第17話 値札の戦争
特設市の値札が、また書き換わった。
鍋が銅貨二十枚。剣が銀貨二枚。ポーションが銅貨十五枚。
半値が、三分の一になった。
「正気じゃないわ」
市場の様子を見てきたミレイユが、受付に戻るなり言った。
「鍋が銅貨二十枚って、鉄屑で売っても足が出る値よ。あれはもう商いじゃない。意地の張り合いだわ」
「下げれば、売れるんでしょうか」
「売れるでしょうね。安いは正義だもの。──でも」
ミレイユは帳面を開いて、ここ十日の目利き相談の控えを指でたどった。
「うちの列も、倍のまま減らないのよ」
値が下がっても、人はまずギルドへ来る。
来て、品を視せて、それから天幕へ戻る。
戻って、塩と布と縄だけを買って帰る。
値下げは安物を安物のまま安くしただけだ。底の継ぎが浅い鍋は、銅貨二十枚でも三月で穴が開く。芯のない剣は、銀貨二枚でも薪しか割れない。
値段が変わっても、品物は変わらない。
「あんたのせいよ」
ミレイユが俺を見た。
「俺ですか」
「品物の中身を、街じゅうが知っちゃったの。一度知ったら、もう安さだけじゃ釣れないわ。──向こうは値札を書き換えるたびに、自分で自分の儲けを削ってる」
◇
その日、目利き相談に妙な品が持ち込まれた。
ポーションの瓶だ。だが中身が、いつもの薄めた品と違う。
「これは、どこで」
「特設市の。今朝から出た新しいやつだよ。前のより少し高いんだけどね、『本物の上物』って札が立っててさ」
瓶を陽に透かす。
色は悪くない。匂いも正しい。だが──。
「……ダメですね、これ」
俺は瓶を置いた。
「効きは本物です。ただ、効きすぎます。一本で三本分。子どもや、弱った人が一息に飲むと、熱が出ます。傷の治りに体が追いつかない」
「濃いのが悪いのかい?」
「薄いのも、濃すぎるのも、量を誤ると毒になります。これは『上物』ではなく『加減を間違えた品』です。半分に割って飲めば、ちょうどいい上物になります」
「……割って飲む。覚えとくよ」
婆さんは瓶を大事に持って帰った。
薄めた品を売って叱られ、今度は濃くしすぎて持て余す。
商会は量を間違える方向にだけは器用だった。中身の加減が誰にも分かっていない。
◇
夕方、フィオナが依頼帰りに受付へ寄った。
例の丸盾を背負っている。すっかり腕に馴染んだらしい。
「ねえレイ。あたしも一個、特設市で買っちゃったんだけど」
差し出したのは小ぶりの手鏡だった。柄に貝の飾りがついている。
「銅貨五枚。可愛いでしょ」
「鏡そのものは、いい品です。映りが正直です。ただ」
「ただ?」
「柄の貝が、糊で留めてあるだけです。三月で取れます」
「えっ。じゃあ取れたら」
「木の地は丈夫なので、貝が取れても鏡は使えます。飾りの分だけ、損です」
「……銅貨五枚で可愛さを三月借りた、ってことね」
「そういう数え方なら、損ではないかもしれません」
「うわ、フォローが下手!」
フィオナは笑って鏡を仕舞った。怒ってはいないようだった。
安いものには安いなりの理由がある。それを承知で買うのは損ではない。知らずに買うのが損なのだ。
街の人は、近ごろその違いを覚えはじめている。
◇
メルダート。バルロ商会、会頭の私室。
帳簿方が、震えそうな声を抑えて数字を読んでいた。
「グラナ特設市、開始より十六日。売り上げは仕入れの六割。差し引き、銀貨で百二十枚の損にございます」
「百二十」
会頭は窓の外を見たまま、低く繰り返した。
「塩と布は、はけております。ですが武具と鍋とポーションが、山と残り。──値を下げるほど、売れ残りが増えるという、妙な具合で」
「下げて売れぬ物があるか」
「それが、ございまして」
帳簿方は言葉を選んだ。
「現地の報せによれば、ギルドに目利きがおるそうで。客が買う前に、品を視てもらいに行く。視られた品は、安くても売れぬと」
「目利き、だと」
「はい。元は──当家の検品場におった者だとか」
部屋が、静かになった。
会頭は窓から振り返らなかった。ただ、組んだ手の指が一度だけ動いた。
「その話、ゲルツは知っておるのか」
「ゲルツ殿が、いちばんよくご存じかと。現地で指揮を執っておられますれば」
「……ならば、なぜ報せが上がらん」
会頭は初めて、わずかに眉を寄せた。
帳簿方は黙って頭を下げた。答えは持っていない。あるいは、持っていても言わない方が身のためだと知っていた。
◇
その頃、東の山では。
商会の調査隊が、十日ぶりに麓へ下りてきた。
六人。全員が泥まみれで、足を引きずっている。
頭分の男が、湿った地図を岩の上に広げた。書き込みだらけだ。沢、崖、獣道。だがどこにも、丸はついていない。
「鉱脈らしきものは」
「ない。岩は普通の山石だ。薬草も並。値打ちのある素材なんざ、どこにもありゃしねえ」
「だが現地のギルドは、東の山で稼いでると」
「だから十日歩いた。崖から落ちかけて、蛭に血を吸われて、それでこれだ」
頭分は地図を叩いた。
「結論はひとつ。──あいつらの稼ぎ場は、東の山じゃねえ。誰かにそう思い込まされたんだ。俺たちは、まんまと遠回りさせられた」
隊の一人が、力なく笑った。
「じゃあ十日分の費えは」
「ゲルツの旦那の付けだ。会頭にゃ通してねえ、って話だぜ」
誰も、笑わなかった。
◇
夜。グラナの宿で、ゲルツは東の山からの報せを受け取った。
空振り。鉱脈なし。費え、銀貨四十枚。
ゲルツは報せを握り潰した。
東の山は外れ。ならば稼ぎ場は、別にある。沢か。あるいは、もっと近くか。
だがそれを今、会頭に問われたら困る。東の山の四十枚は、会頭に通していない。稼ぎ場を一人で押さえて手柄にするつもりで、無断で先走った金だ。
成果が出る前に表に出れば、ただの背任だ。特設市の損は勝負の費えと言い張れるが、東の山の四十枚はそうはいかない。
ゲルツは机の上の、書きかけの紙を見た。
『鑑定士組合メルダート支部御中』
まだ宛名しか書いていない通報状だ。
これだ、と思った。
あの倉庫番さえ潰せば、ギルドの目利きは止まる。安売りは効きはじめる。沢の正体も、その混乱に紛れて探れる。一手で全部、帳尻が合う。
ゲルツは筆を執り直した。
通報状の本文を、一気に書き上げた。
『無資格の者が銭を取り鑑定を僭称し、組合の格式と市場の信を乱しおり候。至急、査察の御差遣を願い上げ候──』
筆を置いて、ゲルツは満足げに息を吐いた。
組合の犬を一匹、グラナまで連れてくればいい。あとは犬が勝手に噛みつく。
倉庫番が、組合の徽章を持った本物に、公衆の面前で恥をかかされる。
それを思うだけで、東の山の泥も、百六十枚の穴も、少しだけ軽くなった気がした。
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