第46話 目利きのレイ
禁止令が解けたという報せは、ある朝、唐突に届いた。
組合の使いが、グラナのギルドに一枚の書状を運んできた。検証の結果、グラナの目利きの目は本物と認められた。よって、目利きの禁止は撤回する。組合の朱い印とともに、そう記されていた。
俺は、その書状をしばらく眺めた。
よく分からなかった。視えるものを視たままに言う。それだけのことで、なぜ組合の偉い人たちが、わざわざ集まってこんな書状を出すのか。俺は何も変わっていない。昨日も今日も、同じように品を視ているだけだった。
「やったわね、レイ」
ミレイユが書状を覗き込んで、ふっと笑った。
「これで堂々と目利きができる。組合の名で本物だって認められたのよ」
「はあ」
「もっと喜びなさいよ」
その日から、目利きの机がまた受付に戻った。
看板も出した。「目利き相談」。たった四文字だ。だが、それを見た市場の人々が、わっと集まってきた。半月のあいだ相談できずに困っていた者が、こんなにいたのか。俺は少し驚いた。
並ぶ品は、相変わらず雑多だった。
糸の傷んだ漁網。芯まで乾ききっていない薪。塩の効きが甘い干し魚。蜜の薄まった蜂蜜の壺。どれも暮らしの中のありふれた品ばかりだ。俺は、ひとつひとつ視ていく。これは三日でかびる。これは火持ちが悪い。これは二月で傷む。
ただ、それだけのことだった。けれど、その目利きが暮らしの底をひそかに支えていた。腐る前に。折れる前に。傷む前に。先回りして弾いておけば人は損をせずに済む。火事も食あたりも、起きる前に防げる。起きてしまえば、もう遅い。
だが、その「それだけ」を、みんなが喜んだ。漁師が網を繕って出ていく。主婦が干し魚を返しに走る。市場の品が、また少しまっとうになっていく。
俺の居場所は、こういうところにあるのだと思った。
商会にいた頃は、こうではなかった。俺が弾いた品は、出荷の邪魔だと疎まれた。ケチをつけるな、と叱られた。誰も、俺のしていることを喜びはしなかった。だが、この街では違う。視たものを言えば人が笑う。困っていた者が、助かったと言う。
同じ仕事だ。同じ目で、同じように品を視ているだけだ。それなのに、なぜこうも違うのか。たぶん、商会は品を金としか見ていなかった。この街の人たちは、品を暮らしとして見ている。その違いなのかもしれない。
◇
その日の夕方。ギルドに思いがけない客が来た。
セレネだった。
銀の徽章を胸に、旅装のまま受付の戸口に立っていた。だが、その顔は一月前とは違っていた。査察役の硬さも令嬢の気位も消えている。ただ、晴れやかに笑っていた。
「また来たわ」
「セレネさん」
「査察じゃないわ。検証でもない。──今度は、わたし自身の意志よ」
その後ろから、フィオナがつかつかと出てきた。腕を組んでセレネをにらみつける。
「また来たの。何しに?」
「ここで、学ばせてもらおうと思って」
「学ぶ?」
「ええ。あの目利きの目を、いちばん近くで見ていたいの。組合の徽章では視えないものを視る目を。鑑定士として」
フィオナの眉が、ぴくりと動いた。なぜか、また面白くなさそうな顔をしている。俺には、その理由が、やっぱり分からなかった。
◇
その夜。ギルドの一室で、ささやかな祝いの席が開かれた。
ミレイユが酒を振る舞った。ドニが豪快に飲み、フィオナがはしゃいだ。トーロも、すっかり血色のよくなった顔で笑っている。セレネは、その輪の端で、少し居心地が悪そうに、だが嬉しそうに座っていた。
俺は、その様子を隅から眺めていた。
一年と少し前。俺は商会を追い出された。検品など誰にでもできると、雑用係として切り捨てられた。恨みはなかった。ただ、次の街で自分にできることをしよう。それだけを思って、ここへ来た。
その俺が今、こうして、みんなの真ん中にいる。
不思議なものだと思った。何も変わっていないのに。俺は、ただ品を視ているだけなのに。それなのに、いつのまにか、こんなに多くの人とつながっている。
「レイ」
ミレイユが、隣に来て、座った。
「あなた、商会のこと、恨んでないの?」
「恨む?」
「追い出されたのよ。あんなにひどい形で」
俺は、少し考えた。
「恨んでは、いません。あそこを追い出されなければ、この街には来なかった。ミレイユさんにも、フィオナさんにも、ガロさんにも会えなかった。──だから、たぶん、よかったんです」
ミレイユが目を見開いた。それから、ふっと笑った。
「ほんと、変な人」
「そうですか?」
「ええ。でも、そういうところが──」
ミレイユは、何か言いかけて口をつぐんだ。少し頬を赤くして。俺には、その続きが分からなかった。
窓の外で、グラナの夜が静かに更けていた。
◇
同じ頃。メルダート。バルロ商会。
会頭は、一人、会頭室にいた。机の上には、六年分の弾き帳がまだ置いてある。組合がグラナの目利きを本物と認めた。その報せも、もう届いている。
皮肉な話だった。組合の頂に立つ金の徽章が、田舎の無資格者に敗れた。徽章の権威で潰そうとして、かえって、その目を組合公認の本物に押し上げてしまった。ゲルツの工作もヴァローの嘘も、何もかもが裏目に出た。グラナを潰そうとするほどグラナは強くなっていく。
まるで、自分たちがあの男の評判をせっせと育ててきたかのようだった。
会頭は長いあいだ考えていた。
商会の信用は、痩せ続けている。返品は減らない。隊商は戻らない。ゲルツを退けても、傾いた屋台骨は立て直らなかった。原因はただ一つ。あの男を切ったことだ。
だが、と会頭は思った。あの男は、もう戻らない。
ならば、どうする。商会には、まだ最後の手が残っている。グラナの目利きの目が本物だというなら。──その目を、いっそ商会のものにすればいい。
会頭の目に暗い光が宿った。
追い出した男を、今度は利用する。あるいは、その手柄ごと奪い取る。商会には、まだそれだけの力が残っていた。横取りという新しいやり口だった。
会頭は一通の書状を書き始めた。宛先はグラナ。
長い坂を転げ落ちながら、商会はまだ諦めていなかった。
遠いグラナで、目利きのレイが新しい朝を迎えようとしていた。その朝に何が待っているか。レイは、まだ知らない。──追い出した街が、またその手を伸ばしてこようとしていることを。
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