第205話 粗悪品の川上
本物を、偽物に変える街。
ノアの言葉が、頭を離れなかった。
次の日から、俺はその「川上」を調べはじめた。ハイデが街の顔ぶれに引き合わせてくれる。宿に出入りする商人。辻の秤を使いに来る者。荷を運ぶ人足。一人ずつ話を聞いてまわった。
この街の偽物がどこで生まれ、どうやって広がっていくのか。それを知らなければ、秤を一つ置いたところで焼け石に水だ。
まず分かったのは、この街に出回る「上等な品」のほとんどが偽物だということだった。
辻の秤には、いろんな者が品を持ちこむようになっていた。まっとうに量ってほしい者たちだ。俺はそのついでに持ちこまれた品を視た。
上等と言って売られる革。実は薄くすいた安物だった。
高値の香油。半分は水で割ってある。
銀の細工と称する飾り。中身は磨いた鉛だ。
どれもひと目には分からない。手の込んだ偽物だった。素人がやったものじゃない。ちゃんと偽物を作る技を持った者が数をそろえて流している。
そのことに気づいたのは、一人の革職人が辻に来たときだった。
年老いた男だった。腰の曲がった指の節くれだった手。その手で一枚の革を大事そうに抱えていた。
「……これを、量ってくれるかい」
男は言った。声にあきらめが染みついていた。
俺はその革を視た。
……いい革だった。
厚みが均一でなめしが丁寧で、傷もない。時間をかけて手をかけて、まっとうになめした革だ。この街で、こんな革は久しぶりに見た。
「いい革です」
俺は言った。
「よくなめしてあります。厚みも揃ってる。……本物の上等な革です」
男が顔を上げた。その目が少し潤んでいた。
「……本物だと、言ってくれるのか」
男はぽつりと言った。
「もう何年も、そんなことを言われたことがなかった」
男の名は聞かなかった。ただこの街で三十年、革をなめしてきたのだという。父の代からのまっとうな革だ。だが今、その革がまるで売れない。
「安いのが、出回ってるんだ」
男は言った。
「上等な革だと言って、うんと安く売る店がある。俺の革の半値以下だ。……客はみんな、そっちを買う。見た目は変わらないからな。俺の革が本物で、あっちが偽物だなんて、誰も分かりゃしない」
俺はその「安い革」を確かめに行った。
街のいちばん賑わう通りの大きな店だった。うずたかく積まれた革。「上等」の札。値は老職人の言ったとおり、半値以下だ。
俺はその革を視た。
……薄くすいた安物の革だった。
表だけをニカワと油で磨いて、上等に見せている。染めで傷を隠してある。裏を返せば、厚みはばらばら。半年もすればひび割れて、ぼろぼろになるだろう。
偽物だ。それも大量の。
「この革、どこから仕入れてるんですか」
俺が店の者に聞くと、男は面倒くさそうに街の外れを指さした。
「大きな卸元がある。あそこから、いくらでも入る。安くて、いくらでもだ」
その卸元を、俺は遠くから見た。
街の外れの、大きな倉だった。石造りの、この街には不釣り合いなほど立派な倉。ひっきりなしに荷馬車が出入りしている。革だけじゃない。香油も飾りも干し肉も──この街の「上等な偽物」は、みんな、あそこから流れているらしかった。
荷を積み下ろす人足の動きも、どこか違った。この街のだらけた用心棒くずれとは違う。きびきびとして無駄がない。まるでどこか大きな組織の、手足のようだった。
そしてその荷馬車の幌に、俺は見覚えのある紋を見た。
金の輪。その中に、山。
……盟の紋だった。
街道であの巨大な隊商とすれ違ったときに見た紋。連合の何倍もの規模を持つという、あの盟の紋。
その裾野が、こんなところにまで伸びていた。
あの巨大な盟が、こんな辺境の無法の街にまで偽物を流している。いや──逆かもしれない。この街が無法で、だれも品の良し悪しを見ないからこそ、偽物を流すのに、これほど都合のいい土地はないのだ。だます者にとって、だまされ慣れた土地は、金の生る畑だった。
俺はしばらくその倉を見ていた。
この街の偽物は、ちんけな悪党の仕業じゃなかった。もっと大きくて、整った流れだ。安い偽物を数をそろえて、うんと安く流す。まっとうな品は値段で負ける。……そうやって、まっとうな職人が一人、また一人と潰れていく。
正直者から、先に潰れる。
この街を、そういう街にしていたのは、あの倉から流れてくる大きな流れだった。
「……手に負えねえところだ、か」
ノアの言葉を、俺はつぶやいた。
その晩、俺は辻に戻った。
老職人がまだ革を抱えて、そこに座っていた。売れなかったのだろう。
「もうまっとうになめすのは、やめようかと思ってる」
男は、力なく言った。
「偽物のほうが売れるんだ。まっとうにやってたって、飢えるだけだ。……俺の代で、おしまいだよ」
俺はその革をもう一度視た。
やっぱりいい革だった。偽物には、決して出せない。時間と、手間と、まっとうな仕事が、この一枚に染みこんでいる。
「その革は、いい革です」
俺は言った。
「偽物には、出せません。半年でひび割れる革と、十年もつ革は、違います。……今は、その違いが分かる人が、この街にいないだけです」
俺は荷の底から、しるしの帳面を取り出した。
連合を出るとき、セレネさんが託してくれた、あの帳面だ。辻の秤で、まっとうな品とまっとうな商人を書きつけてきた。
俺はそこに、新しく書きつけた。
まっとうな革をなめす、正直な職人。──その一行を。
「……この街で、本物を本物だと分かる人を、少しずつ増やします」
俺は言った。
「そうすれば、あなたの革はいつか、まっとうな値で売れます。時間はかかりますけど」
老職人はしばらく俺を見ていた。
それから抱えた革をそっとなで返した。まるで久しぶりに、その革を誇らしく思うように。
俺はその手を見ていた。三十年、革をなめしてきた手だ。節くれだって傷だらけで、けれど迷いなく革の良し悪しを知っている手。……この手が作るものを、偽物が値段で押し流していく。まっとうな仕事ほど報われない。この街は、そういうふうにできあがっていた。
だが──川上は、あまりに大きかった。
金の輪の紋を負った、あの倉。その向こうにいる、途方もない盟。
俺のやろうとしていることがいつか、あの大きな流れとぶつかる。
その予感だけははっきりとあった。
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