第204話 探索者ノア
ノアの住まいは、街のいちばん外れにあった。
石を積んだだけの、小さな小屋。まわりに人家はない。すぐ裏手に、あの低い山が迫っていた。荒れた坑道の口が、山の腹に黒い穴を開けている。
戸を叩くと、しばらくして中から男が出てきた。
三十半ばくらいだろうか。日に焼けて痩せて無精ひげ。だが体つきは引き締まっていた。何より目つきが違う。山を知っている者の目だ、と思った。街の連中の値踏みするような目とは違う。もっと遠くを見る目だった。
男は俺たちを見て、開口一番こう言った。
「帰れ」
それだけ言って、戸を閉めようとする。
「待ってください。ノアさん、ですよね」
「客なら間に合ってる」
「客じゃありません。あの坑道の話を聞きたくて」
ノアの手が止まった。戸の隙間から鋭い目がのぞく。
「……坑道の、何が聞きたい」
「また、掘れないかと」
ノアが鼻で笑った。
「掘る? あの山を? ……お前ら、よそ者だな。この街の連中は、もうとっくにあきらめた。あの山は崩れる。毒が出る。入った者が何人も帰ってこなかった。掘れるもんなら、とっくに掘ってる」
「でもあなたは入れると聞きました」
「俺は別だ」
ノアは吐き捨てるように言った。
「俺は、あの山を知ってる。どこが崩れて、どこに毒がたまってるか。……だがな、俺は誰とも組まん。組んだ相手は、みんな死んだ。だから一人でやる。お前らみたいな街の商人と組む気はねえ。──帰れ」
今度こそ、戸が閉まりかけた。
そのとき、俺は小屋の壁にかかった一本の縄に目が留まった。
太い麻の縄。坑道で使う命綱だろう。──だが。
「その縄、使わないほうがいいです」
俺は言った。
戸が止まった。
「……なんだと」
「外は麻ですけど、中の芯が湿気で腐ってます。見た目じゃ分かりません。でも体重をかけたら、たぶん切れます。坑道で使ったら、危ないです」
ノアが戸を開けた。壁の縄を取る。じっと見て、軽く引いた。表からは、なんともない。
だがノアは、その縄をもっと強く引いた。──ぶつ、と鈍い音がして、縄が切れた。
中の芯が黒く湿って腐っていた。
ノアは切れた縄をしばらく見ていた。それからゆっくりと俺のほうを見る。
「……これ、先月、街で買ったばかりだ」
「たぶん、古い縄の外側だけ、新しく編み直したやつです。芯は古いまま。この街の道具は、そういうのが多いですよね」
ノアは何も言わなかった。
だがその目の色が変わっていた。俺を追い返そうとしていた目じゃない。値踏みでもない。何か、確かめるような目だった。
「……お前、名は」
「レイです」
「その目、山でも使えるのか」
「山は、分かりません。でも危ないものは、たぶん視えます」
ノアはしばらく黙っていた。
それから坑道の口のほうへ顎をしゃくった。
「……ついてこい。ただし、山で死んでも知らねえぞ」
◇
坑道の中は、暗く、冷たかった。
ノアが先を歩いた。ランプの灯りだけが頼りだ。フィオナさんが俺のうしろで、槍を手にあたりを警戒している。
暗がりの奥から、時おり羽音がした。水の滴る音もする。そのたびフィオナさんの槍が、す、と持ち上がった。
「こうもりだな。……こういう、何が出るか分からん場所は嫌いじゃない」
フィオナさんが小さく言った。旅に出てから、この人はずっと退屈そうにしていた。
ノアの歩き方は、独特だった。壁を手でなでる。天井を見上げる。時々、床を踏んで、音を聞く。
「ここは古い。だがまだもつ」
ノアがつぶやいた。
「この先の分かれ道──右は行き止まりだ。左に行く」
俺には、ただの暗い穴にしか見えない道を、ノアは読んでいた。どこが崩れて、どこが古くて、どこへ続くか。……この人は、山の言葉が分かるのだ、と思った。俺が品の良し悪しを視るように、ノアは山を視ている。
だがノアにも視えないものがあった。
「ノアさん、止まってください」
俺は前を行くノアを呼び止めた。
「その先の天井、岩がゆるんでます。触れたら落ちます。……あと、もっと奥から、毒の気が流れてきてます。甘い匂いがしませんか。あれは、たまると眠って、そのまま起きられなくなるやつです」
ノアが足を止めた。天井を見上げる。灯りをかざす。
「……よく分からんが」
「俺には視えます」
「……ちっ」
ノアは舌打ちをした。だが俺の言うとおり、その天井を避けて別の道を選んだ。
やがて壁の一部が、灯りに鈍く光った。
俺はその岩を視た。
灰色の鉄の石。その割れ口に、青い筋が走っている。──重くて硬い、めったに採れない金物だ。
「この石」
俺は言った。
「街道の途中の坑道で見たのと、同じです。この奥に、大きな鉱脈があります。……たぶん、かなり大きい」
ノアが、ぴたりと動きを止めた。
ゆっくりと俺を振り返る。
「……お前、それが視えるのか」
「はい」
「六十年だ」
ノアの声がかすれていた。
「この山に大鉱脈があるって、ずっと言われてきた。俺の師匠も、その師匠も、探して見つからなくて死んだ。……お前、今、それが、そこにあるって言ったな」
「あります。でもまだ入れません」
俺は奥を見た。
「崩れかけてます。毒もたまってます。道を作って毒を抜かなきゃ、あの鉱脈にはたどりつけません。……それは俺には無理です。俺は、どこが危ないかは視えます。でもどうやって道を作るかは分かりません」
俺はノアを見た。
「それは、あなたの仕事です」
ノアは長いこと俺を見ていた。
坑道の暗がりのなかで、その目が妙にぎらついて見えた。
「……街の商人だと思ったがな」
ノアはぽつりと言った。
「お前の目は、山でも使える」
俺たちは坑道を出た。
外は、もう夕暮れだった。山の影が、街に長く伸びている。
ノアがその街を見下ろして言った。
「……いいか。山はまだ死んじゃいない。まっとうな鉄も銀も、まだ眠ってる。……死んでるのは、街のほうだ」
ノアの声は苦かった。
「あの山からまっとうな鉱石を掘り出したって、街に下りりゃ、混ぜ物だらけの偽物にされちまう。まっとうな鉱石ほど、高く化けて売られる。この街は、本物を偽物に変える街だ」
本物を、偽物に。──俺はその言葉を胸に刻んだ。
「その偽物が、どこから流れてるか」
ノアが、街の一角を顎でしゃくった。
「知りたきゃ調べてみな。……たどっていけば、行き着く先は、たぶん、お前らの手にゃ負えねえところだ」
山の影の向こうで、街の灯りがぽつぽつと灯りはじめていた。
その灯りのどこかに、本物を偽物に変える川上がある。
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