第20話 縄の目利き
翌朝。セレネは市場の広場に人を集めた。
「組合の査察を公開で行います。皆さんに本物の鑑定と偽物の目利きの違いを見てもらう」
声がよく通った。名家の娘らしい場慣れがある。
広場の真ん中に台がひとつ。その上に品物が三つ並べてあった。
縄が一巻き。剣が一振り。麦の入った袋がひとつ。
どれも見たところ上等な品だった。
「この三つは私が今朝、街の信用ある店から買い求めたものです。値は張るが、確かな品。──さあ目利きさん。あなたの『これから』を聞かせてもらいましょう」
セレネが俺を見た。
「もし当たれば私は査察の報告に、あなたの目を『本物』と書く。外れれば──分かっていますね」
人垣がざわついた。
ミレイユが俺の袖を引いた。
「レイ。受けなくていいのよ。これは罠。あの人、外れる品をわざと選んでるわ」
「ミレイユさん。品物は嘘をつきません」
俺は台の上の三つを見た。
「あの人が何を選んでも、視えるものは視えるだけです」
俺は台の前へ進み出た。
◇
まず剣。
俺は手に取って刃と柄の境を視た。
「いい剣です。鉄の質も焼きも確かです。──ただ、柄の中の留め金が安物に替えてあります。本体は上物。留め金だけ後から粗悪品に。たぶん誰かが途中ですり替えました」
セレネの眉がぴくりと動いた。
「柄を割らなければ留め金は見えないはずです」
「見えます。このまま強く打ち合うと半年で柄の中から緩みます。剣のせいではなく留め金のせいで」
セレネは答えず次の品を指した。
麦の袋。
「この麦は上の方はいい麦です。よく乾いています。──ですが底に湿った粒が混じっています。ひと袋の二割ほど。このまま倉に積むと底から黴びます。上だけ見て買うと損をします」
「証拠は」
「袋を逆さにすれば分かります」
セレネが店の者に目で合図した。袋が台の上で逆さにされる。
底から出てきた麦は湿って、わずかに色が変わっていた。
人垣から低いどよめきが上がった。
その袋を売った店の主人が、人垣のなかで青くなっていた。
「俺は知らずに仕入れた。上だけ見て、確かな品だと思って……」
「上はいい麦です。あなたが騙したのではなく、あなたも騙された側です。仕入れ先に底を返してください」
主人はぽかんと俺を見て、それから何度も頭を下げた。
悪意のない者まで巻き込まれる。粗悪品というのは、そういうふうに広がっていく。だから誰かが途中で弾かないといけない。検品とは、たぶんそういう仕事だ。
◇
最後に縄。
俺は縄を手に取った。
巻きは美しい。撚りも均一だ。手触りもいい。誰が見ても上等な縄だった。
だが──。
「……ダメですね、これ」
俺は独りごちた。
「どこがです」
セレネの声が鋭くなった。この縄こそ彼女の本命だった。組合の鑑定で最上等と出た品だ。
「この縄、見た目は上等です。撚りも麻の質も。組合の数字でもきっと最上等と出ます」
「出ました。最上等です。なのに何がダメだと」
「中ほどの一本の撚り糸が」
俺は縄の中ほどをそっと指で押さえた。
「ここだけ湿気を吸った古い麻が混ざっています。外からは分かりません。撚り込まれて隠れています。──この縄に重い物を吊るすと、よそでもなくここから切れます」
「馬鹿馬鹿しい」
セレネが声を荒げた。
「最上等の縄ですよ。一本の糸がどうのと、そんな当て推量で──」
「試せます」
俺は縄を差し出した。
「広場の隅に荷上げの滑車があります。荷を吊るして重しを増やしていけば分かります。切れるなら、俺が指で押さえたこの場所から切れます」
広場が静まりかえった。
セレネはしばらく俺を睨んでいた。それから低い声で言った。
「……いいでしょう。やりなさい。あなたの当て推量に、皆の前で恥をかかせてあげる」
◇
荷上げの滑車に縄がかけられた。
ドニが樽を吊るしていく。
一樽。二樽。三樽。
縄はぴんと張った。だが切れない。撚りは美しいまま重さに耐えている。
「ほら。最上等です」
セレネが勝ち誇るように言いかけた。
その、ときだった。
四樽目が掛かった瞬間。
ぱつん、と。
縄が切れた。
俺が指で押さえた、まさにその場所から。中ほどの一点から。
樽が地面に落ちて鈍い音を立てた。
誰も何も言わなかった。
切れ口から一本だけ、色の違う撚り糸が覗いていた。湿気を吸った古い麻だ。外からは決して見えなかった、ただ一本。
セレネがその切れ口を食い入るように見つめていた。
唇がわずかに動いた。声にはならなかった。
◇
人垣が散ったあとも、セレネは台の前から動かなかった。
切れた縄を手に取って、ずっと切れ口を眺めている。
「……どうして」
ようやく出た声は震えていた。
「組合の徽章で最上等と出たのよ。私の鑑定は外していない。なのにあなたはその先を視た。撚り込まれて隠れていた、たった一本を」
「視えただけです」
「視えただけで済む話じゃない!」
セレネが振り返った。
その目に怒りはなかった。あったのはもっと別のものだった。
長いあいだ信じてきた物差しが、足元から崩れていく。そういう顔だった。
「私は九年かけたの。組合で誰よりも修練した。本物の鑑定士だと胸を張ってきた。──なのにあなたは」
セレネは言葉を切った。
俺には彼女が何に傷ついているのか、よく分からなかった。
ただ、ひとつだけ思った。
「あなたの鑑定は外していません。最上等の縄でした。──ただ、最上等の中に一本だけ嘘が混じっていた。それだけのことです」
「……それだけ」
セレネは切れた縄を握りしめた。
「あなたにとっては、それだけ、なのね」
彼女はそれ以上は何も言わず、宿の方へ歩き去っていった。
背筋はまだまっすぐだった。
だがその背中は来たときより、少しだけ小さく見えた。
広場の隅で、それを見ていた者がいた。
商会の特設市の売り子だ。ことの一部始終を、人垣の後ろから眺めていた。
その夜、売り子の口から、報せは特設市の天幕へ伝わった。組合の鑑定士が、目利きの男に公開の場で言い負かされた、と。
報せはさらに先回りして、ゲルツの宿へ届いた。
「組合の犬が、噛みつく前に転んだか」
ゲルツは渋い顔をした。だがすぐに思い直した。査察はまだ終わっていない。あの娘が報告にどう書くか。そこにまだ目はある。
「……まあいい。本物の鑑定士の沽券だ。あの倉庫番に、おめおめ『本物』と書くものか」
ゲルツはそう信じていた。プライドの高い娘ほど、負けを認めまいとして相手を貶める。そういうものだ、と。
◇
その夜、ミレイユがぽつりと言った。
「気の毒なくらい、こてんぱんね」
「こてんぱん、ですか。検めてもらっただけですが」
「あんたに悪気がないのが、いちばん効くのよ。本当に」
ミレイユは深いため息をついて、帳面を閉じた。
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