第40話 銀の証言
「お答えします」
セレネの声は、思いのほか落ち着いていた。
理事たちの目が、いっせいに自分へ注がれている。名家の令嬢。九年の修練。同期随一。その重みのすべてが、今この一言にかかっていた。だがセレネは不思議と怖くなかった。視たものを視たままに言う。それだけでいいのだと、グラナで学んだからだ。
「わたしは査察役として、グラナの目利き相談を検めました。同じ品を彼とわたしで、それぞれ鑑定したのです。剣。麦。革。日々の暮らしに使う、ありふれた品ばかりでした」
セレネは、ひとつひとつをゆっくりと語った。
「等級も価値も、すべて一致しました。そこまでは、わたしの目も彼の目も、同じものを見ていた。──ですが、彼はそこから先を見ていました。この革は三月で穴が開く。この剣は根元の鍛えが甘く、いずれ欠ける。わたしには、それが視えなかった」
「それこそ、確かめようのない予言ではないか」
一人の理事が口を挟んだ。
「いつか穴が開く。いつか欠ける。そう言っておけば、外れても誰も覚えておらん。当たったときだけ騒げばよい。占い師の常套だ」
「わたしも、最初はそう思いました」
セレネは、まっすぐにその理事を見た。
「ですから、確かめたのです。公開の検めを、こちらから申し入れました。市場の広場で。皆の見ている前で。──いちばん上等に見える麻の縄を、彼はこう言いました。『外は最上等。でも中ほどに一本だけ、湿気を吸った古い麻が混じっている。荷を吊るせば、そこから切れる』と」
理事たちが、静まった。
「わたしは、その縄を滑車に掛けさせました。重しを吊るしました。一袋。二袋。三袋。──四樽目の重しで、縄は切れました。彼の指した、ちょうどその一点から」
誰も、口を開かなかった。
燭台の火が、低く揺れた。
「わたしの物差しは、その場で崩れました。九年かけて築いた物差しが。──ですから、わたしは正直に書きました。あの目は本物だと。それが、わたしの査察報告です」
セレネは、そこで言葉を切った。
部屋の空気が変わっていた。
セレネの証言には迷いも誇張もなかった。ただ事実だけが、淡々と積み上げられていく。それが、かえって重かった。負けを認めた者の言葉には、嘘では出せない重みがあった。
理事たちは、長く鑑定の世界に生きてきた者ばかりだ。誰が事実を語り、誰が体面を語っているか。その区別くらいはつく。セレネの言葉からは、自分を大きく見せようとする匂いが、まるでしなかった。むしろ自分の負けを、わざわざ並べ立てている。九年の修練が田舎の無資格者に届かなかったと皆の前で認めている。それは令嬢にとって、いちばん言いたくないことのはずだった。
その言いたくないことを、まっすぐに言う。だからこそ信じるに足る。理事たちの顔に、そういう気配が広がっていった。
セレネは、ヴァローのほうを見た。
「ヴァローさん。あなたの検めでも、同じことが起きたはずです。剣が折れた。縄が切れた。あなたの選んだ品で、あなたの目の前で。──違いますか」
ヴァローは答えなかった。青白い顔がいっそう白くなっていた。
セレネは、もう一度、理事たちのほうへ向き直った。
「わたしとヴァローさんの違いは、目の良し悪しではありません。負けを認めたか、認めなかったか。それだけです。わたしは認めました。だから報告に、ありのままを書けた。──ヴァローさんは認めなかった。だから剣のことも縄のことも、書けなかったのです」
「……黙れ」
ヴァローが、低く呻いた。
「小娘が。修練九年そこそこの分際で。私を、金の徽章をおとしめるか」
「おとしめてなどいません」
セレネの声は、静かなままだった。
「わたしは、ただ視たことを言っています。あなたが、いちばん大切にしていたはずのことを。──鑑定士は事実を読む者でしょう。その事実から、あなたはいま目を背けている」
ヴァローの拳が震えていた。何か言い返そうとして、言葉が出てこない。徽章の格を盾にしても、目の前の事実はびくともしなかった。
理事たちは、もうヴァローを見ていなかった。
彼らの目は、卓の上座の老人へ向いていた。セレネの父へ。この裁きの重しである男へ。
老人は、長いあいだ黙っていた。
二つの証言が出そろった。娘の、正直すぎる証言。ヴァローの、崩れた言い分。どちらが事実に近いか。この場の誰の目にも、もう明らかだった。
だが、老人はすぐには裁かなかった。
「セレネの証言は聞いた」
低い声が、ようやく落ちた。
「だが、これは口での証言にすぎぬ。広場の縄も折れた剣も、今ここにはない。組合が裁きを下すには組合自身の目で確かめねばならぬ」
老人は理事たちを見渡した。
「検証団をグラナへ送る。組合の名において、あの目利きを改めて検める。ヴァローの処断要請もセレネの報告も、その検証の上で裁く。それまでは──どちらの言い分も保留とする」
理事たちが、低く頷いた。
ヴァローの顔に、わずかな安堵がよぎった。即座の処断は退けられた。だが、即座の無罪もなかった。まだ望みはある。そう思ったのかもしれない。
セレネは、その横顔を見て小さく息を吐いた。
◇
理事会が、散会した。
セレネが廊下へ出ると、父が後ろから声をかけた。
「セレネ」
「父上」
「よく、言い切った」
老人の声には、叱責も賞賛もなかった。ただ静かな響きだけがあった。
「だが、検証団はお前を行かせぬ。お前は、すでにあの目を本物と書いた者だ。身内びいきと取られる。検証は別の者にやらせる」
「……承知しています」
「それでよいな」
セレネは頷いた。だが、その胸の奥には、まだ言葉にしていない思いが残っていた。
あの街へ、また行きたい。査察でなく検証でなく。ただ、自分の意志で。
その思いを、セレネは父にまだ告げなかった。
検証団がグラナへ向かう。組合の名で、レイの目をもう一度検める。それは、グラナにとって、また一つの試練になるだろう。だが、とセレネは思った。あの目は何度検められても、同じ答えを返す。剣は折れ、縄は切れる。視えたものが、視えたままに起きる。それが、あの男の目だった。
恐れることは、何もない。恐れているのは、たぶん検める側のほうだ。
窓の外で、北の空が薄く曇り始めていた。その雲の下に、遠くグラナの街があった。
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