第18話 査察状
メルダート。鑑定士組合の支部は、石造りの古い館だった。
正面に大きな天秤の紋章。組合の格式の象徴だ。
その奥の一室で、支部長が一通の書状を読んでいた。差出人はバルロ商会、ゲルツ。
「無資格の者が、銭を取って鑑定を僭称、か」
支部長は禿げ上がった額をなでた。気の進まない案件だった。地方都市の小競り合いにわざわざ徽章持ちを出すほどの値打ちはない。
だが商会からの正式な通報だ。握り潰すわけにもいかない。
「誰か、暇な見習いでも行かせるか」
「私が参ります」
声は、扉の方から来た。
若い女が立っていた。仕立てのいい外套。腰には組合の銀の徽章。背筋がまっすぐで、目に隙がない。
「セレネ嬢」
支部長は座り直した。組合の理事を出す名家の娘だ。鑑定の修練でも、同期の頭ひとつ抜けていると評判の。
「名家の御令嬢が、地方の査察など。お戯れを」
「戯れではありません」
セレネは書状を支部長の手から取り、ざっと目を走らせた。
「『鑑定役』。無資格の分際で、紛らわしい看板を掲げているそうですね。──こういう手合いが、いちばん組合の名を汚すのです」
「しかし、わざわざあなたが」
「私でなければ務まりません」
セレネは書状を畳んだ。
「素人の目利きごっこに、街がころりと騙されている。本物の鑑定が、どれほど違うものか。──思い知らせてやる必要があります。組合の格のために」
支部長は、少し考えてから頷いた。名家の娘が自ら望むなら、断る理由はない。むしろ箔がつく。
「では、査察役として差し遣わす。徽章の格に恥じぬよう」
「もちろんです」
セレネは一礼して、踵を返した。
外套の裾が翻る。その足取りに迷いはなかった。
◇
館を出たセレネを、馬車の前で一人の青年が待っていた。
目の下に濃い隈。胸には、銀の徽章。
「セレネ嬢。本当に、行かれるのですか」
「あなたは検品場の。商会に出向中の」
「はい。お引き止めするわけでは。ただ、ひとつだけ」
青年は言いにくそうに、声を落とした。
「グラナにいるという、その目利き。──私の前任の検品係です。私は、あの人の残した控えを見ました。あれは、素人ではありません」
「素人でしょう。徽章がないのだから」
「徽章は、ありません。ですが」
「ですが、何です」
青年は、口を開いて、結局それ以上は言わなかった。言葉が見つからなかったのかもしれない。
「……いえ。気をつけて行ってらしてください」
セレネは怪訝な顔をしたが、すぐに馬車へ乗り込んだ。
徽章のない者を、徽章持ちが恐れる。そんな道理があるものか。
馬車が走り出す。窓の外を、メルダートの石畳が後ろへ流れていった。
◇
グラナ。
その日、フィオナが珍しく、依頼を一件断っていた。
「右肩がね、上がんないのよ。寝違えかな」
受付で腕を回しながら、彼女は笑っていた。
俺は、何気なくその肩を視た。
視えた。
肩の奥。骨ではない。筋の、古い傷だ。ずっと前に痛めて、きちんと治らないまま固まっている。今朝の寝違えではない。何年もかけて、少しずつこじれてきたものだ。
「フィオナさん。その肩、前に大きく痛めたことが」
「え? ……あー、あるある。三年前。崖から落ちた仲間を引っ張り上げてさ。そのときグキッて。すぐ治ったけど」
「治っていません」
俺は言った。
「筋の奥が、ねじれたまま固まっています。寝違えは、たぶんその固さが限界を超えただけです。このまま盾を構え続けると、いつか上がらなくなります」
受付が、静かになった。
フィオナが、ゆっくりと腕を下ろした。
「……あんた、肩の中まで見えるの」
「いつもは、見ません。今日は、痛そうだったので」
言ってから、自分でも妙だと思った。
検品場では、物しか視ていなかった。樽の底。剣の芯。薬の濃さ。人の体の中までは、視ようと思ったこともなかった。
いつから、視えるようになったのだろう。
思い当たることが、ひとつだけある。
あの亀鍋の夜。打ち身を作って帰ってきたフィオナを、心配だと思った。あのときからだ。物しか見ていなかった目が、人に向きはじめたのは。
「治せるの? それ」
「俺は治せません。ですが、ほぐし方を知っている人なら。──ミレイユさん、この街に、腕のいい骨接ぎは」
「いるわ。西通りのバラ婆さん。ぶっきらぼうだけど、腕は確かよ」
ミレイユはもう、紙を書きはじめていた。
「フィオナ。明日、行ってきなさい。依頼はしばらく後衛で我慢」
「えー。あたし前衛なんだけど」
「肩が上がらなくなってから言いなさい、それ」
フィオナは唇を尖らせたが、紙を受け取った。
帰り際、彼女は俺の方を振り返った。
「ねえレイ。なんで、あたしの肩なんか視たの。頼んでないよ」
「……痛そうだったので」
「ふうん」
フィオナは少しだけ笑って、それ以上は聞かなかった。
耳が、ほんの少し赤かった気がする。だがそれが何を意味するのか、俺には分からなかった。
◇
フィオナが帰ったあと、ミレイユが帳面から顔を上げた。
「ねえ。あんた今、肩の中を視たでしょ」
「はい」
「物だけじゃなかったの? あんたの目」
「俺も、よく分かりません。前は物だけでした。近ごろ、人の具合も気になります」
ミレイユはしばらく俺を見て、それから小さく息を吐いた。
「便利ね。でも、ほどほどにしときなさい」
「ほどほど、ですか」
「人の体の中まで見えたら、しんどいでしょ。視なくていい時は、視ない。──あんた、放っておくと全部視ちゃう質だもの」
言われて、気づいた。
検品場では、目を休めたことがなかった。樽も剣も薬も、ぜんぶ勝手に視えていた。家に帰ってもまだ、頭の隅でどこかの品の傷を数えていた。
たしかに、疲れる。
全部は拾わない。気になったものだけ拾う。それでちょうどいいのだと、ミレイユは言いたいのかもしれない。
「気をつけます」
「うん。あんたが倒れたら、うちのギルドが倒れるんだから」
ミレイユは事もなげに言って、帳面に戻った。
うちのギルドが倒れる。さらりと、とんでもないことを言われた気がする。
だが悪い気は、しなかった。
◇
その夜。
メルダートから西へ向かう街道を、一台の馬車が急いでいた。
幌の中でセレネは、組合の名簿を膝に開いていた。グラナの市場に登録された商人。ギルドの名簿。そして──。
『鑑定役 レイ』
無資格の、たった一行。
「待っていなさい、目利きさん」
セレネは指で、その一行をなぞった。
「あなたの『なんとなく』を、組合の物差しで、一寸の狂いもなく測ってあげる」
馬車は西へ。グラナまで、あと三日。
面白かったら、ブックマークで応援していただけると更新の励みになります。




