第31話 認めない男
「貴様……何か、仕掛けたな」
ヴァローの声が広場に低く響いた。
俺は、その意味がすぐには分からなかった。
「仕掛け、ですか」
「そうだ。その剣も縄も。あらかじめ細工してあったのだろう。折れる場所に。切れる場所に。最初から印をつけておいた。それを言い当てたかのように見せた。芝居だ」
ヴァローは人々のほうを振り返った。声を張り上げる。
「皆も騙されるな! こんなものは手品にすぎん! 種を仕込んだ品を、種を知る者が当てる。当たり前のことだ!」
広場がざわついた。
だが、その声に頷く者はいなかった。
「ヴァローさんよ」
声を上げたのはドニだった。折れた剣を、まだ手にしている。
「品は、あんたが持ってきたんだろう。あんたが選んで、あんたの荷から出した。レイは指一本触れてねえ。細工する隙が、どこにあった」
ヴァローの言葉が詰まった。
その通りだった。品を選んだのはヴァロー自身だ。荷から出したのも護衛だ。俺は検めが始まるまで、その品に触れてすらいない。細工のしようがなかった。
人々の目が、潮の引くようにヴァローから離れていく。さっきまでの侮りが、今度はヴァローのほうへ向き始めていた。
「な……」
ヴァローが後ずさった。
自分で選んだ品で、自分が負けた。それを相手の細工だと言い張った。だが、その品を選んだのは自分自身。理屈がぐるりと回って、自分の首を絞めていた。
俺は、なんと言えばいいのか分からなかった。
ヴァローは、たぶん本当に悔しいのだ。長いあいだ、金の徽章こそがいちばん上だと信じてきた。その徽章が田舎の無資格者に、皆の前で負けた。それを受け止める言葉を、この人は持っていない。
セレネは持っていた。負けを負けと言える強さが。だが、この人にはそれがなかった。
「ヴァローさん」
俺は静かに言った。
「品は嘘をつきません。剣も縄も、ただそこにあるものを見せただけです。俺が勝ったわけでも、あなたが負けたわけでもありません」
「黙れ」
ヴァローが吐き捨てた。
「貴様の、その物言いがいちばん気に入らん」
ヴァローは外套を翻した。
「査察はこれまでだ。私は本部へ戻る。──だが覚えておけ。これで終わりだと思うなよ」
その背に、フィオナが声を投げた。
「逃げるの? 自分で言い出した検めなのに!」
ヴァローは足を止めた。だが振り返らなかった。
「報告は私が書く。本部にありのままを書く。無資格の男が組合の権威を愚弄した、とな」
俺は、その言葉に引っかかった。
ありのまま。だが、この人の言うありのままは、今日この広場で起きたことと、たぶん違う。剣が折れたことも縄が切れたことも書かれない。書かれるのは、ヴァローの守りたい正しさだけだ。
セレネは正直な報告を書いた。だから、通報が公認に裏返った。
ヴァローは嘘の報告を書く。それで何を裏返すつもりなのだろう。
馬車が石畳を鳴らして去っていった。金の縁取りが街道の向こうに小さくなっていく。
広場には、勝ったという喜びより、なんとも言えない後味が残っていた。
◇
メルダート。鑑定士組合、本部の一室。
窓のない薄暗い部屋だった。壁には歴代の金の徽章の肖像が掛かっている。みな厳しい顔をしていた。
ヴァローは、街道の埃を落とす間も惜しんで机に向かっていた。羽根ペンが紙の上を、苛立たしげに滑る。
『グラナの目利き、レイなる者──組合の手順を解さぬ無資格者。鑑定と称して、確かめようのない予言を並べ、地方の民を惑わすこと甚だし』
ヴァローは、そこまで書いてペンを止めた。
剣が折れたことは書かなかった。縄が切れたことも書かなかった。書けば、自分の負けを認めることになる。
代わりに、こう書き足した。
『当該人物の所業は、組合の権威を著しく損なうもの。早急にしかるべき処断を求む』
処断。
ヴァローの筆が、その二文字を太く、押し込むように書いた。
自分の目で負けたのなら、組合の力で潰せばいい。グラナの目利きから、相談の場を奪う。無資格での目利きを禁じさせる。徽章なき者の鑑定を、組合の名で封じてしまえばいい。
力では、まだこちらが上だった。
◇
その報告が本部の理事会に回された。
長い卓に、組合の理事たちが並んでいた。みな相応の歳を重ねた男たちだ。その中の一人が、報告を読み終えて眉を寄せた。
白髪の、痩せた老人だった。卓の上座に近い席。組合でも指折りの名家の当主である。
「……グラナ、か」
老人は低く呟いた。
その名には覚えがあった。つい先ごろ、自分の娘が査察に出向いた街だ。そして娘は帰ってくるなり、こう言った。
あの目は本物だった、と。
名家の誇りも組合の体面も、かなぐり捨てるような目で、娘はそう言った。あの気位の高い娘が。九年の修練を、同期で随一とまで言われた娘が。
あのとき、老人は娘を叱った。名家の娘が、無資格の田舎者を持ち上げてどうすると。家の名に泥を塗る気かと。だが娘は、引かなかった。報告は事実です、と言い切った。普段は父に逆らわぬ娘が、その一点だけは、頑として譲らなかった。
あの娘の目は、軽々しく物を見誤る目ではない。それは、父である老人が、誰よりよく知っていた。
その同じ街から、今度は金の徽章がまるで逆のことを言ってきた。処断を求む、と。
老人は、二つの報告を交互に見た。
娘の、正直すぎる報告。ヴァローの、都合のいい報告。
どちらかが嘘をついている。
「セレネを、呼べ」
老人は静かに言った。
「あれの口から、もう一度聞く」
◇
グラナ。その夜。
ギルドの受付で、ミレイユが長く息を吐いた。
「変な後味ね。勝ったはずなのに」
「あの人は、認めませんでした」
「認めないどころか、嘘の報告を書く気でしょうね。組合の力であなたを潰そうとしてくる。たぶん、これからが本番よ」
ミレイユは窓の外を見た。星が低く瞬いている。
「物の目利きでは、もう誰もあなたに勝てない。だから次は、目利きそのものを禁じにくる。徽章がない。資格がない。そういう理屈で」
俺は頷いた。
視えるものは変わらない。だが、視たことを口にしてはいけない。そう言われたら。俺はどうすればいいのだろう。
ふと、セレネのことを思い出した。
また来ます。負けたままでは終われない。去り際の、あの言葉。
あの人は今、何を考えているのだろう。
遠い街で一つの名が、静かに呼ばれていることを。
レイは、まだ知らない。
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