第22話 お墨付き
セレネが発って五日が過ぎた。
その朝、ギルドの扉を開けたのは見ない顔だった。
日に焼けた壮年の男。腰に冒険者証の木札。等級は黄。グラナの者ではない。
男は受付の前で足を止めた。室内をぐるりと見回す。それから、ぶっきらぼうに言った。
「ここに目利きの男がいると聞いた」
ミレイユが受付から応じた。
「いますが。どちらから」
「キランだ。武具の市が立つ街の、ギルドの者でな」
キラン。隣街だ。バッソの隊商が時々足を伸ばす。武具の目利きにはうるさい街だと聞いていた。
男は懐から布包みを出した。中身は短剣が一振り。柄も鞘も新しい。よく磨いてある。
「組合の査察役が、地方の目利きを本物と書いたそうじゃないか。連合じゅうのギルドで噂になってる」
男は短剣を受付に置いた。
「眉唾だと思ってな。わざわざ四日かけて確かめに来た。──こいつを、視てみろ」
俺は短剣を受け取った。
◇
刃を光にかざす。
鋼は悪くない。よく鍛えてある。打ちも揃っている。一見、文句のつけようがない。
だが。
「……ダメですね、これ」
「なに?」
「茎が痛んでいます」
「なかご?」
「柄の中です。刃を仕込んだ根元の鉄。ここに汗と脂が染みて、内から錆びています。表からは見えません。新品のように見えます。ですが強く打ち込めば、ここで折れます」
俺は柄の付け根を指で押さえた。
男の顔がこわばった。
「分かるのか。柄を割りもせず、中の茎の錆が」
「割らなくても、だいたい分かります」
男はしばらく短剣を睨んでいた。それから低く笑った。肩から力が抜けていく。
「……当たりだ」
男は木札を握りしめた。
「これはな。キランで折れて怪我人を出した剣と、同じ職人の品だ。市場じゅうが新品同様で出回ってる。誰が見ても上物だ。なのにこいつだけは、根元から逝った」
男は短剣を布に包み直した。
「噂を疑った俺が馬鹿だった。本物だな、お前は」
「本物、ですか」
俺はその言葉がよく分からなかった。
折れる剣を折れると言っただけだ。そこに本物も偽物もない。
◇
その日から、ギルドの目利き相談に、よその街の者が混じるようになった。
キランの冒険者。隊商の御者。果てはメルダート寄りの村から来た商人まで。
みな、組合の査察役が認めた目利きを一目見ようとやって来る。
ある者は鎧の継ぎを検めに来た。ある者は買い込んだ薬の真贋を疑って来た。
穀物を一袋まるごと担いできた農夫もいた。
「親父さん。これは去年の麦が三割混じっています」
「なんだと。新麦で売ると言われて買ったんだぞ」
「上の方は確かに新麦です。袋の底に、古いのが沈めてあります。籾の色が違います。粉に挽けば、すぐ分かります」
農夫は袋をひっくり返し、底をすくった。色がくすんでいた。
「……騙されてたのか。市場の真ん中で、堂々と」
「持って帰って、売り主に見せるといいです。底の三割の分は、返してもらえます」
農夫は袋を担ぎ直し、何度も頭を下げて帰っていった。
俺は一つずつ視て、一つずつ答えた。やることは検品場にいた頃と変わらない。
ミレイユは忙しそうに、だが嬉しそうに、順番の木札を配っていた。
「すごいわね。お墨付きが一枚あるだけで」
「お墨付き、ですか」
「セレネさんの報告よ。連合のギルドは評判が街から街へ伝わるの。一つの支部で認められた話が、ひと月もすれば連合じゅうに回る」
ミレイユは木札の束をとんと揃えた。
「あなた、有名人になっちゃった」
「有名」
俺にはその実感がなかった。
やっていることは何も変わっていない。視て、答える。それだけだ。
「俺は何も変わっていません。まわりが、少し騒がしくなっただけで」
「変わったのは、まわりよ」
ミレイユは小さく笑った。
「あなたが正しいことを、ようやくみんなが認め始めた。それだけのこと」
◇
メルダート。バルロ商会の、会頭の部屋。
会頭は机に広げた一通の写しを、苦い顔で眺めていた。
鑑定士組合の査察報告の写しだった。商会と組合は古い付き合いだ。支部に多少手を回せば、この程度の文書は流れてくる。
「『組合の鑑定に勝るとも劣らず』……」
会頭はその一行を指でなぞった。
査察役の娘は名家の生まれだ。組合理事を出す家の令嬢が、地方の無資格者をここまで持ち上げた。
ありえない。何かの間違いだ。
だが写しの末尾には、たしかに支部の印が押されている。本物の文書だった。
「グラナの、目利き……」
会頭の頭の隅で、もう一つの報告が疼いた。
ひと月前。ゲルツからちらと聞いた話だ。グラナで銭を取って鑑定をしている男がいる。その男は──元、当家の検品係だと。
あのとき会頭は、わずかに眉を寄せ、すぐに忘れた。検品係など誰でもできる雑用だ。そう切り捨てた者が、組合の令嬢に認められるはずがない。
なのに。
手元の写しは、その「はずがない」を静かに突き崩してくる。
「……ゲルツを呼べ」
会頭は写しを裏返した。
見たくなかった。だが、見ないわけにもいかなくなっていた。
◇
グラナの夕暮れ。
俺が相談の品をしまっていると、ミレイユが帳面を持ってきた。
「今月の目利き相談、もう先月の倍を超えたわ。銅貨五枚ずつでも、積もれば馬鹿にならない」
ミレイユは帳面の数字を見せた。
「ギルドの台所、初めて少し息がつけそう。三年間、商会に頭を下げて回しても回らなかったお金が、あなたが来て半年で」
言葉が途中で止まった。
ミレイユは帳面に目を落としたまま、少しのあいだ黙った。
「……ううん。なんでもない。ありがとう、って言いたかっただけ」
俺は、しまいかけた手を止めた。
「それより、ひとつ」
「ん?」
「明日、ドニさんに来てもらえますか。さっきすれ違ったとき、少し気になって」
「ドニ? あの人、どこも悪くないでしょ。斧で熊だって倒すのに」
「いえ。悪いです」
「悪い?」
「腰です」
俺は自分の腰のあたりに手を当てた。
「歩き方が、左にわずかに逃げています。庇っているのに本人が気づいていない。あのまま重い荷を背負えば、次の山で立てなくなります」
ミレイユの顔から笑みが消えた。
「あなた……人まで視えるようになったの?」
「人、というか。なんとなく、危なっかしいのが目について。品物と同じです」
「同じじゃないわよ。全然」
ミレイユは帳面を胸に抱えたまま、しばらく俺を見ていた。
俺の目が、いつのまにか品物から人へ移り始めていること。
俺自身も、まだよく気づいていなかった。
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