第35話 牙と鱗
目利きの机は、畳んだままだった。
組合の触れがある以上、銭を取って品を見るわけにはいかない。だがミレイユが一つ、線を引いてくれた。
「ギルドの仲間うちの相談は、別。銭は取らない。これは商いじゃなくて、身内の助け合い。触れには触れないわ」
セレネも、それでいいと頷いた。
「外の客から銭を取るのが禁じられただけ。仲間の命を守るのまでは組合も止められない」
だから俺は受付の隅で、ギルドの冒険者たちの相談だけは受けていた。机は出さない。看板も出さない。ただ頼まれれば、視る。それだけだった。
◇
その朝、トーロがやってきた。
顔色が見違えるほどよくなっていた。半月前、血の薄かったあの青年だ。あれから肉と緑の濃い野菜を食べ続けて、頬に赤みが戻っている。
「レイさん。おかげさまで、依頼が取れるようになりました」
「よかったです。もう、手は冷えませんか」
「はい。槍も、軽く感じます」
トーロは、嬉しそうに笑った。
そこへ、フィオナとドニが入ってきた。二人とも、いつもの顔ぶれだ。フィオナは赤毛を揺らし、ドニは斧を担いでいる。腰の捻れが治ってから、ドニの足取りはすっかりまっすぐになった。
「ちょうどいい。レイ、ちょっと見てほしいものがあるんだ」
フィオナが台の上に何かを置いた。
ごとり、と重い音がした。
それは、魔物の素材だった。
大きな鱗が数枚。湾曲した牙が二本。そして、こぶしほどの黒い石が一つ。
「岩甲の大蜥蜴。森の奥で別の組が獲ったやつだ。その素材を買い取り係が引き取ってきた。これ、いくらで売れるのか分からなくて」
岩甲の大蜥蜴。森の奥に棲む、大人の背丈ほどもある蜥蜴だ。全身を岩のような甲で覆い、並の剣も矢も弾く。冒険者にとっては厄介な相手だった。だが甲は盾になり、牙は薬になり、核の魔石は火種になる。狩れれば実入りは大きい。問題は、その甲の硬さだった。
これまで、こういう魔物素材は買い取り係が束で引き取り、束のまま商会へ流していた。一枚一枚を見分ける目がないからだ。だから、いつも安く買い叩かれてきた。それは食材や鉱石と同じ構図だった。
俺は、まず鱗を手に取った。
ずしりと重い。岩のような硬さだ。順に視ていく。
「いい鱗です。盾の表に張れます。等級は上。──ただ、この一枚」
俺は端の一枚を裏返した。
「付け根に薄いところがあります。生きていたとき、ここを傷めていた。盾に使うなら、この一枚は外したほうがいい」
次に牙を視た。
二本のうち一本に、薄い膜のようなものが視えた。
「この牙。根元に毒の腺の跡が残っています。麻痺の毒です。素手で触らないほうがいい。手袋越しでも、傷があれば回ります」
フィオナが慌てて牙から手を引っ込めた。
「えっ、毒!? あたし、さっき素手で持ったけど!」
「手に傷がなければ、平気です。でも、削るときは気をつけて」
最後に黒い石を手に取った。
魔石だった。岩甲の大蜥蜴の、核にあたる石だ。
視る。
「これは本物の魔石です。火を起こす力が宿っています。等級は、かなり上。──いい値がつきます」
「ほんとに!?」
「ええ。ただし磨くときに割らないこと。中にごく細い罅が一本、走っています。乱暴に扱えば力が抜けて、ただの石になります」
俺は石を、そっと台に戻した。
「鱗は一枚を外して盾屋へ。牙は毒の腺を取り除いてから薬屋へ。魔石は、そのままキランの大店へ持っていけば、いちばん高く買います。──ばらばらに売ったほうが、束で売るよりずっといい値です」
フィオナとドニが、顔を見合わせた。
「束で売ったら、いくらだって?」
「買い取り係は、銀貨八枚って言ってた」
「ばらせば、たぶん、その三倍にはなります」
ドニが、低く口笛を吹いた。
セレネが横で、ずっとその様子を見ていた。
手元の検め帳に何か書きつけている。やがて、ぽつりと言った。
「……魔石の等級と価値。そこまでは、わたしの徽章でも読める。でも、鱗の弱いところ。牙の毒の腺。魔石の中の罅。──そんなものは、わたしには視えない」
セレネはペンを止めた。
「それに、傷めていた付け根が分かるなら。逆に言えば、生きている個体のどこが弱いかも分かるということ?」
「たぶん」
俺は頷いた。
「素材になった後でも、ここを傷めていた、と視えます。なら、生きているうちに視れば、どこが弱いか分かる。そこを狙えば、無理な戦いをしなくて済みます」
自分で言いながら、不思議な感じがした。
昔は物しか視えなかった。腐った食材。ひびの入った剣。それがこの街に来てから、だんだん生き物が視えるようになった。フィオナの古傷。ドニの腰。トーロの薄い血。そして今は、魔物の弱いところまで。視える先が少しずつ広がっている。それが何なのか、自分でもよく分からなかった。ただ、関わる相手が増えるほど、視える世界も広がっていく気がした。
トーロが、ぱっと顔を上げた。
「それ……次の討伐で、教えてもらえませんか。岩甲の大蜥蜴、まだ森に何匹もいるんです。甲が硬くて、みんな手こずってて」
「いいですよ。出る前に視ます」
◇
三日後。トーロたちの組が、岩甲の大蜥蜴を二匹、討って帰ってきた。
怪我はかすり傷一つ。
出立の前、俺はトーロの組に伝えていた。岩甲の大蜥蜴の甲は、首の後ろの一枚だけが薄い。生まれつき、そこだけ甲の重なりが浅い。だからそこを突けば、力比べをせずに倒せる、と。
トーロは、その通りに槍を入れた。一突きだった。
「レイさんの言った通りでした。首の後ろ。本当に、そこだけ柔らかかった」
トーロは興奮した様子で言った。血の通った頬が上気している。半月前、一日一食で槍も持てなかった青年とは別人のようだった。
その夜、ギルドはいつもより少し賑やかだった。素材がいい値で売れて、台所も潤った。
禁令の下でも、ギルドの中だけは、まだ回っていた。
◇
だが、その同じ夜。
ギルドに、御者頭のバッソが顔を出した。いつもの陽気な顔が、めずらしく曇っている。
「ミレイユさん。妙な話を聞いた」
「妙な話?」
「亀の沢のあたりで、見慣れねえ男がうろついてる。地元の者じゃねえ。荷も持たず、岩ばかり覗き込んでるそうだ」
俺はその言葉に手を止めた。
亀の沢。なまくら石の、出どころだ。
ミレイユの顔から、すっと笑みが消えた。
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