第39話 揺れる理事会
メルダート。鑑定士組合、本部の理事会の間。
長い卓を、組合の理事たちが囲んでいた。みな相応の歳を重ねた男たちだ。窓のない部屋に、燭台の灯りだけが揺れている。壁には歴代の金の徽章の肖像が掛かっていた。みな厳しい顔をしている。
卓の上座近くに、白髪の痩せた老人が座っていた。セレネの父だ。組合でも指折りの名家の当主であり、この理事会の重しだった。
卓の端にヴァローが立っていた。金の徽章を胸に、青白い顔で。落ち窪んだ目が、列なる理事たちを見渡している。
セレネは、壁ぎわに控えていた。証言のために、グラナから呼び戻されていた。
この理事会は、めったに開かれない。組合の格を揺るがすような大事だけが、この卓に上がる。徽章の昇格。重い不正の裁き。そして今日は、その両方に関わる議題だった。金の徽章が田舎の無資格者に負けたか否か。もし負けを認めれば、徽章という制度そのものが揺らぐ。だからこそ理事たちは、軽々しく裁きを下せずにいた。
組合は連合の街々の信用を支える背骨だ。どの街の品が確かで、どの鑑定士が信じられるか。それを束ねるのが、この組合だった。その背骨にひびが入りかけている。グラナという、地図の隅の後発町から。
「議題は、グラナの目利きの件だ」
一人の理事が書状を読み上げた。
「金の徽章ヴァロー殿より、処断の要請。当該の者は組合の手順を解さぬ無資格者。確かめようのない予言を並べ、民を惑わすと。──いっぽうで、銀の徽章セレネ殿の査察報告は、その目を本物と認めている。二つの報告が、真っ向から食い違っている」
理事たちが、低くざわめいた。
「金と銀で、見立てが割れたか」
「珍しいことだ」
ヴァローが一歩前に出た。
「割れて当然です」
その声は、よく通った。
「銀の徽章は、まだ修練が浅い。田舎の手妻に目を曇らされたのでしょう。私が現地で確かめたところ、あの男のやることは占い師の手口と変わらぬ。『この剣はいつか折れる』『この縄はいつか切れる』。確かめようのないことばかりを並べ、民を惑わしておりました」
「ヴァロー殿」
セレネの父が、静かに口を開いた。
「現地で、確かめたと申すか」
「は。この目で」
「ならば聞こう。お主は、その男と公開の検めをしたのではないか。市場の広場で。剣と縄を持ち出して」
ヴァローの肩が、わずかに揺れた。
「……噂は、耳に入っておられましたか」
「噂ではない。複数の筋から聞いておる」
老人の目は、静かだった。だが、その奥に、鋭いものがあった。
「その検めで、何が起きた。剣はどうなった。縄はどうなった。お主の報告には一行も書かれておらぬ。ただ『処断を求む』とだけだ。──なぜ、書かなかった」
ヴァローは答えなかった。
燭台の火が、ぱちりと爆ぜた。沈黙が思いのほか長く続いた。理事たちの目が、答えを待ってヴァローに集まっていく。
「書く必要が、なかったからです」
ヴァローが、絞り出すように言った。
「あの検めは茶番でした。あの男は、品にあらかじめ細工をしていた。折れる場所、切れる場所に印をつけておいたのです。それを言い当てたかのように見せかけた。手品です。報告に値しません」
「細工、とな」
「は」
「だが、聞けば。その品は、お主自身が選び、お主の荷から出したと言うではないか。あの男は検めが始まるまで品に触れてすらおらぬ、と」
ヴァローの顔から血の気が引いた。
それは、グラナの広場でドニが突きつけたのと同じ問いだった。品を選んだのはヴァロー自身。細工のしようがなかった。理屈がぐるりと回って、自分の首を絞める。
「それは……あの男が、あらかじめ私の荷に……」
言葉が、続かなかった。
理事たちがざわめいた。今度のざわめきは、ヴァローへ向いていた。
「自分で選んだ品に、相手が細工を?」
「それは、いささか苦しいな」
ヴァローの額に汗が浮いていた。落ち窪んだ目が、助けを求めるように左右に泳いだ。
セレネは、壁ぎわでそれを見ていた。
哀れだと思った。負けを認めれば、それで済んだのだ。セレネがそうしたように。負けたと書けば組合は事実を知り、ことはもっと穏やかに運んだだろう。だが、この男はそれをしなかった。徽章の格を守るため、嘘の上に嘘を重ねた。そして今、その嘘が自分の足元を崩している。崩しているのは、ほかでもない自分自身の言葉だった。
守りたかったはずの徽章が、いちばん重く、その首にのしかかっていた。
セレネにも、その気持ちが分からないではなかった。一月前の自分も、そうだった。あの広場で縄が切れた瞬間、長年の物差しが音を立てて崩れたのだ。九年の修練が、まるごと否定された気がした。あのとき、認めるのは、身を裂かれるほど苦しかった。
だが、認めた。事実から目を背けるほうが、もっと苦しいと知っていたからだ。鑑定士が事実を曲げれば、それはもう鑑定士ではない。ただの嘘つきになる。ヴァローは、その一線を越えてしまった。越えたまま引き返せなくなっていた。
◇
「セレネ」
父が、娘の名を呼んだ。
理事たちの目が、いっせいに壁ぎわへ向いた。
「お主は、その検めの前に、同じ街で査察をしておる。あの男の目を本物と書いた。──今この場で、もう一度聞く」
老人の声は、低く、揺るがなかった。
「あの男の目は、本物か。お主の名にかけて、答えよ」
セレネは卓の前へ進み出た。
理事たちの視線が突き刺さる。名家の令嬢。九年の修練。同期随一。その肩書きのすべてを背負って、セレネはまっすぐ前を見た。
父の目が、こちらを見ていた。
その目に何が宿っているのか。セレネには読みきれなかった。娘に正直であれと願う気持ちか。それとも、家の名を守れと祈る気持ちか。たぶん、その両方だ。前にグラナから帰ったとき、父は娘を叱った。名家の娘が無資格者を持ち上げてどうすると。だが今度は自分の口で「正直に書け」と命じて、娘をこの場へ送り出した。迷いながら。揺れながら。
その迷いに、セレネは応えなければならない。嘘でなく媚びでなく、ただ視たままを。
ここで何を言うか。それで、グラナの目利きの運命が決まる。そして、自分の家の名も。
セレネは、ゆっくりと息を吸った。
「お答えします」
その声は、不思議なほど、落ち着いていた。
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