第33話 二度目の銀
その日、グラナの空は高く晴れていた。
俺はいつも通り、ギルドの受付で目利き相談をしていた。並んでいるのは三人。革なめし職人と、薬売りの女と、隣街から来た若い冒険者だ。一人ずつ、品を見ていく。
革なめし職人の鞣した革は上等だった。一枚だけ、塩の抜けが甘い。「これは半年で硬くなります」とだけ伝えた。
薬売りの女が持ってきたのは、小瓶に詰めた解毒薬だった。
手に取って、視る。
「……ダメですね、これ」
「え?」
「上の三本は効きます。でも下の二本は、薬草を煮すぎています。色は同じでも、効き目がほとんど飛んでいます。安く仕入れた品でしょう」
女の顔がこわばった。図星だったらしい。買い叩かれた末の品を、そうとは知らずに並べていたのだ。
こういうことが近ごろ多い。市場の品が少しずつまっとうになってきた。それでも騙して流す者は絶えない。視えるものを、視えたままに言う。俺にできるのはそれだけだった。
相談に来る顔ぶれも、この三月で増えた。グラナの者だけではない。隣街のキランからも、その先の村からも、わざわざ品を担いでやってくる。組合が一度は本物と認めた目利き。その噂が、連合の街々を渡っていったらしい。
俺には、その実感がうまく湧かなかった。ただ毎日、目の前の品を視ているだけだ。それが、どこか遠くの誰かの話になっているのが、不思議だった。
◇
昼を過ぎた頃。受付の戸がからりと開いた。
入ってきたのは見覚えのある人だった。
銀の徽章。きちんと結い上げた髪。背筋の伸びた立ち姿。一月前ここで俺に突っかかってきた、あの人だった。
「セレネ、さん」
俺は思わず立ち上がった。
「お久しぶり、です」
「久しぶりね」
セレネは以前ほど刺々しくなかった。だがつんとした横顔は変わっていない。受付の前まで歩いてきて、まっすぐ俺を見た。
「査察ではないわ。今日は、別の用で来たの」
そのとき、奥からフィオナが飛び出してきた。
「あっ! あんた、この前の!」
フィオナはずかずかと近づいて、セレネの前に立ちはだかった。腕を組んで、にらみつける。
「また査察? もう負けたでしょ、縄で! 何しに来たのよ!」
「フィオナさん」
「だってレイ! こいつ、この前レイのこと僭称とか言って──」
「あのときのことは」
セレネが、フィオナの言葉を遮った。少し、ばつの悪そうな顔をして。
「……悪かったと思っているわ。あれは、わたしが間違っていた」
フィオナが、ぽかんとした。
組んでいた腕が、ゆるゆるとほどけた。
「え。あ、謝った……?」
「それより、話があるの」
セレネは表情を引き締めた。受付の椅子に座る。俺とミレイユも向かいに座った。フィオナは、まだ毒気を抜かれた顔のまま、その横に立っている。
「ヴァローが、本部に嘘の報告を書いたわ」
「やっぱり」
ミレイユが、低く言った。
「割れた剣のことも切れた縄のことも書いていない。書いたのは、ただ一つ。──この街の目利きを処断せよ、と」
処断。その言葉に受付の空気が固くなった。
「処断って、何をするの」
フィオナが訊いた。セレネは俺のほうを見た。
「無資格での目利きを組合の名で禁じる。徽章を持たない者が銭を取って品を見ること。それを許さないと触れを出す。──あなたの相談の場が、なくなるかもしれない」
俺はしばらく黙っていた。
視えるものは変わらない。だが視たことを言ってはいけない。そう言われたら。昨夜ミレイユが言った通りのことが、本当に動き始めていた。
「でも、ヴァローさんは負けました。皆の前で」
「ええ。だから本部は、迷っている」
セレネは、徽章にそっと触れた。
「ヴァローの嘘の報告と、わたしの正直な報告。二つが食い違った。どちらが本当か。──それを確かめるために、わたしはここへ来たの」
「あなたを、処断させはしないわ」
セレネは、はっきりと言った。
その目に、一月前の刺々しさはなかった。代わりに、別の強さがあった。
「わたしは見たもの。あの縄が切れた瞬間を。あれは手品じゃない。本物の目だった。それを嘘の報告で塗りつぶさせるわけにはいかない。──鑑定士として」
「セレネさん」
「勘違いしないで。あなたのためじゃないわ」
セレネは、つんと顔をそむけた。
「事実のため。それだけよ。嘘がまかり通る組合なんて、わたしは認めない」
そう言いながら、その頬が、ほんの少し赤い気がした。
俺には、その理由がよく分からなかった。怒っているのか。それとも、別の何かなのか。人の心は視えない。状態は分かっても、考えていることは、いつも俺には届かなかった。
フィオナが、横でじっとセレネを見ていた。
「……ふうん」
なぜか、フィオナのほうが、面白くなさそうな顔をしていた。
「一つ、見てほしいものがあるの」
セレネは、懐から小さな包みを取り出した。布を開く。中から出てきたのは、古い銀細工の腕輪だった。
「父から預かった、検めの品。わたしには、等級も価値も読める。でも、それだけ。──あなたには、これがどう視える?」
俺は腕輪を手に取った。冷たい銀の感触。視ていく。
「いい品です。等級は上。細工も丁寧で。値打ちもあります」
「ええ。そこまでは、わたしも読めた」
「ただ」
俺は、腕輪の留め金のあたりを指でなぞった。
「この留め金の付け根。銀の中に、目に見えない罅が一本、育っています。今は何ともありません。でも、強く曲げれば、ここから折れます。たぶん、もう長くは保ちません」
セレネが、息を呑んだ。
「……父は、この腕輪を二十年つけている、と言っていたわ」
「なら、そろそろです。直すなら、今のうちに」
セレネはしばらく腕輪を見つめていた。それからそっと布に包み直した。
その手が少し震えていた。
「やっぱり、あなたの目は──本物ね」
その声は、もう査察役のものではなかった。
「父は、この腕輪を肌身離さず持っていた。亡くなった母の形見なの。それが、もうすぐ折れる。──わたしの目では、それが視えなかった。組合じゅうの誰の目でも、たぶん視えなかった」
セレネは包みを胸に当てた。
「あなたを処断しろと言う組合が、その同じ口で、こういう品を見逃している。──おかしいでしょう。視える者を罰して、視えない者が権威を名乗る。そんなの、間違っているわ」
俺には、何と答えればいいのか分からなかった。
ただ、この人は変わったと思った。一月前、僭称だと突っかかってきた、あの令嬢ではない。事実の前で頭を下げられる人になっていた。それはきっと、簡単なことではなかったはずだ。
窓の外で、馬車の支度をする音がしていた。だが俺は、これから何が始まるのか、まだ半分も分かっていなかった。
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