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第38話 商会の検め蔵

 メルダート。バルロ商会の検め蔵。


 石の床に、灰色の欠片がいくつも並べられていた。布の上に、無造作に。沢から持ち帰られた、なまくら石の欠片だった。


 その前に二人の男が立っていた。


 一人は銀の徽章の青年。商会が新しく雇った鑑定士だ。レイを切った後に、その穴を埋めるため据えられた男だった。鑑定は正確だが、近ごろ自分の目に自信を失いかけている。樽の底の腐敗を見逃し、代表抜き取りという己のやり方の限界にぶつかっていた。


 もう一人は、検品場の主任。白髪まじりの、岩のような男だった。


 検め蔵は商会のいちばん奥にある。窓は小さく、昼でも薄暗い。壁ぎわには検めを待つ品が山と積まれていた。樽。木箱。麻袋。出荷を待つ品と返ってきた品とが、同じ部屋に押し込められている。返ってきた品の山は、この一年で目に見えて高くなっていた。


 昔は、こうではなかった。返品など、年に一つあるかないか。出荷した品はまっすぐ買い手のもとへ届き、二度と戻ってこなかった。それが商会の信用だった。あそこの品は確かだ。その一言で、隊商は遠くからでも品を買いに来た。


 その信用が今、ゆっくりと崩れている。主任は、その崩れを誰よりも近くで見ていた。


「ゲルツさんの言いつけだ」


 主任が低く言った。


「この石を検めろ、と。グラナの後発町が、これで武具を作っているらしい。どれほどの鉄か、見定めろと」


 青年は欠片を一つ手に取った。徽章をかざす。目を閉じる。


 しばらくして、目を開けた。


「……驚いた。これは上等な鉄です。等級は、かなり上。鉄の純度が北の特級炉鉄に並ぶ。いや、しのぐかもしれない」


「ほう」


「こんな鉱石が、あんな田舎の沢で採れるとは。──道理でグラナの武具がいい値で売れるわけだ」


 青年は興奮した様子で次々と欠片を検めていった。どれも等級は高い。商会が長年買い叩いてきた素材とは、まるで格が違った。


 ゲルツがこの石に執着する理由も、それで分かる気がした。グラナが商会を通さず食えるようになったのは、この鉱脈のおかげ。その源を商会が握れば、グラナの自立をまた根もとから断てる。買い取りを束ねるゲルツにとって、これは喉から手が出るほどの獲物のはずだった。


 主任は、それを黙って見ていた。青年の興奮にも、ゲルツの思惑にも、何も口を挟まなかった。


 だが、青年の声が途中で曇った。


「……いや。待ってください。おかしい」


「どうした」


「等級は高い。純度も高い。なのに、この鉄。──伸びる感じがしない」


 青年は欠片を指で弾いた。鈍い音がした。


「鉄には粘りと伸びがあります。いい鉄ほど、よく伸びて、よく粘る。だが、この石は妙です。硬いばかりで、伸びる気配がない。これを並の炉で打てば、たぶん脆い棒になる。刃になりません」


「使えん鉄、ということか」


「等級だけ見れば最上。でも、打ち物にするなら──使えません。なまくら、です」


 青年は欠片を布の上に戻した。


 その判断は、レイの言った通りだった。等級は読めても、化けさせる手順までは徽章に映らない。並の火では伸びない。三打目で芯が起きる。その頃合いを知らない目には、この石は、ただのなまくらに見えた。


「報告は、そう書きます」


 青年がペンを取った。


「等級は高いが、伸びず、打ち物にならぬ鉄。グラナがこれで武具を作れているのは、おそらく何か特別な炉か、まじないの類い。商会が手に入れても量産は利かない。──そう書けば、ゲルツさんも諦めるでしょう」


「待て」


 主任が青年の手を止めた。


「一つ聞かせろ。お前は、その石が打てんと言った。だが、グラナでは打てている。誰かが打っている」


「ええ。それは、確かに」


「ならば、その誰かは。お前に視えんものを視ているということだ」


 青年が口をつぐんだ。


 主任の言葉は、いつかの自分の問いと同じところを突いていた。樽の底の腐敗。お前には視えん。だが、前の検品係には視えていた。


 またそれだ。


 ◇


 主任は、欠片の一つをじっと見ていた。


 岩のような顔は何も語らなかった。だが、その奥で、何かが静かに回り始めていた。


 グラナの目利き。組合が一度は本物と認めた男。元は当家の検品係。名は、レイ。


 六年、検品場にいた男だ。主任は、その仕事ぶりをいちばん近くで見ていた。何も言わず、ただ品を弾く。誰も気づかない不良品を、当たり前のように除けていく。あの男がいた頃、返品の樽は年に一つあるかないかだった。


 その男が今、グラナにいる。そして、この打てるはずのない石を打たせている。


 主任は、棚の奥のことを思い出した。六年分の弾き帳。クレームはゼロ。あの帳面を、自分は奥へ仕舞った。誰の目にも触れぬよう。


 なぜ仕舞ったのか。自分でも、まだ、はっきりとは分からなかった。


 あの男を切ると決めたのは会頭とゲルツだった。検品など誰にでもできる。見栄えのいい鑑定士を雇えば済む。そう言って、地味な検品係を放り出した。主任は何も言えなかった。一介の検品場の頭に、会頭の判断を覆す力はない。ただ、追われていく若者の背を黙って見送っただけだ。


 あのとき、止めていれば。


 その悔いが、主任の胸の底に小さな棘のように残っていた。返品の樽が増えるたび、その棘は深くなった。商会は今も黒字だと言い張っている。検品の人手を減らしたぶん、帳尻は合うからだ。だが、合っているのは数字だけだった。信用という、帳簿に載らないものが、日に日に痩せていく。


 その痩せを、誰も止めようとしない。会頭は誤差だと言う。ゲルツはグラナのせいだと言う。誰も本当の穴を見ようとしない。本当の穴は、もうこの蔵にはいない一人の検品係の、空いた席のかたちをしていた。


「報告は、お前の見立て通りに書け」


 主任は、青年に言った。


「等級は高いが、伸びぬ鉄。商会では量産できぬ。──それで間違いない」


「は、はい」


「ただし」


 主任は欠片を一つ、自分の懐に滑り込ませた。青年は、それに気づかなかった。


「この一片だけ、私が預かる。念のためだ」


 青年は頷いた。深い意味は考えなかった。


 主任の岩のような横顔に、灯りの影が落ちていた。その表情は誰にも読めなかった。何を考えているのか。商会のためか、それとも。──それは、主任自身にも、まだ分からなかった。


 遠いグラナで、同じ石を、レイが選別している頃だった。

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