第217話 盟の都ドルト
道が、よすぎた。
旅に出て三日目には、もう気づいていた。
石畳だ。それも継ぎ目がきれいに詰めてある。わだちのえぐれたところは埋め直してある。雨で流れないように両側へ水の逃げ道が切ってある。……こんな道は連合にもない。グラナからメルダートへ行く街道でさえ雨が降れば馬車が沈んだ。
俺は馬車から降りて石畳を指でなでてみた。
……よく焼けた石だ。目が詰まっている。継ぎ目の詰め物は砂と石灰。手を抜いていない。この道はたぶん五十年もつ。
「まっとうな仕事です」
俺は思わず言った。
「ああ」
ノアが渋い顔で言った。
「まっとうすぎて、気味が悪いや」
関所がなかった。
連合なら都市の境ごとに関所がある。税を取られ、荷を検められる。この土地には何もなかった。あるのは道と、金の輪の紋を掲げた宿と、荷継ぎの馬屋だけだ。
「そりゃそうさ」
ハイデが言った。
「境がないんだよ。ここからドルトまで、ぜんぶ盟の腹の中だ。自分の腹の中に関所を作る奴はいないだろ」
道の両側に村があった。
どの村にも金の輪の紋が立っていた。麦の村。塩の村。鉄を打つ村。……一つの村が一つの品しか作っていない。村ごとに、決まった品を決まった量だけ。まるで大きな仕事場の、それぞれの持ち場のようだった。
村の人はよく肥えていた。着ているものも粗末ではない。門の街の人よりずっと。
……豊かなのだ、と俺は思った。
だます土壌の街より、この盟の裾野のほうが人はよほど豊かに暮らしている。
◇
十日目の昼過ぎ、坂の上に出た。
そして俺は、足を止めた。
海だった。
初めて見た。灰色に光る、途方もなく広い水。その水際に街があった。
……いや、街ではなかった。
倉だ。倉が山脈のように連なっている。屋根と屋根が地平まで続いて、どこで終わるのか見えない。その手前に桟橋が何十本も突き出ている。そこへ船が並んで胴を寄せていた。荷を降ろす人。荷を担ぐ人。数えるのをやめたくなるほどの人。
その全部の屋根の上に、金の輪の旗が立っていた。
風でいっせいに、同じ方へなびいていた。
「……ドルト」
ハイデが、かすれた声で言った。
俺の後ろでノアが低くうめいた。
「山より、でかいな」
フィオナさんは何も言わなかった。ただ槍の柄を握り直しただけだった。
俺は坂の上に立ち尽くしていた。
バルロ商会を思い出した。俺を追い出した商会。街ひとつの信用を背負っていた、あの大きな商会。……あれはこれに比べれば村の店だった。
あの商会が瓦解したとき、街ひとつが傾いた。──ここが傾いたら、いくつの街が傾くのだろう。
俺には、想像もつかなかった。
◇
都の市を歩いた。
俺は歩きながら癖で勝手に視ていた。
……偽物がなかった。
一つもだ。
麦は水増しされていない。油は割られていない。革は薄くすかれていない。秤は狂っていない。……この市には、俺が門の街で毎日弾いていたものが、何一つ並んでいなかった。
「ダメですね、これ」と言う相手が、いない。
俺は少し戸惑った。
この盟があの街に偽物を流していたはずだ。薄くすいた革。水で割った油。磨いた鉛の銀細工。……その大もとの都に、偽物が一つもない。
「そりゃそうだろ」
ハイデが吐き捨てるように言った。
「自分の飯に土は混ぜないさ。混ぜるのは、他人の飯にだけだよ」
……そうかもしれない。
フィオナさんは市の人の流れに何度もぶつかっていた。
槍を担いだ女など、この都では誰も見ない。荷を担ぐ者は担ぐ者の道を行き、帳面を抱えた者は帳面の道を行く。誰も立ち止まらない。誰も怒鳴らない。押しあいもない。決まった水路を流れる水のように人が動いていた。
「気持ち悪いな」
フィオナさんが言った。
「誰も、あたしを見ないぞ。よそ者が槍を担いで歩いてるのに」
たしかにそうだった。門の街なら、俺たちは門をくぐった瞬間に値踏みされた。ここでは誰も俺たちを見ない。値踏みする値打ちもないのだろう。街道であの隊商が俺たちを石ころのように追い越していったのと、同じだった。
俺は背負い袋のしるしの帳面を思った。連合の印の押された、あの帳面。……この都では、たぶんただの紙だ。門の街と同じように。いや、門の街より始末が悪い。ここには、この都の帳面がある。
だが、市を歩くうちに、俺は別のことに気づいた。
どれも同じなのだ。
麦の袋を十、視た。十とも同じだった。粒の大きさも乾きぐあいもまったく同じ。次の店も同じ。その次の店も。この市の麦は、どこで買っても寸分違わない。
革も同じだった。厚みが揃っている。なめしの度合いも揃っている。……あの老職人の革のような、指に吸いつく感じはない。かといって薄くすいた偽物でもない。ちょうど真ん中だ。きれいに、真ん中。
俺は一枚の革を長いこと手のひらに乗せていた。
悪くない。……悪くないのだ。ただ、それだけだった。
線がある、と思った。
この線から下は通さない。上も要らない。全部の品がその線のすぐ上にきれいに乗っている。誰かが引いた一本の線の内側に、この都のすべてが収まっている。
これは、まっとうなのだろうか。
……分からなかった。
だが門の街で、あの老職人の革を手にしたときのような、あの、胸が少し動く感じは、この市のどこにもなかった。
◇
盟の館は、都のいちばん高いところにあった。
思っていたより地味な建物だった。金も飾りもない。ただ石が良かった。窓の枠まで隙間なく組んである。
通された広間で俺たちは待たされた。
卓の上に品が並んでいた。麦の穂。鉄の塊。革の切れ端。塩の壺。……飾りではない。見本だ。この盟が扱うものが、そのまま置いてある。
……俺はつい手を伸ばしていた。
鉄の塊を持ち上げる。ずしりと来る。よく焼けている。鍛えが足りない。だがそれでいい。この鉄は道具にするための鉄だ。剣にはしない。……なるほど。用途に合っている。
「何を、視ておられたのですか」
声がした。
俺は顔を上げた。
扉のところに、男が立っていた。
……小さな男だった。
思っていたよりずっと。背は俺より低い。太ってもいない。白いものの混じった髪を短く刈って、地味な灰色の服を着ている。商人にも見えない。役人にも見えない。どこにでもいる五十半ばくらいの男だった。
その手だけが違った。
節くれ立って太い。指の腹に古いタコがある。……荷を担いだ手だ。俺はその手を視てしまった。
「鉄を」
「……よく焼けています。鍛えは足りません。でも、これは道具にする鉄ですね。だったら、これでいいと思います」
男はしばらく黙っていた。
それからゆっくりと笑った。
目の端にたくさんのしわが寄った。
「そのとおりです」
男は言った。
「……この広間に通した客は、数えきれません。みな、金の輪の話をしに来る。荷の話を。値の話を。船の話を。──その卓の鉄を手に取った客は、あなたが初めてです」
男は広間を横切ってきた。歩き方に少しも急ぐところがなかった。
「アロイス・ヴァルダーです」
男は軽く頭を下げた。
俺の後ろでハイデが息を止めるのが分かった。
「あなたの目を、ずっと見たかった」
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