第209話 宝の真贋
その男は宝の地図を握りしめていた。
次の日の昼だった。ハイデの宿の軒先に、一人の男が駆けこんできた。四十がらみの、日に焼けた男だ。探索者らしい。息を切らして、汗だくで、目だけがぎらついていた。
その目に見覚えがあった。何かにすがる者の目だ。おぼれる者が藁をつかむような。この街に来てから何度も見てきた目だった。
手には一枚の古い紙。
「あんたが、品の真贋を視るって男か」
男は俺に詰め寄った。
「頼む。これを視てくれ。本物かどうか、視てくれ」
男が差し出したのは、一枚の古い鉱脈図だった。羊皮紙に山の絵と、坑道の道筋。そして一点に大きな×の印。……大鉱脈の在りかを示す、宝の地図だ。
俺が受け取ろうとしたとき、ノアが横から口を出した。
「……またそれか」
ノアの声は苦かった。
「おい。その地図、いくらで買った」
男の顔がこわばった。
「……有り金ぜんぶだ。借金もした。この街で地図を売る男から。これさえあれば大鉱脈を掘り当てられるって」
「やめとけ」
ノアが吐き捨てた。
「この山にゃ、そういう地図が何十枚も出回ってる。大鉱脈の在りかが書いてある、ってな。……そいつを信じて山に入った奴が、何人死んだと思う。地図はぜんぶでたらめだ」
ノアは、山の口のほうを顎でしゃくった。
「去年も一人いた。畑を売って地図を買って、山に入って、二度と戻らなかった。……女房が坑道の口で三日待って、それきりだ。地図を売った奴は今も街で、のうのうと次の地図を売ってる」
「でも、これは本物だって……!」
男は必死だった。
必死な者ほどだまされやすい。信じたいものを信じてしまうからだ。……この男もきっと、心のどこかでは分かっていたのだろう。うますぎる話だと。それでもすがらずにいられなかったのだ。
俺はその地図を視た。
「……ダメですね、これ」
俺は言った。
男の顔がぐしゃりとゆがんだ。
「この紙、古く見せてありますけど、新しいです。茶色いのはお茶か何かで染めただけ。焦がした跡もわざとつけたものです。……インクも新しい。古い地図なら、こんなに黒くは残りません。これは、つい最近作られたものです。古い宝の地図に見せかけて」
俺はもう一度、その紙を指でなでた。
折り目の縁が、まだかたい。長い年月をへた地図なら、折り目はすり切れてけばだつ。だがこれはついこのあいだ折られたばかりだ。染めたお茶の匂いさえ、かすかに残っている。……何もかも、古く見せるための細工だった。
こんな細工に、有り金をつぎこんだのか。羊皮紙一枚とお茶と、少しの手間。売った男はそれだけで、この男の暮らしをまるごと奪ったのだ。手間をかけたのは古く見せる細工にだけ。中身はからっぽだった。
「そんな……」
「それに」
俺は続けた。
「この×の印の場所。ここには、たぶん、何もありません」
「なんで、そんなことが分かる」
「昨日、あの山の奥に入りました」
俺は山のほうを見た。
「この×の場所は、山の浅いところです。あそこに青い筋の鉄はありません。ただの掘り尽くされた古い坑道です。……大鉱脈は、もっとずっと深いところにあります。この地図の場所じゃ、ないんです」
男はしばらく口をぱくぱくさせていた。それから力なくうなだれた。
「……有り金ぜんぶ、だったんだ」
男の声は震えていた。
「女房も子もいる。この地図で一発当てて、借金を返して楽をさせてやるって……。それだけを信じて……」
俺は何も言えなかった。
この街では、希望さえ、偽物として売られていた。
品をだますだけじゃない。この街は人の夢までだましていた。まっとうに働いても報われないと知っているから、人は一発逆転にすがる。その、すがりたい気持ちをそっくり銭に換える者がいる。……いちばん弱っている者から、いちばん深くむしり取る。それが、この土地のやり方だった。
だまされ慣れた土地では、人は、だまされると分かっていても夢を買う。ほかにすがるものがないからだ。……これも、だます土壌の実りの一つだった。
◇
だが、と俺は思った。
この地図が偽物だからといって、大鉱脈そのものが嘘だというわけじゃない。
「あの、聞いてください」
俺はうなだれた男に言った。
「この地図は偽物です。でも、大鉱脈は本当にあります」
男が顔を上げた。
「……え?」
「昨日、山の奥で、その気配を視ました。青い筋の鉄が、もっと奥に、もっと大きく。……大鉱脈は確かにあります。ただ、この地図の場所じゃない。もっと深くて、今はまだ誰も入れないところです」
ノアがうなずいた。
「六十年、この山の掘り手が探してきたやつだ。……こいつの目は確かだ。あるって言うなら、ある」
男は、俺とノアを代わる代わる見た。
「本当に、あるのか。……大鉱脈が」
「あります。でも、すぐには掘れません。道を作って、毒を抜いて、崩れを止めて。……何年もかかるかもしれません。一発当てる、というわけにはいかないんです」
男の目から力が抜けていった。一発逆転の夢は、消えた。……だが、そのかわり、嘘に有り金を吸い取られることも、なくなった。
「……そうか」
男は長いこと黙っていた。
それからぽつりと言った。
「……その、道を作る仕事ってのは。手は、いるのか」
ノアが少し目を見張った。
それから、ふっと笑った。
「腕と根気があるならな」
「あるさ」
男は地図をくしゃくしゃに握りつぶした。
「夢を掘るのは、もうたくさんだ。……まっとうに掘るよ」
俺はその男の背中を見ていた。
偽物の宝の地図に有り金を吸い取られた男。だがその男が今、まっとうに掘ると言った。一発逆転の夢じゃなく、一つずつの仕事を。
あの男はもう二度と、宝の地図は買わないだろう。有り金は戻らない。女房子どもへの土産話も、一発逆転の夢も、消えてしまった。だが、まっとうに掘るという道が一つ残った。……偽物をつかまされた者が、本物の仕事に戻る。この街では、それだけでもめずらしいことだった。
偽物の地図は、有り金を返してはくれない。だが、まっとうに掘れば、いつかまっとうな鉱石が出る。時間はかかる。だが嘘よりは確かだ。
……その夜、俺は考えた。
この街では、品も、宝も、夢さえも偽物にされる。だが、その一つずつを本物だと言える者がいれば。偽物と本物を見分けられる者がいれば。
少しずつ、この街も変わるかもしれない。
その、小さな、小さな芽が。
次の日から辻の秤のまわりで、はっきりと目に見えはじめた。
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