第24話 三十振り
翌朝、俺とミレイユは、ガロの鍛冶場へ向かった。
西の坂を下る。半年前に初めて来たときとは、もう景色が違っていた。
あのときは煙突から煙も出ていなかった。看板は風化して文字も読めなかった。死にかけた鍛冶場だった。
今は違う。炉からは朝のうちから煙が上がっている。軒先には研ぎ上がった刃が幾本も並ぶ。火の色が毎日ちゃんと生きている。
ミレイユが、戸口でキランの大店の話を切り出した。
「月に三十振り。それも、ガロさんの打った武具を名指しで。値も、こちらの言い値でいいそうよ」
ガロは、槌を置いた。
しばらく炉の火を睨んでいた。節くれだった手で白い髭をひとつ撫でる。
それからひとことだけ言った。
「断れ」
「えっ」
「三十なんぞ打てるか。儂は一日に一振りがやっとだ。それも、調子のいい日でな。月に十も打てれば上等よ」
「でも、ガロさん。値はこちらの言い値で──」
「銭の話じゃねえ」
ガロの声が低くなった。炉の音より低い声だった。
「数を追えば質が落ちる。落ちた品に儂の名は彫れん。それくらいなら打たんほうがましだ」
言い切って、ガロはまた槌を取った。話は終わりだという背中だった。
◇
ミレイユが困った顔で俺を見た。
俺は答えず、炉のそばに目をやっていた。
そこには、なまくら石が山と積まれていた。ドニたちが亀の沢から運んできた、灰色のありふれた石。だが中身は別物だ。北の特級炉鉄より澄んだ鉄が、この鈍色の中に眠っている。
ただし、すべてが当たりではない。
「ガロさん。この石、十のうち三つは、中が荒れています」
「ああ」
ガロの手が止まった。
「お前が前に言った通りだ。割ってみると、三つに一つは芯に鬆が入ってる。あれは打っても伸びん。火と炭の無駄だ」
「打つ前に、俺が選り分けます」
俺は積まれた石の山に手を入れた。一つ取る。掌で重さを量る。中の様子がなんとなく視える。
これは当たりだ。芯まで澄んでいる。
次の一つを取る。
「……ダメですね、これ」
軽く振ると、奥のほうで詰まった手応えがあった。中に鬆が入っている。打てば必ず割れる。
俺はそれを脇へ寄せた。当たりとはずれ。手に取るだけで分かれていく。ガロが、その手元をじっと見ていた。
「荒れた石を先に弾けば、ガロさんは当たりだけを打てます。打ち損じが減ります。火が無駄になりません。一日一振りが、一日二振りに近づきます」
「……それは、助かるがな」
ガロは、まだ渋い顔だった。
「それでも、月に二十がせいぜいだ。三十には、どうしたって届かん」
「届かなくて、いいんです」
俺は石を置いて、ガロを見た。
「三十を、十五に減らしてもらいましょう。そのかわり、一振りも外れを出さない」
◇
「数を半分にして、向こうが喜ぶとでも?」
「喜びます」
俺は言った。
「キランの大店が欲しいのは、数ではありません。ガロさんの名前です」
ガロが片眉を上げた。ミレイユも、はっとした顔で俺を見た。
「数で勝負すれば、商会の量産品と同じ土俵に立たされます。安くて、ぴかぴかで、半年で折れる品と。そこで張り合っても勝てません。向こうは何百でも作れます」
ガロの眉が、ぴくりと動いた。半年で折れる、という言葉は、この老人が前に吐いた台詞だ。
「ですが、数を絞れば。『ガロの打つ武具は、めったに手に入らない。だが一生折れない』。──そういう品になります。値は、放っておいても向こうから上がっていきます」
しばらく、誰も口を利かなかった。
炉の中で、炭がぱちりと爆ぜた。
ミレイユが、ゆっくりと頷いた。
「月に十五振り。値はこちらの言い値。それで向こうが引かなければ、本物の注文。引くなら、ただの安物買いだったってこと」
「儂は」
ガロが、口を開いた。
「儂は、十五なら打てる。お前が石を選るならな。一振りも、恥はかかせん」
「決まりですね」
ミレイユが、ようやく笑った。
◇
その日、ガロの鍛冶場に、もう一つ話がついた。
弟子のことだ。
ガロには、もう何年も弟子がいなかった。客が商会の出店に流れ、教える相手も食わせる銭も尽きていた。一人で炉を抱え込んだまま、ゆっくり枯れていく老人だった。
それが今、変わろうとしている。
「火の番と、鞴と、炭の世話。そのくらいは、若いのにやらせてもいい。儂が打つ手間が、半分になる」
ガロは、坂の上を顎でしゃくった。
「ドニんとこの弟が、鍛冶をやりたがってたな。手のでかい、図体のいいのが。あれを寄越せ。儂が一から仕込む」
「いいんですか。人を入れて」
「芯を打つのは、儂とお前だけだ。それは変わらん」
ガロは、火床の奥を見つめた。
「だがな。火の起こし方も、鉄の見方も、誰かに渡しておかんと。儂が死ねば、この鉄の打ち方ごと消える。それは……惜しい」
老人の目に火が映っていた。
半引退の鍛冶場が、また人の集まる場所になろうとしていた。商会を通さない取引が、ただの小遣い稼ぎから、ひとつの仕事の柱に育っていく。
帰り道、ミレイユは坂を上りながら指を折っていた。
「ガロさんの武具で、月に十五。なまくら石の値で、それとは別に。目利き相談の上がりもある」
ミレイユの声が、少し弾んでいた。
「ねえ、レイ。気づいてる? もう、商会から借りなくても、利子が払えるのよ。三年ぶりに」
商会への借金は銀貨四百枚。利子は月に八枚。ずっとギルドの首を絞めてきた重しだ。
それが、ようやく自分の足で返せる目処が立った。
「よかったです」
「よかった、で済ませないの。あなたのおかげなんだから」
ミレイユは、また同じことを言って、同じように途中で口をつぐんだ。
その横顔が、夕日で赤かった。
◇
メルダート。バルロ商会。
特設市の天幕の裏で、帳簿方が、ゲルツに一枚の紙を突きつけていた。
「ゲルツさん。これ以上は、もう無理ですよ」
「何がだ」
「グラナの安売り市。今月の損がまた膨らみました。値を三分の一まで下げたのに、肝心の品が売れ残っている。鍋も、剣も、薬も」
帳簿方は皮肉っぽく口を歪めた。
「安いだけのものは飛ぶように売れます。ですが、誰も損はしていない。なぜかグラナの連中は、安物の中身をちゃんと見抜くんです」
ゲルツの顔が、ひきつった。
「あの……目利きか」
「銅貨五枚で、品の良し悪しを割ってしまう。うちが原価割れで撒いた安物の、どこが弱いか。ぜんぶ、客に筒抜けです」
帳簿方は、紙をひらりと置いた。
「天幕を、たたむ潮時です。これ以上続ければ、損が会頭の耳に届く額になりますよ」
ゲルツは紙を握りつぶした。
撤退。また撤退だ。
打つ手が、ことごとく裏返っていく。その理由が、どうしても掴めなかった。
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