。だが目の前の男には、その当たり前が通じない。


 男は結局手土産を置いたまま、馬車に乗って帰っていった。


 その背を見送りながら、ミレイユがぽつりと言った。


「……行かないの?」


「行きません」


「五倍よ。住まいもつくのよ」


「ミレイユさんは、俺に行ってほしいんですか」


 ミレイユが慌てて首を振った。


「ち、違うわよ! そうじゃなくて……」


 ミレイユの頬が、ほんのり赤くなった。それから小さな声で、言った。


「……行かないでくれて、よかった」


 俺はその言葉の意味を、しばらく考えた。よく分からなかった。でもミレイユが嬉しそうだったから、たぶん、これでよかったのだと思った。


 ◇


 同じ頃。メルダート。バルロ商会。


 会頭は帰ってきた使者の報告を聞いて、長いあいだ黙っていた。


 断られた。五倍の給金でも。住まいをつけても。あの男は首を縦に振らなかった。


 会頭にはそれが信じられなかった。金で動かぬ人間など、いるはずがない。商会で報われずに六年働いた男だ。これだけ積めば、必ず食いつくと踏んでいた。それがものの見事に外れた。


 なぜだ、と会頭は思った。あの男はいったい何が欲しいのだ。


「……ならば、よい」


 会頭は低く言った。


 あの男が来ぬなら、来ぬでいい。だがその目が生む利だけは頂く。あの男の目利きがグラナの品の信用を作っている。ならば、その品を、商会の手で売ればいい。グラナの良い品を商会の名で囲い込む。目利きは、向こうにくれてやる。だがその目利きが値打ちをつけた品は、すべて商会が握る。


 横取りである。


 会頭の口の端が、わずかに上がった。


 あの男を取れぬなら、あの男が作る金の流れを、まるごと取る。それでいい。商会には、まだ販路がある。隊商がある。名がある。後発のちっぽけなギルドに、商会の力で勝てぬはずがない。隊商は商会の名で動く。市場は商会の顔色をうかがう。たかが目利きひとりに、覆せる流れではない。


 会頭は新しい書状を書き始めた。今度の宛先は、レイではなかった。

面白かったら、ブックマークで応援していただけると更新の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ