表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
33/256

第33話 二度目の銀

 その日、グラナの空は高く晴れていた。


 俺はいつも通り、ギルドの受付で目利き相談をしていた。並んでいるのは三人。革なめし職人と、薬売りの女と、隣街から来た若い冒険者だ。一人ずつ、品を見ていく。


 革なめし職人の鞣した革は上等だった。一枚だけ、塩の抜けが甘い。「これは半年で硬くなります」とだけ伝えた。


 薬売りの女が持ってきたのは、小瓶に詰めた解毒薬だった。


 手に取って、視る。


「……ダメですね、これ」


「え?」


「上の三本は効きます。でも下の二本は、薬草を煮すぎています。色は同じでも、効き目がほとんど飛んでいます。安く仕入れた品でしょう」


 女の顔がこわばった。図星だったらしい。買い叩かれた末の品を、そうとは知らずに並べていたのだ。


 こういうことが近ごろ多い。市場の品が少しずつまっとうになってきた。それでも騙して流す者は絶えない。視えるものを、視えたままに言う。俺にできるのはそれだけだった。


 相談に来る顔ぶれも、この三月で増えた。グラナの者だけではない。隣街のキランからも、その先の村からも、わざわざ品を担いでやってくる。組合が一度は本物と認めた目利き。その噂が、連合の街々を渡っていったらしい。


 俺には、その実感がうまく湧かなかった。ただ毎日、目の前の品を視ているだけだ。それが、どこか遠くの誰かの話になっているのが、不思議だった。


 ◇


 昼を過ぎた頃。受付の戸がからりと開いた。


 入ってきたのは見覚えのある人だった。


 銀の徽章。きちんと結い上げた髪。背筋の伸びた立ち姿。一月前ここで俺に突っかかってきた、あの人だった。


「セレネ、さん」


 俺は思わず立ち上がった。


「お久しぶり、です」


「久しぶりね」


 セレネは以前ほど刺々しくなかった。だがつんとした横顔は変わっていない。受付の前まで歩いてきて、まっすぐ俺を見た。


「査察ではないわ。今日は、別の用で来たの」


 そのとき、奥からフィオナが飛び出してきた。


「あっ! あんた、この前の!」


 フィオナはずかずかと近づいて、セレネの前に立ちはだかった。腕を組んで、にらみつける。


「また査察? もう負けたでしょ、縄で! 何しに来たのよ!」


「フィオナさん」


「だってレイ! こいつ、この前レイのこと僭称とか言って──」


「あのときのことは」


 セレネが、フィオナの言葉を遮った。少し、ばつの悪そうな顔をして。


「……悪かったと思っているわ。あれは、わたしが間違っていた」


 フィオナが、ぽかんとした。


 組んでいた腕が、ゆるゆるとほどけた。


「え。あ、謝った……?」


「それより、話があるの」


 セレネは表情を引き締めた。受付の椅子に座る。俺とミレイユも向かいに座った。フィオナは、まだ毒気を抜かれた顔のまま、その横に立っている。


「ヴァローが、本部に嘘の報告を書いたわ」


「やっぱり」


 ミレイユが、低く言った。


「割れた剣のことも切れた縄のことも書いていない。書いたのは、ただ一つ。──この街の目利きを処断せよ、と」


 処断。その言葉に受付の空気が固くなった。


「処断って、何をするの」


 フィオナが訊いた。セレネは俺のほうを見た。


「無資格での目利きを組合の名で禁じる。徽章を持たない者が銭を取って品を見ること。それを許さないと触れを出す。──あなたの相談の場が、なくなるかもしれない」


 俺はしばらく黙っていた。


 視えるものは変わらない。だが視たことを言ってはいけない。そう言われたら。昨夜ミレイユが言った通りのことが、本当に動き始めていた。


「でも、ヴァローさんは負けました。皆の前で」


「ええ。だから本部は、迷っている」


 セレネは、徽章にそっと触れた。


「ヴァローの嘘の報告と、わたしの正直な報告。二つが食い違った。どちらが本当か。──それを確かめるために、わたしはここへ来たの」


「あなたを、処断させはしないわ」


 セレネは、はっきりと言った。


 その目に、一月前の刺々しさはなかった。代わりに、別の強さがあった。


「わたしは見たもの。あの縄が切れた瞬間を。あれは手品じゃない。本物の目だった。それを嘘の報告で塗りつぶさせるわけにはいかない。──鑑定士として」


「セレネさん」


「勘違いしないで。あなたのためじゃないわ」


 セレネは、つんと顔をそむけた。


「事実のため。それだけよ。嘘がまかり通る組合なんて、わたしは認めない」


 そう言いながら、その頬が、ほんの少し赤い気がした。


 俺には、その理由がよく分からなかった。怒っているのか。それとも、別の何かなのか。人の心は視えない。状態は分かっても、考えていることは、いつも俺には届かなかった。


 フィオナが、横でじっとセレネを見ていた。


「……ふうん」


 なぜか、フィオナのほうが、面白くなさそうな顔をしていた。


「一つ、見てほしいものがあるの」


 セレネは、懐から小さな包みを取り出した。布を開く。中から出てきたのは、古い銀細工の腕輪だった。


「父から預かった、検めの品。わたしには、等級も価値も読める。でも、それだけ。──あなたには、これがどう視える?」


 俺は腕輪を手に取った。冷たい銀の感触。視ていく。


「いい品です。等級は上。細工も丁寧で。値打ちもあります」


「ええ。そこまでは、わたしも読めた」


「ただ」


 俺は、腕輪の留め金のあたりを指でなぞった。


「この留め金の付け根。銀の中に、目に見えない罅が一本、育っています。今は何ともありません。でも、強く曲げれば、ここから折れます。たぶん、もう長くは保ちません」


 セレネが、息を呑んだ。


「……父は、この腕輪を二十年つけている、と言っていたわ」


「なら、そろそろです。直すなら、今のうちに」


 セレネはしばらく腕輪を見つめていた。それからそっと布に包み直した。


 その手が少し震えていた。


「やっぱり、あなたの目は──本物ね」


 その声は、もう査察役のものではなかった。


「父は、この腕輪を肌身離さず持っていた。亡くなった母の形見なの。それが、もうすぐ折れる。──わたしの目では、それが視えなかった。組合じゅうの誰の目でも、たぶん視えなかった」


 セレネは包みを胸に当てた。


「あなたを処断しろと言う組合が、その同じ口で、こういう品を見逃している。──おかしいでしょう。視える者を罰して、視えない者が権威を名乗る。そんなの、間違っているわ」


 俺には、何と答えればいいのか分からなかった。


 ただ、この人は変わったと思った。一月前、僭称だと突っかかってきた、あの令嬢ではない。事実の前で頭を下げられる人になっていた。それはきっと、簡単なことではなかったはずだ。


 窓の外で、馬車の支度をする音がしていた。だが俺は、これから何が始まるのか、まだ半分も分かっていなかった。

面白かったら、ブックマークで応援していただけると更新の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ