第16話 大感謝市
商会の特設市は、ひと晩で建った。
市場の北の空き地に白い天幕が六つ。揃いの前掛けの売り子が二十人。天幕のてっぺんでは『バルロ商会大感謝市』の旗が翻っている。
値札を見て、街がどよめいた。
鍋が銅貨三十枚。並の店の半値だ。
剣が銀貨三枚。ガロさんの剣の十分の一以下。
ポーションが銅貨二十枚。塩がひと袋銅貨八枚。布も縄も油も、何もかもが安い。
初日の特設市は、昼前から人で埋まった。
「うわー……すごい人」
買い出しついでに様子を見に来たフィオナが、人垣の後ろで伸び上がった。
「ねえレイ。あれ、どうなの。品物は」
「遠目では何とも。ただ」
「ただ?」
「天幕の張り方は丁寧です。旗も新品です。見える所には、お金をかけています」
「……それ、褒めてないでしょ」
帰り道、フィオナはずっと唸っていた。
「半値かあ。半値はずるいよ。あたしの給金も半値の店で買えば倍になるわけで」
「ならないです。減りが倍になるだけです」
「分かってるわよう。でも安いは正義なのよ、庶民にはさ」
「無理に止めません。買った人が困ったら、相談に来てくれれば」
「……あんた、たまにしれっと腹黒いこと言うわね」
「?」
事実を言っただけなのだが。
◇
商会の使者がギルドへ来たのは、その日の夕方だった。
恭しく差し出された書状を、ミレイユは無言で読んだ。
「『この度、当商会はグラナ地域との取引を拡充し、貴ギルドには特別価格での卸しと、買い取り価格の優遇をご用意し──』」
読み終えて、彼女は書状を机に置いた。丁寧に。とても丁寧に。
「優遇、ですって。三年間さんざん買い叩いておいて」
「お返事は、いかがいたしましょう」
使者は揉み手をした。
「『前向きに検討します』。それだけ伝えて頂戴」
使者が帰ると、ミレイユは書状の端を指で弾いた。
「飴と鞭の、飴の方ね。特設市が鞭。うちの取引の流れを波で押し流して、流された頃合いに飴を差し出す。──元の鞘に収まれってわけ」
「収まるんですか」
「収まるわけないでしょ」
即答だった。
「ただし喧嘩もしないわ。のらりくらりよ。あの安売り、長くは続かないもの」
「原価割れ、ですか」
「あんたもそう視た?」
「剣と鍋は確実に。あの作りでも、あの値では鉄の代金も出ません」
「でしょうね。狙いはうちの販路と、それから沢。向こうは損を承知の体力勝負。焦って動いたら負けよ。みんな、いいわね? 商いはいつも通り。沢には近づかない。ハルバさんへの荷もいつも通り」
◇
翌日、ガロさんの鍛冶場に寄った。
老人は炉の前で、いつも通り槌を振るっていた。
「特設市、見ましたか」
「見るかい、あんなもん」
ガロさんは槌を置かずに言った。
「銀貨三枚の剣が何百本売れようと、儂の知ったことか。ありゃあ剣の形をした別の何かだ。半年で折れて、また買う。また折れて、また買う。──前にも言ったろう。安くてぴかぴかで、半年で折れるやつだ」
「怒らないんですね」
「五十年前から、ああいう商いはあった。五十年経っても、儂はまだ打ってる。どっちが長持ちかって話よ」
槌の音が、一定の調子で鍛冶場に響く。
いい音だった。この音は、半値にはできない。
「それよりお前、面が暗いぞ。──また古巣が何か仕掛けてきたか」
「分かりません。ただ、波が来てるそうです」
「波な」
ガロさんは初めて手を止め、にやりと笑った。
「いい鉄はな、倉庫番。水をかぶったくらいじゃ錆びんよ」
◇
それから十日も経たないうちに、目利き相談の列が倍になった。
持ち込まれるのは、特設市の品ばかりだった。
「この鍋どう? 安かったのよ」
「底の継ぎが浅いです。汁物に使うと三月で穴が開きます。炒り物なら一年は保つので、使い分けてください」
「この剣! 銀貨三枚!」
「芯がありません。薪割りまでにしてください。人前で抜く剣ではないです」
「ポーションは? 子どもの置き薬にと思って」
「三倍に薄めてあります。効きません。ただ、毒でもないです」
俺は気づいたことを、そのまま伝えた。
「塩と布と縄は、いい品です。あれは買いです。安物で差が出るのは、作りに腕のいる物だけなので」
相談の列の後ろの方に、見覚えのある前掛けが並んでいたこともある。特設市の売り子だ。自分の店の鍋を抱えて、順番を待っていた。
「あの、これ、その。身内に贈ろうかと思いまして」
「底の継ぎが浅いです。汁物は」
「三月で穴が開く、ですよね。並んでる間に三回聞きました……」
売り子は肩を落として帰っていった。悪い人ではなさそうだった。
相談に来た人々は礼を言って帰っていく。
そして翌日の特設市では、塩と布と縄だけが売れた。
鍋と剣とポーションの山は、天幕の下で埃をかぶり始めた。
「……ねえ。あんた、自分が何をやってるか分かってる?」
列の整理をしながら、ミレイユが小声で言った。
「目利き相談です」
「商会の大感謝市をね、銅貨五枚で迎え撃ってるのよ、あんたは」
「迎え撃つ? 俺はただ、聞かれたことに答えて」
「うん。知ってた」
ミレイユは天井を仰いだ。
「怖いのはね。あんたに悪気どころか、敵意の一粒もないところなのよね……」
よく分からなかった。
品物は嘘をつかない。俺はそれを伝えただけだ。
売り場の品が正直なら、安売りは何も怖くない。怖がる理由があるとすれば、それは品物の側に嘘があるときだけだ。
◇
特設市の奥の天幕で、売り場頭は十日分の帳面を睨んでいた。
売れたのは塩と布と縄。仕入れ値ぎりぎりに下げた、儲けの薄い品ばかり。
儲けの柱に据えた鍋と武具とポーションは、山と残った。
「なぜだ。半値だぞ」
売り子の一人が、おずおずと答えた。
「その……皆、買う前にギルドへ持っていくんです。銅貨五枚で目利きをする男がいて。『穴が開く』だの『芯がない』だの言われた品は、もう誰も」
「目利き?」
「元はメルダートの商会にいた検品係だとか。今は『鑑定役』とか名乗って、銭を取って視ているそうで」
売り場頭は筆を置いた。
その夜のうちに、報せは先回りしてグラナ入りしていたゲルツの宿に届いた。
ゲルツは報せを二度読み、それから、ゆっくりと笑った。
「……銭を取って、目利き商売、ねえ」
怒りはあった。だがそれより先に、これは使えると思った。
組合の徽章も持たない男が、銭を取って鑑定の真似事をしている。あまつさえ「鑑定役」などという紛らわしい看板まで掲げて。
鑑定士組合が、いちばん嫌う型のやつだ。
「儂が手を汚すまでもない」
ゲルツは新しい紙を広げ、宛名を書いた。
『鑑定士組合メルダート支部御中』
筆は滑らかに動いた。
正義の通報状ほど、書いていて楽しいものはない。
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