第208話 坑道の毒
ノアが毒を抜く手立てを考えてきた。
坑道の下見から数日後の朝だった。ノアは小屋の前の地面に、木の枝で山の絵を描いていた。坑道の道筋を一本ずつひっかいていく。
「ここに、古い風抜きの穴がある」
ノアが一点を指した。
「昔の掘り手が開けた穴だ。今はふさがってる。ここを開ければ、山の風が奥まで通る。毒は風に弱い。たまった毒を風で押し出すのさ」
俺にはない知恵だった。
俺は毒がどこにあるかは視える。だがそれをどう抜くかは分からない。ノアは山の風の通り道を知っていた。俺が品の良し悪しを視るように、ノアは山を読んでいる。
「やってみましょう」
俺は言った。
◇
風抜きの穴を開けるのは、骨の折れる仕事だった。
ふさがった穴を、ノアが少しずつ掘り返す。崩れないように、慎重に。俺はそのかたわらで岩を視た。
「そこ、右の岩はさわらないでください。ひびが入ってます。抜いたら上が落ちます。……左の下のほうから崩したほうがいいです」
ノアは黙って俺の言うとおりにした。もう俺の目を疑わなかった。
半日かけて、穴が通った。
ひゅう、と細い音がした。山の風が坑道の奥へ流れこんでいく。奥にたまっていた甘い匂いが、少しずつ薄れていくのが分かった。
「毒が動いてます」
俺は言った。
「奥から風が押し出してます。……もう少しで、あの澱みも抜けます」
ノアが、ふう、と息をついた。
「六十年、誰も抜けなかった毒だ。……お前の目と、俺の風で抜けるとはな」
◇
毒が薄れた坑道を、俺たちは奥へ進んだ。
ノアが先。俺が続く。フィオナさんがしんがりで槍を構えている。
風が通ったおかげで、奥の空気は前より澄んでいた。だがまだ油断はできない。俺は絶えず壁と天井を視ながら歩いた。崩れかけた岩。ゆるんだ天井。毒の残りかす。危ないものを一つずつ声に出して伝えた。
やがて道が広い空洞に出た。
そのときだった。
暗がりの奥で何かが動いた。
岩と見分けのつかない、ごつごつした影。それがずるりと這い出してきた。大きい。牛ほどもある。硬い殻におおわれた、虫のような魔物だった。
「岩喰い虫……のでかいやつだな」
フィオナさんが槍を構えた。連合の北の坑道でも同じ虫と戦ったことがある。だがあれより、ずっと大きい。
「こいつはあたしがやる。レイ、下がってろ」
俺は戦えない。剣も槍も使えない。だが視ることはできる。
俺はその魔物を視た。
「フィオナさん、その殻、正面は硬いです。槍が通りません。……でも、首の後ろ、頭と胴のつなぎ目。そこだけ殻が薄いです。あと右の四本目の脚。古い傷があります。そこを狙えば動きが鈍ります」
フィオナさんが、にやりと笑った。
「……上等だ」
フィオナさんが動いた。
正面から来た突進を、横に跳んでかわす。俺の言ったとおり、右の四本目の脚を槍の石突きで打った。魔物の巨体がぐらりと傾いだ。
体勢を崩したその一瞬。フィオナさんの槍が、首の後ろのつなぎ目に吸いこまれた。
殻の薄いところを、まっすぐに。
魔物が大きな音を立てて崩れ落ちた。
……ひと突きだった。
「ふう」
フィオナさんが槍を引き抜いた。
「あんたが弱点を教えてくれると楽でいいな。どこを突けばいいか、はなから分かってる」
「フィオナさんの槍が正確だからです」
俺は言った。
「俺はどこを突けばいいか言うだけです。実際に突くのはフィオナさんです。……俺一人じゃ、この魔物には勝てません」
これはいつものことだった。
グラナでも、そうだった。俺が視て、誰かが動く。俺の目とフィオナさんの槍。ノアの道。一人ではできないことが、みんなでならできる。
倒した魔物のそばで、俺はその殻を視た。
……妙な殻だった。
硬い。鉄より硬いかもしれない。それなのに軽い。連合の坑道で見た岩喰い虫の殻とは、まるで違う。あれはただの硬い殻だった。だがこれは、硬さと軽さが桁違いだ。
「ノアさん、この殻」
俺は言った。
「すごく硬いのに、軽いです。……これを削って板にしたら、たぶん、いい鎧になります。矢も刃も通しにくい。それでいて鉄の鎧より、ずっと軽い」
ノアが目を見張った。
「……この虫の殻が、鎧に?」
「たぶん。深いところの虫ほど、殻がいいのかもしれません。……こんな殻は、俺も初めてです」
誰も値打ちを知らない素材。この山の奥にしかいない魔物の殻。……グラナでいう、資源の話だ。ありふれて見えて、実は誰も知らない値打ちがある。
この山は、まだ死んじゃいない。ノアの言ったとおりだった。まっとうな鉄も銀も、こんな不思議な殻も、まだ眠っている。
空洞のさらに奥に、細い横穴が続いていた。
俺はその奥を視ようとした。
だが遠すぎた。視えない。ただ奥のほうから、かすかに、あの青い筋の鉄の気配がした。もっと濃く。もっと大きく。
「この奥に」
俺は言った。
「もっと大きな鉱脈があります。……たぶん、この山のいちばん深いところに。でも遠すぎて、はっきりは視えません。ここからじゃ、まだ届きません」
ノアがその横穴をのぞきこんだ。
「……この奥か」
「はい。でもまだ入れません。道が細すぎるし、崩れかけてます。……ちゃんと道を作らないと、あの奥にはたどりつけません」
ノアは長いこと、その暗い横穴を見ていた。
六十年、この山の掘り手が探して、見つからずに死んでいった大鉱脈。それが、この奥にある。手が届きそうで、まだ届かない。
「……焦るな、ってことか」
ノアが、ぽつりと言った。
「一足飛びにゃいかねえ。道を作って、毒を抜いて、崩れを止めて。……一つずつだ」
「はい」
俺はうなずいた。
一つずつ。……それは、この街でやろうとしていることと同じだった。無法の街に、一から秩序を。荒れた山に、一から道を。焦らず、一つずつ。
俺たちは倒した魔物の殻をかついで、坑道を出た。
外はもう夕暮れだった。山の影が、街に長く伸びている。
この殻を街で見せたら、どうなるだろう。こんな軽くて硬い殻を、この街の連中はどう値踏みするだろうか。
いや、たぶん、まっとうには値踏みしない。
この街は、本物を偽物に変える街だ。まっとうな鉱石すら偽物にされてしまう街。……この不思議な殻も、きっと、まっとうな値はつかない。
その予感は、次の日、はやくも当たることになった。
街の探索者が一人、一枚の古い鉱脈図を手に、血相を変えて俺たちのところへ駆けこんできたのだ。
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