第212話 帆の商機
ヴィオラの帆が、街の門をくぐってきた。
荷馬車の列。日に焼けた隊商の男たち。連合の織物や塩や道具を積んで、この無法の街へ。……ヴィオラは相変わらず住みつかない。連合と新天地のあいだを、風のように行き来している。
その先頭の馬車からヴィオラが降りてきた。
フィオナさんが槍を担いで出迎えた。
「よう。連合はどうだった」
「相変わらず、退屈なくらい平和よ。……あんたたちのいる、こっちのほうがよっぽど面白そうね」
ヴィオラはそう言って俺のほうを見た。
「ずいぶん、面白いことになってるじゃない、レイ。街に入る途中で噂を聞いたわ。辻に正直な秤ができたって。だまされ慣れたこの街の連中が、品を確かめるようになったって。……あんたの仕業でしょう」
「みんなが自分で気づいたことです」
俺が言うと、ヴィオラはやれやれ、というふうに肩をすくめた。
「はいはい。……相変わらずね」
ヴィオラは辻の秤を見に来た。
正直な秤。しるしの帳面。まっとうな品を売る、ぽつぽつとした店。ヨナや子どもたちが、卵を振り、麦をより分けている。……ヴィオラはそれを商人の目でじっと見ていた。
「……これは、商いになるわ」
ヴィオラはぽつりと言った。
「え?」
「いい? この街には、まっとうな品を作る職人がいる。あの革職人みたいな。だけど、この街じゃ、まっとうな品は安く買い叩かれる。誰も値打ちを分からないから。……だったら」
ヴィオラの目が光った。
「その品を連合に運べばいい。連合には、まっとうな品をまっとうな値で買う人がいる。この街で二束三文の革が、連合ならまともな値で売れる。……逆に、連合の品を、この街に持ってくる。まっとうな品を、まっとうな値で。私の帆が、その二つをつなぐ」
……なるほど、と俺は思った。
この街には、まっとうな品がないわけじゃなかった。あの革職人のように、まっとうに作る者はまだ残っている。ただ、その品をまっとうに買う相手が、この街にいないだけだ。売る場所さえあれば、まっとうな品は生き返る。……ヴィオラは、その売る場所を連合に見つけたのだ。
それはヴィオラが連合でやってきたことと同じだった。まっとうな品を必要な場所へ運ぶ。かすめ取るより、届けるほうが儲かる。……会頭とは違う。学ばずに瓦解した、あの会頭とは。ヴィオラは痛い目を見て、それを学んだ人だ。
「それに」
ヴィオラは続けた。
「あんたのしるしの帳面。あれを、この街でも回せばいい。連合で標準になった、あの仕組み。徽章の目と、外れを見抜く目。それを、この新天地にも。私の帆が、帳面を運ぶ」
俺は少し胸が熱くなった。
連合を出るとき、セレネさんがしるしの帳面の写しを俺に託してくれた。連合の外へ、あなたが運んで、と。……その帳面が今、この新天地で根を張ろうとしている。ヴィオラの帆に乗って。
ハイデが宿から出てきた。
ヴィオラと、ハイデ。二人の女は、しばらく互いを値踏みするように見ていた。
「……あんたが、この街で正直を張ってきた女将かい」
ヴィオラが言った。
「二十年、一人で正直な秤を守ってきたって? ……たいした意地だね。無駄だと思わなかったのかい」
「思ってたさ」
ハイデがふてぶてしく答えた。
「毎日、無駄だと思ってたよ。……でも、やめられなかった。それだけさ」
ヴィオラがふっと笑った。
「……気に入ったよ、女将。あんたの宿を、帆の起点にさせてもらう。連合の品はあんたの宿に置く。この街の正直な品は、あんたの宿から連合へ運ぶ。……それでいいね?」
ハイデは少し面食らったようだった。それからぶっきらぼうにうなずいた。
「……好きにしな」
だがその顔には、隠しきれない何かがあった。二十年、一人で守ってきた正直が、初めて街の外へつながろうとしている。……その手ごたえのようなものが。
さっそく、あの革職人の革がヴィオラの馬車に積まれた。
この街で二束三文に買い叩かれていた、まっとうな革。それが今、連合へ運ばれていく。まっとうな値がつく場所へ。……老職人は、自分の革が積まれるのを信じられないという顔で見ていた。三十年、報われなかった仕事が、初めて外の世界へ出ていく。
だが、と俺は思った。
この商いはあの盟とぶつかる。
「ヴィオラさん」
俺は言った。
「昨日、盟の男が来ました。ザマー、という人です。……この街の偽物も、辻の正直な秤も、いずれ盟の商いに関わってくる、と。俺に、盟に来ないか、と」
ヴィオラの顔から笑みが消えた。
「……盟が、もう、あんたに目をつけたのかい」
ヴィオラはしばらく黙っていた。
「いいかい、レイ。……あの盟は、バルロ商会なんかとは桁が違う。連合ぜんぶを一つの街としか見ないような、そんな規模だよ。私だって、まともにぶつかったら、ひとたまりもない」
ヴィオラの声はめずらしく真剣だった。
「この街の偽物は、あらかた、盟の裾野から流れてる。……つまり、私たちが正直な品を回すってことは、盟の偽物の商いを、じわじわ削るってことだ。盟が黙ってるとは思えない」
俺はあのザマーの静かな目を思い出した。
この街の偽物も、辻の正直な秤も、いずれ盟の商いに関わってくる──ザマーは、そう言った。あれは脅しですらなかった。ただ事実を告げただけだ。俺たちのやることがいつかあの巨大な流れと正面からぶつかる。ザマーには、それがはじめから見えていたのだろう。
「怖いですか」
俺が聞くと、ヴィオラはにやりと笑った。
「まさか。……儲かる話に、危ない橋はつきものさ。それに」
ヴィオラは辻の秤を見た。
「偽物は、いつか腐る。まっとうな品は腐らない。……長い目で見りゃ、どっちが勝つかは決まってる。会頭を見たろう? 学ばない大きさは、いつか、こける」
その言葉に、俺は少しだけ心強くなった。
ヴィオラは味方とは少し違う。かつては敵だった人だ。今も儲けのために動く人だ。……だが、その儲けが、正直な品を運ぶことにあるなら。俺の目指すものと、ヴィオラの帆は同じ方を向く。
◇
その夜、ヴィオラは連合から預かってきた文を俺に渡した。
本部の、セレネさんとテオさんからだった。
新天地にしるしの帳面を根づかせるための、連合からの後ろ盾。……遠い連合の改革が、この新天地に手を伸ばそうとしていた。
あんな遠い街から、俺のことをまだ支えようとしてくれている。
俺は、その文をそっと開いた。
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