表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
17/256

第17話 値札の戦争

 特設市の値札が、また書き換わった。


 鍋が銅貨二十枚。剣が銀貨二枚。ポーションが銅貨十五枚。


 半値が、三分の一になった。


「正気じゃないわ」


 市場の様子を見てきたミレイユが、受付に戻るなり言った。


「鍋が銅貨二十枚って、鉄屑で売っても足が出る値よ。あれはもう商いじゃない。意地の張り合いだわ」


「下げれば、売れるんでしょうか」


「売れるでしょうね。安いは正義だもの。──でも」


 ミレイユは帳面を開いて、ここ十日の目利き相談の控えを指でたどった。


「うちの列も、倍のまま減らないのよ」


 値が下がっても、人はまずギルドへ来る。


 来て、品を視せて、それから天幕へ戻る。


 戻って、塩と布と縄だけを買って帰る。


 値下げは安物を安物のまま安くしただけだ。底の継ぎが浅い鍋は、銅貨二十枚でも三月で穴が開く。芯のない剣は、銀貨二枚でも薪しか割れない。


 値段が変わっても、品物は変わらない。


「あんたのせいよ」


 ミレイユが俺を見た。


「俺ですか」


「品物の中身を、街じゅうが知っちゃったの。一度知ったら、もう安さだけじゃ釣れないわ。──向こうは値札を書き換えるたびに、自分で自分の儲けを削ってる」


 ◇


 その日、目利き相談に妙な品が持ち込まれた。


 ポーションの瓶だ。だが中身が、いつもの薄めた品と違う。


「これは、どこで」


「特設市の。今朝から出た新しいやつだよ。前のより少し高いんだけどね、『本物の上物』って札が立っててさ」


 瓶を陽に透かす。


 色は悪くない。匂いも正しい。だが──。


「……ダメですね、これ」


 俺は瓶を置いた。


「効きは本物です。ただ、効きすぎます。一本で三本分。子どもや、弱った人が一息に飲むと、熱が出ます。傷の治りに体が追いつかない」


「濃いのが悪いのかい?」


「薄いのも、濃すぎるのも、量を誤ると毒になります。これは『上物』ではなく『加減を間違えた品』です。半分に割って飲めば、ちょうどいい上物になります」


「……割って飲む。覚えとくよ」


 婆さんは瓶を大事に持って帰った。


 薄めた品を売って叱られ、今度は濃くしすぎて持て余す。


 商会は量を間違える方向にだけは器用だった。中身の加減が誰にも分かっていない。


 ◇


 夕方、フィオナが依頼帰りに受付へ寄った。


 例の丸盾を背負っている。すっかり腕に馴染んだらしい。


「ねえレイ。あたしも一個、特設市で買っちゃったんだけど」


 差し出したのは小ぶりの手鏡だった。柄に貝の飾りがついている。


「銅貨五枚。可愛いでしょ」


「鏡そのものは、いい品です。映りが正直です。ただ」


「ただ?」


「柄の貝が、糊で留めてあるだけです。三月で取れます」


「えっ。じゃあ取れたら」


「木の地は丈夫なので、貝が取れても鏡は使えます。飾りの分だけ、損です」


「……銅貨五枚で可愛さを三月借りた、ってことね」


「そういう数え方なら、損ではないかもしれません」


「うわ、フォローが下手!」


 フィオナは笑って鏡を仕舞った。怒ってはいないようだった。


 安いものには安いなりの理由がある。それを承知で買うのは損ではない。知らずに買うのが損なのだ。


 街の人は、近ごろその違いを覚えはじめている。


 ◇


 メルダート。バルロ商会、会頭の私室。


 帳簿方が、震えそうな声を抑えて数字を読んでいた。


「グラナ特設市、開始より十六日。売り上げは仕入れの六割。差し引き、銀貨で百二十枚の損にございます」


「百二十」


 会頭は窓の外を見たまま、低く繰り返した。


「塩と布は、はけております。ですが武具と鍋とポーションが、山と残り。──値を下げるほど、売れ残りが増えるという、妙な具合で」


「下げて売れぬ物があるか」


「それが、ございまして」


 帳簿方は言葉を選んだ。


「現地の報せによれば、ギルドに目利きがおるそうで。客が買う前に、品を視てもらいに行く。視られた品は、安くても売れぬと」


「目利き、だと」


「はい。元は──当家の検品場におった者だとか」


 部屋が、静かになった。


 会頭は窓から振り返らなかった。ただ、組んだ手の指が一度だけ動いた。


「その話、ゲルツは知っておるのか」


「ゲルツ殿が、いちばんよくご存じかと。現地で指揮を執っておられますれば」


「……ならば、なぜ報せが上がらん」


 会頭は初めて、わずかに眉を寄せた。


 帳簿方は黙って頭を下げた。答えは持っていない。あるいは、持っていても言わない方が身のためだと知っていた。


 ◇


 その頃、東の山では。


 商会の調査隊が、十日ぶりに麓へ下りてきた。


 六人。全員が泥まみれで、足を引きずっている。


 頭分の男が、湿った地図を岩の上に広げた。書き込みだらけだ。沢、崖、獣道。だがどこにも、丸はついていない。


「鉱脈らしきものは」


「ない。岩は普通の山石だ。薬草も並。値打ちのある素材なんざ、どこにもありゃしねえ」


「だが現地のギルドは、東の山で稼いでると」


「だから十日歩いた。崖から落ちかけて、蛭に血を吸われて、それでこれだ」


 頭分は地図を叩いた。


「結論はひとつ。──あいつらの稼ぎ場は、東の山じゃねえ。誰かにそう思い込まされたんだ。俺たちは、まんまと遠回りさせられた」


 隊の一人が、力なく笑った。


「じゃあ十日分の費えは」


「ゲルツの旦那の付けだ。会頭にゃ通してねえ、って話だぜ」


 誰も、笑わなかった。


 ◇


 夜。グラナの宿で、ゲルツは東の山からの報せを受け取った。


 空振り。鉱脈なし。費え、銀貨四十枚。


 ゲルツは報せを握り潰した。


 東の山は外れ。ならば稼ぎ場は、別にある。沢か。あるいは、もっと近くか。


 だがそれを今、会頭に問われたら困る。東の山の四十枚は、会頭に通していない。稼ぎ場を一人で押さえて手柄にするつもりで、無断で先走った金だ。


 成果が出る前に表に出れば、ただの背任だ。特設市の損は勝負の費えと言い張れるが、東の山の四十枚はそうはいかない。


 ゲルツは机の上の、書きかけの紙を見た。


『鑑定士組合メルダート支部御中』


 まだ宛名しか書いていない通報状だ。


 これだ、と思った。


 あの倉庫番さえ潰せば、ギルドの目利きは止まる。安売りは効きはじめる。沢の正体も、その混乱に紛れて探れる。一手で全部、帳尻が合う。


 ゲルツは筆を執り直した。


 通報状の本文を、一気に書き上げた。


『無資格の者が銭を取り鑑定を僭称し、組合の格式と市場の信を乱しおり候。至急、査察の御差遣を願い上げ候──』


 筆を置いて、ゲルツは満足げに息を吐いた。


 組合の犬を一匹、グラナまで連れてくればいい。あとは犬が勝手に噛みつく。


 倉庫番が、組合の徽章を持った本物に、公衆の面前で恥をかかされる。


 それを思うだけで、東の山の泥も、百六十枚の穴も、少しだけ軽くなった気がした。

面白かったら、ブックマークで応援していただけると更新の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ