第45話 天秤の傾き
メルダート。鑑定士組合本部、理事会の間。
検証団が帰着して報告を上げた。三人の鑑定士が、声を揃えて言った。グラナの目利きの目は本物である、と。弓。革鎧。井戸の水。すべてが、あの男の言葉どおりに、これからを言い当てた。我らの徽章では決して視えぬものを、と。三人とも長く鑑定を生業にしてきた者ばかりだ。その三人が口を揃えて頭を下げた。その重みは誰の目にも明らかだった。
卓を囲む理事たちが低くざわめいた。もう迷う者はいなかった。銀の徽章セレネの報告。そして検証団の報告。二つが同じことを告げていた。残るは、ヴァローの嘘の報告だけだった。
上座近くに、白髪の老人が座っていた。セレネの父。理事会の重しである男だ。
その横にヴァローが立っていた。青白い顔は、さらに白くなっている。
「ヴァロー」
老人が静かに名を呼んだ。
「検証団の報告は聞いたな。お主の処断要請とは、まるで逆だ。お主は、あの男を、確かめようのない予言を並べる無資格者だと書いた。だが検証団は、その予言がことごとく的中するのを、この目で見たと言う」
ヴァローは答えなかった。
「もう一度、聞く。あの広場で、お主の検めでは何が起きた。剣はどうなった。縄はどうなったのだ」
長い沈黙が部屋に落ちた。
燭台の火だけが低く揺れていた。理事たちの目が、すべてヴァローへ向いている。逃げ場は、もうどこにもない。
「……折れ、ました」
ヴァローの声が掠れた。
「剣は折れました。縄も切れました。あの男の言ったとおりに」
その一言で、すべてが決まった。
ヴァローは、ついに認めた。負けを。嘘を。報告に書かなかった、あの広場の真実を。長いあいだ徽章の格を守るために重ねてきた嘘が、たった一言で崩れ落ちた。
思えば、ここまで来るのに、ずいぶんと回り道をした。ゲルツの通報から、セレネの査察。公開の縄の検め。ヴァローの到来と、広場の対決。嘘の報告と、目利き禁止令。そして検証団。一人の男が嘘を重ねるたびに組合は揺れ、グラナは振り回された。だが、どれだけ言葉を尽くしても、品は嘘をつかなかった。折れた剣も切れた縄も、ただそこにある事実として、最後まで残った。
事実は、急がない。ただ静かに、嘘が崩れるのを待っていた。
「では、なぜ書かなんだ」
老人の声は、なおも静かだった。
「剣が折れ、縄が切れた。それを、なぜ報告に書かず処断を求めた」
「……認めたく、なかったのです」
ヴァローは、うつむいた。
「金の徽章が、田舎の無資格者に皆の前で負けた。そんなことが、あってはならぬと。徽章の格が揺らぐと。──だから嘘を書きました。組合の力であの男を潰そうとしました」
その声は絞り出すようだった。長年、誰よりも上だと信じてきた徽章。その重みが、今はただの枷になっていた。
老人は、長いあいだ、ヴァローを見ていた。
それから、低く息を吐いた。
「ヴァロー。お主の目利きは確かだ。等級も価値も誰より正しく読む。それは検証団も認めておる。お主は本物の鑑定士だ」
ヴァローが顔を上げた。
「だが、鑑定士の本分は目だけではない。事実を事実として認める。それができねば、どれほど目が良くとも鑑定士とは呼べぬ。──お主は、その一線を越えてしまった」
老人は、卓の上の二枚の報告を手に取った。ヴァローの嘘の報告。検証団の正直な報告。それを並べて置いた。
「金の徽章を預かる。当面のあいだ、お主は鑑定の任から退け。沙汰は追って下す」
ヴァローは何も言わなかった。ただ、胸の金の徽章にそっと手を当てた。
その手が震えていた。長くその徽章だけを拠りどころにしてきた男だった。
「グラナの目利き禁止令は、撤回する」
老人は理事たちに告げた。
「あの触れは、本物の目を封じ民を危うくするものだった。組合の名において即刻、取り下げる。グラナの目利きは、これまでどおり相談を続けてよい」
理事たちが頷いた。誰一人、異を唱える者はいなかった。
組合の天秤は、はっきりと一方へ傾いた。
禁止令は解け、ヴァローは退き、グラナの目利きの目は、組合の名で正式に本物と認められた。徽章なき田舎の目利きが組合の頂と争い、勝った。前例のないことだった。だが、誰もそれを覆そうとはしなかった。覆せる材料が、どこにもなかったからだ。品が、すべてを証していたのだ。
長い道のりの果てに、事実だけが静かに残った。それは、レイ自身がいちばん遠いところにいる勝利だった。あの男は、今もグラナでいつも通り品を視ているだけだろう。自分が組合の頂を退けたことなど、まだ知りもせずに。
ヴァローは外套を翻し、部屋を出ていった。その背に、もうかつての傲りはなかった。長く彼を支えてきた金の徽章は、もうその胸になかった。
◇
理事会が散会したあと。セレネは廊下で父を待っていた。
「父上」
「セレネか」
「ヴァローのことは……」
「自業自得だ」
老人は短く言った。だが、その声には、わずかな哀れみもあった。
「目は確かな男だった。だが、認める強さがなかった。お主とは、そこが違ったな」
セレネは、何も言えなかった。一月前、自分も同じ崖の縁に立っていた。負けを認めるか、認めないか。あのとき認める道を選んだ。その違いが、ヴァローと自分を分けたのだ。
「父上。一つ、お願いがあります」
セレネは、思い切って口を開いた。
「もう一度、グラナへ行かせてください。査察でも検証でもなく。──わたし自身の意志で」
老人は、しばらく娘を見ていた。
その目に、もう叱責はなかった。代わりに、あの銀細工の腕輪のことを思い出していた。妻の形見。留め金に、見えない罅が育っているという。グラナの目利きだけが、それを視抜いた。組合じゅうの誰の目にも視えなかったものを。
その目を、娘は本物と信じた。家の名を懸けてまで貫いた。
「……行ってこい」
老人は、ぽつりと言った。
「ただし、家の名に恥じぬよう振る舞え。それだけは、忘れるな」
セレネの顔が、ぱっと明るくなった。深く頭を下げる。その横顔は、もう査察役のものでも令嬢のものでもなかった。一人のまっすぐな若者の顔だった。
窓の外で、北の空が晴れわたっていた。雲ひとつない、澄んだ空だった。
その遠い先に、グラナの街があった。
面白かったら、ブックマークで応援していただけると更新の励みになります。




