第19話 本物の鑑定士
その朝、ギルドの扉が、いつもより乱暴に開いた。
入ってきたのは、若い女だった。
仕立てのいい外套。塵ひとつない革靴。腰には、銀の徽章。組合の天秤の紋章が、朝の光に鈍く光っていた。
受付の前に立つと、彼女は俺たちを見回して、はっきりと言った。
「鑑定士組合メルダート支部より参りました。査察役、セレネ。──この街で、無資格の者が銭を取って鑑定を僭称しているとの通報を受けています」
受付の空気が、ぴんと張った。
ミレイユが立ち上がる。
「査察役さん。うちのギルドに、何か」
「『鑑定役』を名乗る者がいるはずです。徽章も持たずに」
セレネの目が、まっすぐ俺に向いた。
「あなたね」
「はい。レイといいます」
「では聞きます。あなたは組合の徽章を持っていますか」
「持っていません」
「鑑定の修練を、組合で積んだことは」
「ありません」
「なのに、銭を取って鑑定をしている」
「目利きの相談を受けて、一件銅貨五枚をいただいています」
セレネの口の端が、わずかに上がった。獲物を見つけた、という顔だった。
「それを世間では、僭称と言うのです」
◇
「待ってください」
ミレイユが間に入った。
「レイは『鑑定士』とは名乗っていません。うちのギルドの中だけの役職で『鑑定役』です。組合の資格を騙ったことは一度も」
「役職名で逃げるのですね。よくある手です」
セレネは外套の裾を払って、受付の長椅子に腰を下ろした。背筋はまっすぐのままだ。
「いいでしょう。なら、こうしましょう。私はこれから数日、この街に留まります。あなたの『目利き』とやらを、組合の目で検めます。──もし、あなたの鑑定が出鱈目なら」
「出鱈目なら?」
「銭を取って人を欺いた罪で、組合から正式に街へ通告します。二度と『鑑定』の二文字を口にできなくなる。それだけのことです」
ミレイユの眉が、きつく寄った。
俺は、口を開いた。
「分かりました」
「レイ!」
「ミレイユさん。隠すことは何もありません。俺は、品物を視て、気づいたことを伝えているだけなので。検めてもらえるなら、その方がいいです」
セレネが、少しだけ意外そうな顔をした。
怯えるか、言い逃れるか。そのどちらかを予想していたのだろう。
「……ずいぶん、堂々としているのね」
「堂々?」
俺には、その言葉がよく分からなかった。
間違ったことをしている自覚がないだけだ。腐った品を腐っていると言う。それを検められて困ることは、何もない。
◇
セレネは、その日から目利き相談の隣に陣取った。
相談に来た品を、俺が視る。その同じ品を、セレネが組合の作法で鑑定する。
彼女の鑑定は、見事なものだった。
徽章を品にかざす。浮かんだ数字を読む。等級。状態。価値。数字はよどみなく出てくる。修練の賜物だ。まぎれもなく本物だった。
「この鍋。鉄の等級は中の下。底の継ぎは規格外れ。鋳直しを要する。──評価額、銅貨十二枚」
「すごい」
順番待ちの婆さんが、思わず声を上げた。
セレネが、得意げに俺を見た。
「どう。これが組合の鑑定です。数字で、根拠を持って、誰にでも示せる。あなたの『なんとなく』とは違う」
「はい。正確です」
俺は素直に頷いた。
「あなたの鑑定は、正確です。等級も、継ぎの場所も、俺が視たのと同じです」
「……同じ?」
「ただ、ひとつだけ」
俺は、その鍋を手に取った。
「この鍋、汁物に使うと三月で底に穴が開きます。炒り物なら一年保ちます。──そこまで言わないと、この婆さんは困ります。直すか、使い分けるか、決められないので」
セレネが、言葉に詰まった。
等級も継ぎも、数字には出ている。だが「三月で穴が開く」「炒り物なら一年」は、彼女の数字には載っていなかった。
「……それは、鑑定ではありません。ただの当て推量です」
「当て推量、ですか」
「継ぎの浅い鍋が三月で割れるなんて、誰にも保証できない。数字の裏付けがない。無責任な脅しです」
「保証はできません。ですが」
俺は底の継ぎをそっと指でなぞった。
「ここの合わせが半分しか溶け合っていません。火と水を毎日かければこの境目から先に傷みます。──いつ割れるかは見れば、だいたい分かります」
「見れば、だいたい」
セレネの声が低くなった。
「そういう根拠のない言い方が、いちばん質が悪いと言っているのです」
その日、彼女はずっと不機嫌だった。
◇
昼の休みに、フィオナが受付へ飛び込んできた。
骨接ぎ通いの帰りらしい。肩を回す動きが、昨日より軽い。
「ねえ、なんなのあの人! 朝からレイにべったりじゃない」
「べったり、ですか」
「ずーっと隣に座ってさ、レイのやることに難癖つけて。あれ査察っていうより、なんか、ねえ?」
「組合の査察です。俺の目利きを検めに来た方なので」
「ふうん。きれいな顔して、感じ悪いったら」
フィオナは長椅子に座るセレネを、遠くから睨んだ。
セレネも、ちらりとフィオナを見た。短い、火花のような一瞬だった。
「あの人、本物の鑑定士なんでしょ。徽章持ちの」
「はい。鑑定の腕は確かです。等級も状態も、正確に視ます」
「えっ。あんた、敵を褒めるの?」
「敵、ですか? 同じ品を視る人です。正確なものを正確だと言っているだけで」
「……はー。あんたのそういうとこね」
フィオナは天を仰いだ。
「人がいいにもほどがあるわよ。あの人、あんたを潰しに来てるのよ」
潰しに来ている。そう言われても、実感が湧かない。
俺は腐った品を腐っていると言う。それを検められて、何が潰れるというのだろう。
よく分からないまま、俺は次の相談客の品を受け取った。
◇
夜。セレネは宿の机で、昼の控えを睨んでいた。
帳面には、彼女の鑑定と、レイの言葉が並べて書いてある。
等級は、全部一致していた。状態も、継ぎの場所も、薬の濃さも。
違うのは、一点だけ。
あの男は、その先を言う。三月で穴が開く。半年で芯が起きる。割って飲めば上物になる。
数字には出ない、品物の「これから」を、まるで見てきたように言う。
「……当てずっぽうのはずよ」
セレネは、つぶやいた。
当てずっぽうだ。そうに決まっている。でなければ説明がつかない。組合の徽章を九年かけて取った自分がたどり着けていない領域に、徽章もない男が立っていることになる。
そんなことが、あっていいはずがない。
「明日、暴いてやる」
セレネは帳面を閉じた。
明日、街の品を一つ選ぶ。そして、あの男の言う「これから」が外れる瞬間を、皆の前で見せてやる。
窓の外で、グラナの夜がふけていく。
彼女はまだ、知らなかった。
外れる瞬間など、来ないということを。
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