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第27話 金の徽章

 その書状は朝いちばんにギルドへ届いた。


 隊商の早馬が運んできたものだという。受付の机に置かれたそれを、ミレイユが手に取った。封の蝋に見慣れない印が押されている。


 組合の印だ。だが、いつもの支部の印ではない。もっと大ぶりで、縁に細かい飾りがついている。


「本部だわ」


 ミレイユの声が少し硬かった。


「鑑定士組合の本部。連合じゅうの鑑定士を束ねてる、いちばん上の組織よ」


 俺はその蝋印を視た。古い蜜蝋に上等な金粉が練り込まれている。安物ではない。それを使う相手が自分を重く見せたがっているのが、なんとなく分かった。


 ミレイユが封を切った。中を読むにつれてその眉が寄っていく。


「……再査察、ですって」


「再査察」


「この前のセレネさんの査察。あれをもう一度やり直すって。本部からもっと格上の鑑定士を寄越すから、その者の検めを受けろ、と」


 ミレイユは書状を机に置いた。指先でその縁を押さえる。


「セレネさんは、あなたの目を本物だと認めた。それを本部がわざわざ覆しに来る。──おかしいでしょう。一度すんだ話を、上から蒸し返すなんて」


「誰かが覆したいんですね」


「ええ。心当たりは一つしかないわ」


 ミレイユは窓の外を見た。東のほう。馬車で四日の、メルダートの方角だった。


 ◇


 書状には、検めに来る鑑定士の名と位が記されていた。


 ヴァロー。


 金の徽章。


「金の徽章……」


 ミレイユがその言葉を口の中で転がした。


「セレネさんは銀だったわよね。それより上ってこと?」


「上です」


 俺は答えた。商会にいた頃、検品場の隅でそういう話を聞いたことがある。組合の徽章には位がある。下から、鉄、銅、銀。そして金。


「金の徽章は、組合でもひと握りしかいません。連合じゅうの鑑定のいちばん上に立つ人たちです」


「そんな人が、こんな田舎の街に?」


「呼ばれたんでしょう。誰かに」


 ミレイユはふっと息を吐いた。それから、いつもの調子を取り戻すように背筋を伸ばした。


「まあ、いいわ。来るなら来ればいい。セレネさんのときと同じよ。あなたはいつも通り品を視るだけ。本物が来たって、結果は変わらない」


「はい」


 俺は頷いた。


 ただ、ひとつだけ引っかかっていた。セレネは自分の目で物を見て、自分の負けを認めた。だが金の徽章の男が同じように見てくれるとは限らない。


 位が高いほど見栄も高い。それは商会の会頭で知っていた。あの男も、自分の下した差配だけは決して間違いと認めなかった。間違いを認めるより、世界のほうを間違っていることにするたちだった。


 ◇


 昼下がり。市場にも、その噂は早くも広まっていた。


 八百屋の女房が、桃の籠ごしに俺を呼び止めた。


「ねえ、レイ。聞いたよ。また偉い鑑定士が来るんだって?」


「ええ。組合の、上の人が」


「この前のお嬢さんより偉いんだろ。大丈夫なのかい、あんた」


 女房の顔には本気の心配が浮かんでいた。俺のことを案じてくれている。それがくすぐったかった。


「俺は、いつも通りにするだけです」


「そうかい。けど、あんまり虐められたら、あたしらが黙ってないからね」


 隣の魚屋の親父も台ごしに口を挟んだ。


「おうよ。なんなら、その金だか銀だかの鑑定士に、うちの腐りかけの鯵でも握らせてやらあ。レイが弾いたやつをな。当てられるもんなら当ててみろってんだ」


 周りの客がどっと笑った。


 俺はこの街に来てから何度もこの笑いに救われている。商会では、誰も俺のために笑ってはくれなかった。検品場の俺は、いてもいなくても同じ男だった。少なくとも、皆はそう思っていた。


 ◇


 夕方。ギルドの裏手で、フィオナが剣の手入れをしていた。


 なまくら鉄の丸盾を傍らに置いている。ガロの打ったやつだ。手入れの布が刃の上を行き来していた。


「ねえ、レイ。その金の徽章ってやつ、どんな男だと思う?」


「会ってみないと分かりません」


「あたしは嫌な予感がするんだよね」


 フィオナは布を止めて俺を見上げた。赤い髪が夕日で燃えるような色をしていた。


「セレネはさ、ツンツンしてたけど根は真っ直ぐだった。負けたら、ちゃんと負けたって言えるやつだった。でも、わざわざ上から覆しに来るやつって、たぶん、そういうタイプじゃない」


「というと」


「負けても負けを認めないやつ。あたし、そういうのがいちばん嫌い」


 フィオナは盾を持ち上げ、軽く小突いてみせた。


「もし、そいつがあんたに難癖つけてきたら。あたし、この盾で割り込むからね。中身がどうとか数字がどうとか、御託ならべる前に、現物見せりゃいいんだ」


「割らないでください」


「割らないって。脅すだけ」


 フィオナは笑った。けれど、その目の奥は少し本気だった。


 俺のために怒ってくれる人が、ここには何人もいる。それがなんだか申し訳なくて、けれど嬉しかった。商会を出されたとき、俺はひとりだった。今は、ひとりではない。それだけは、はっきりと違っていた。


 ◇


 その夜。グラナの街道を、一台の馬車がゆっくりと進んでいた。


 四頭立ての、立派な箱馬車だ。車体には組合本部の紋章。金の縁取り。御者は二人。護衛らしき男が前後に控えている。およそ田舎街道には不釣り合いな一行だった。


 箱の中で、一人の男が脚を組んでいた。


 仕立てのよい外套。胸には金の徽章。鈍く、しかし確かに光を返している。


 男は窓の外の暗がりに目をやった。遠くにグラナの灯が小さく見えている。頼りない、小さな灯だった。


「これが、その街か」


 男の声には隠そうともしない侮りがあった。


「こんな後発の田舎に、組合の令嬢が誑かされたとはな。査察の名が泣く」


 御者がおそるおそる声をかけた。


「ヴァロー様。その、目利きの男というのは、なかなかの腕だと聞いておりますが」


「腕?」


 ヴァローは鼻で笑った。


「無資格の素人が、まぐれを並べただけだ。徽章も持たぬ者の目利きなど、目利きとは呼ばん。私が行って数字で叩き伏せてやる。組合の鑑定がどういうものか。その娘にも、田舎者にも、思い知らせてやる」


 ヴァローは胸の徽章を指でなぞった。金は冷たく、ひとの指の熱を吸わない。


「銀が見誤ったものを、金が正す。それだけのことだ」


 馬車はゆっくりとグラナへ近づいていく。


 その胸の金の徽章は、暗い箱の中で、ひとり冷たく光っていた。


 明日、この街に、銀よりも厄介な影が差す。


 レイは、まだその顔を知らない。

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