第29話 血の通った目利き
公開の検めは明日。
その日の午後も、俺はいつも通りギルドの受付で目利き相談をしていた。明日のことを気にしても仕方がない。視えるものを視て言うだけだ。それは今日も明日も変わらない。
相談に来たのは若い槍使いだった。名はトーロという。ここ最近ギルドに登録したばかりの男だ。痩せて背の高い、まだ少年の面影を残した青年だった。
「あの、レイさん。この槍、見てもらえますか。なんだか最近、手に馴染まなくて」
俺は槍を受け取った。穂先。柄。石突き。順に視ていく。
槍そのものは悪くなかった。穂先の鋼はしっかりしている。柄の木にもひびはない。買い取った品としては、上等な部類だった。
ただ──視えたのは槍ではなかった。
「トーロさん」
「はい」
「この槍より。あなたのほうが参っています」
◇
トーロが、きょとんとした顔をした。
「俺、ですか」
「ええ。顔色がよくありません。手の先が冷えています。それに息が浅い」
俺は槍を返した。
「血が薄くなっています。たぶん、ここのところろくに食べていませんね」
トーロの顔が、さっと赤くなった。図星だったらしい。
「……バレますか」
「視えるので」
トーロは観念したように肩を落とした。
「実は、その。登録したばかりで依頼もなかなか取れなくて。銭がなくて、一日に一食。固いパンだけで凌いでました。槍が馴染まないのも、腕が落ちたせいだと思ってたんです」
「腕ではありません。体です」
俺は言った。
「血が薄いと手の先まで力が回りません。槍が重く感じる。狙いも定まらない。それを腕のせいだと思い込んで、無理に振る。すると、もっと疲れる。悪い回り方です」
トーロはうつむいた。
「……どうすれば」
「まず食べてください。肉を。それと、緑の濃い野菜を」
俺はふと思いついて付け加えた。
「ミレイユさんに頼んでおきます。ギルドの炊き出しを、安く分けてもらえるように。今は体を戻すのが先です。槍は、それからです」
トーロの目が、少し潤んだ。それを見られまいと、深く頭を下げて出ていった。
◇
トーロが帰ったあと、ミレイユが横から口を挟んだ。
「ねえ、レイ。あなた、最近そればっかりね」
「そればっかり、とは」
「品じゃなくて、人。冒険者の体のことばかり目につくみたいで」
言われてみればそうかもしれなかった。
昔は物しか目に入らなかった。腐った食材。ひびの入った剣。薄められた薬。それだけだった。だがこの街に来てから、だんだん人が視えるようになってきた。フィオナの古傷。ドニの腰。そして今日のトーロの薄い血。
「気になって、しまうんです」
「気になるのは、いいことよ」
ミレイユは帳面に何か書きつけながら言った。
「考えてもみて。冒険者が、体を壊したまま依頼に出る。途中で動けなくなる。依頼は失敗。下手すれば死ぬ。それが、あなたのおかげで減ってるの」
「減って、いますか」
「ええ。この三月で依頼の失敗がぐっと少なくなった。みんな無理して出なくなったから。あなたが先に、体の不調を見つけてくれるから」
ミレイユは顔を上げて笑った。
「物の目利きが、いつのまにか人の目利きになってる。それも立派な仕事よ」
俺には、まだその実感がうまく湧かなかった。ただ、目につくものを口にしているだけだ。それを仕事と呼んでいいのか、よく分からなかった。
◇
その様子を、戸口から見ていた者がいた。
ヴァローだった。
明日の検めの下見にでも来たのだろう。護衛を従え、腕を組んで、俺とトーロのやり取りを聞いていたらしい。その顔には、はっきりと嘲りが浮かんでいた。
「聞いていれば、いよいよだな」
ヴァローが、つかつかと近づいてきた。
「品の目利きでも怪しいものを、今度は人の体まで言い当てると? 血が薄い? 内臓が弱っている? ──医者でもないお前が」
「医者では、ありません」
「だろうな。いいか、それこそ最も性質の悪いはったりだ。体の不調など誰にでも当てはまる。疲れているように見える。食が細いように見える。そう言っておけば、十人中八人は当たる。占い師の手口だ」
ヴァローは、せせら笑った。
「鑑定とは、確かめられるものを読む技だと言ったはずだ。人の腹の中など、開けてみなければ分からん。お前は確かめようのないことばかりを言う。明日の検めでは、そんなごまかしは通用せんぞ」
俺は少し考えてから答えた。
「ヴァローさん。一つ、聞いてもいいですか」
「なんだ」
「あなたは、人を視たことが、ありますか」
◇
ヴァローの眉が、ぴくりと動いた。
「人を、視る?」
「ええ。品ではなく、人を。生きている人を」
「鑑定は品を読む技だ。人を読む技などない。組合の手順にも、そんなものはない」
「手順にはないかもしれません。でも」
俺は、トーロが座っていた椅子を見た。
「彼は明日、無理をして依頼に出るところでした。血が薄いまま槍を振って。途中で動けなくなって、たぶん帰ってこられなかった。それを止められた。手順になくても、視えたから止められた」
「結果論だ」
ヴァローは、吐き捨てるように言った。
「死んでいない以上、死んだかどうかは分からん。お前の言うことは、いつもそれだ。起きなかったことを、自分が止めたかのように言う。卑怯な物言いだ」
「そうかもしれません」
俺は否定しなかった。たしかに、トーロが死んだかどうかは、もう確かめられない。止めてしまったから。
ただ、一つだけ思った。
確かめられないことのために、人は生きている。橋が崩れる前に直す。剣が折れる前に取り替える。病が重くなる前に手を打つ。──確かめられたときには、もう手遅れなのだ。
だが、それをヴァローに言っても、たぶん通じない。だから言わなかった。
◇
ヴァローが帰ったあと。フィオナが、ぷりぷりしながらやってきた。
「なにあれ! 占い師の手口? レイの目利きを、占いと一緒にするなんて!」
「いいんです、フィオナさん」
「よくない! トーロのこと、レイが見つけてやったのに。あいつ、ありがたいとも思ってないんだ」
フィオナは、どっかりと椅子に座った。それから、ふと真面目な顔になった。
「ねえ、レイ。明日の検め。あいつ、品でも負けたら、どうすると思う?」
「分かりません」
「あたしは、認めないと思う。セレネと違って。負けても屁理屈こねて、認めない。そういう目をしてた」
俺も、同じことを感じていた。
ヴァローは、品を割れば、視えたものが本当だと分かる。それでも、たぶん納得しない。あの男が守りたいのは、品の正しさではない。自分の正しさだからだ。
明日、品が割れる。中の錆が、姿を現す。
そのとき、ヴァローは何を言い出すのだろう。
なぜか、嫌な予感が消えなかった。
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