表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
36/256

第36話 沢の影

 メルダート。バルロ商会の会頭室。


 会頭は机に広げた帳簿を睨んでいた。


 数字は表向きまだ黒い。だが、その黒の中身が変わってきていた。返品の樽が月ごとに増えている。先月は十三個。先々月は十一個。じわじわと、確実に。


 売り上げは落ちていない。検品の人手を減らしたぶん費えは軽い。だから帳尻は合う。合うのだが──どこかで、何かが漏れている。砂の詰まった袋の、見えない穴のように。


 会頭は、その感覚が気に入らなかった。


「ゲルツを呼べ」


 ゲルツが入ってきた。垂れ目の抜け目のない男だ。買い取りを束ねて長い。


「お呼びで」


「グラナの件だ。評判を潰せと言ったな。ひと月前に。どうなっている」


 ゲルツの眉が、わずかに動いた。


「手は打っています。組合に、無資格の目利きを禁じる触れを出させました。あの男は、もう銭を取って品を見ることができません。じきに評判もしぼみましょう」


「組合、か」


 会頭は、指で机を叩いた。


「その組合が、揉めていると聞いたぞ。本部から出した金の徽章が、田舎の目利きに負けたとか負けないとか。挙句、嘘の報告を書いたの書かないのと。──お前、組合を当てにして、藪をつついたのではないか」


 ゲルツは、答えなかった。


 会頭の言う通りだった。組合は今、二つに割れている。ヴァローの処断要請と、銀の徽章の正直な報告。そのあいだで理事会が揺れている。ゲルツの打った手は、火種を組合に投げ込んだだけだった。


「……必ず、抑えます」


 ゲルツは、それだけ言った。


 ゲルツが下がったあと。入れ替わりに、帳簿方が入ってきた。


 中立で皮肉屋の男だ。商会の金の流れを、すべて握っている。


「会頭。少々、お耳に入れたいことが」


「なんだ」


「買い取りの費えに、見慣れぬ項が二つ。──東の山の調査に、銀貨四十枚。それと先月、新たな調査者を一人。どちらもゲルツの差配です」


 会頭の手が、止まった。


「東の山? なんの調査だ。私は聞いていないぞ」


「ええ。ですので、お耳に入れた次第で」


 帳簿方は、淡々と続けた。


「東の山には何もありませんでした。調査隊は空振りで帰っています。四十枚は、丸ごと消えた勘定。新しい調査者のほうも、何を調べているのか、書付には記されておりません」


 会頭の眉間に、深い皺が寄った。


 ゲルツが、自分に無断で商会の金を動かしている。それも、成果のない調査に。四十枚。さらに、もう一人。──これは、ただの差配ではない。


「ゲルツの奴」


 会頭は、低く呟いた。


 だが、その怒りの底で、別の問いが頭をもたげていた。なぜゲルツは、そこまでして沢のことを探るのか。グラナに、何があるのか。


 会頭は椅子に背を預けた。窓の外には、メルダートの古い街並みが広がっている。だが近ごろ、その通りには空き店が目につくようになっていた。長く商会の信用で食ってきた街。その信用が少しずつ翳りを帯びている。


 すべては、グラナから始まっている気がした。


 あの後発の田舎町。素材を買い叩き、属国のように見下してきた草刈り場。それが今、こちらの取引先を一つ、また一つと奪っていく。商会を通さない武具。商会を通さない素材。そして組合まで巻き込んでの騒ぎ。


 その中心に、いつも一つの言葉が出てくる。


 目利き。


 会頭は、ふと帳簿方に問うた。


「その、グラナの目利き。名は、なんといった」


「レイ、と」


 帳簿方は、淡々と答えた。


「組合の査察報告の写しに、そうありました。──元は当家の検品係だったとか」


 会頭の指が、止まった。


 レイ。


 覚えのない名ではなかった。だが顔は思い出せない。地味で目立たない若者だった気がする。出荷の品に、いちいちケチをつける。商売の邪魔だとゲルツが言っていた。だから切った。検品など誰にでもできる。新しい鑑定士を雇えば済む。そう判断した。一年と少し前のことだ。


 あの男を切ってから、返品の樽が増え始めた。


 会頭は、その二つをこれまで結びつけてこなかった。たまたまだ。誤差だ。そう片付けてきた。


 だが今、二つの線が頭の中でゆっくりと近づいていた。


 まさか。


 会頭は、その考えをすぐには口にしなかった。認めたくなかった。あの地味な検品係が、商会の信用を一人で支えていたなど。もしそうなら、自分は最悪の判断をしたことになる。


 だが、引っかかった棘は、抜けなかった。


 ◇


 同じ頃。グラナ。亀の沢のほとり。


 俺とミレイユ、それにバッソは、岩陰から沢のほうをうかがっていた。


 沢はミレイユがとうに封鎖している。立ち入り禁止の杭が打たれ、表向きは「地崩れの恐れあり」とされていた。なまくら石の出どころを隠すためだ。


 その杭の向こうで、男が一人、岩を覗き込んでいた。


 見慣れない男だった。荷も持たず、身軽な格好。だが、その目つきは旅人のものではない。何かを探している目だ。腰を屈め、岩肌に手を当て、削れた跡をじっと見ている。


「あれね」


 ミレイユが、声を潜めた。


「バッソの言ってた、見慣れない男。沢を、嗅ぎ回ってる」


 俺は、その男を遠目に視た。


 男の腰に、小さな袋が下がっていた。道具袋だ。その中身が、うっすらと視えた。


 鏨。小槌。そして、布に包んだ石の欠片がいくつか。


「あの人、岩を削って、欠片を持ち帰っています」


 俺は言った。


「それと──道具に見覚えのある刻印があります。商会の買い取り蔵で使う、検めの鏨と同じ印です」


 ミレイユが息を呑んだ。


「商会の手の者ってこと?」


「たぶん。あの鏨は商会の蔵の外には出ないものです。それを持っているということは」


 俺は男から目を離さなかった。


 石の出どころを探りに来た男。商会の道具を持っている。なまくら石の正体に、商会が手を伸ばしてきている。封鎖した杭の、すぐ向こうまで。


 ミレイユの横顔が固くなっていた。


「沢が知れたら、なまくら石は終わり。ガロの武具も、ギルドの自立も。──全部、根っこを握られる」


 俺は頷いた。


 男はなおも岩を削っていた。布の包みが、また一つ増える。あの欠片には、なまくら石の正体が、そのまま閉じ込められている。北の特級炉鉄をしのぐ、規格外の鉄。それを読める目が、商会に一つでもあれば。


 あの欠片を、誰かが視れば。あの石の本当の価値を読めば。──そのときが、来てしまうのかもしれなかった。


 俺の追放を決めた街が、俺の見つけた石を追ってきている。妙な巡り合わせだと思った。だが俺には、それを止める手立てが、まだ思いつかなかった。


 沢の水が、いつも通り、静かに流れていた。

面白かったら、ブックマークで応援していただけると更新の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ