第2話 次の街へ
メルダートの東門は、朝からごった返していた。
荷を積んだ馬車の列。検問を待つ商人たち。怒鳴り合う御者の声。
この街の朝は、いつもこうだ。
検品場の小窓からよく聞いていた音を、今日は門の外で聞いている。それだけのことなのに、ずいぶん遠くへ来た気がした。
俺は門の脇に立ち、東へ向かう隊商を探した。
行き先は決めてある。
グラナ。
ここから馬車で四日。交易路の途中にある、後発の街だ。
検品場で働いていたころ、グラナから届く荷は何度も見た。
森の素材。
鉱石。
薬草。
届く品は荒削りだった。けれど数だけは多く、年々増えていた。
伸びている街は、品物を見れば分かる。
あの街なら、人手を欲しがっているはずだ。
◇
「グラナまで? 乗せてやってもいいがな」
白髪まじりの御者頭は、俺を上から下まで眺めた。
「ただ飯は食わせん。荷の積み下ろしと、夜の見張り。やれるか」
「やれます」
「即答か。いい返事だ」
御者頭はバッソと名乗った。馬車六台の小さな隊商で、グラナまで塩と雑貨を運ぶという。
こうして俺は、布袋ひとつでグラナ行きの隊商に潜り込んだ。
◇
街道は、思っていたよりにぎやかだった。
すれ違う隊商。荷を検める関所。道端の小さな祠。
この一帯には大小いくつもの街があり、それぞれが自分の議会と商売を持っている。
偉い王様がひとりいて、全部を束ねている──わけではないらしい。
街と街をつないでいるのは、政でも軍でもなく、商いだ。
荷が行き交い、銀が回り、信用が積み上がる。
だから品物で信用を落とした街は、誰に攻められるでもなく、ゆっくり干上がっていく。
検品場の主任が、よく言っていた。
「俺たちの仕事は、街の看板を磨くことだ」
磨いていたつもりは、なかったが。
悪いものを弾くと、気持ちがいい。俺がやっていたのは、つまるところそれだけだ。
◇
最初の夜営で、焚き火を囲んだ。
干し肉をかじりながら、バッソが訊いてきた。
「あんた、グラナに何の当てがあるんだ」
「冒険者ギルドに。登録だけはしているので」
「ほう。冒険者には見えんがな」
「戦えませんから。素材の仕分けや、品物の目利きを少し」
「目利き、ねえ」
バッソは火に枝をくべた。
「グラナはいい街だ。森も山も近い。出てくる素材は一級品よ。ただな」
「ただ?」
「値段をつけるのは、よその人間だ」
バッソの声が、少しだけ低くなった。
「仕入れも買い取りも、メルダートの大商会が握ってる。グラナの連中は自分の街の薬草が本当はいくらするのか、知りもしねえのさ」
メルダートの大商会。
バルロ商会のことだろう。俺が昨日までいた、あの商会だ。
グラナの荷札は、確かに検品場で何度も見た。あれはそういう意味だったのか。
「まあ、どこの街もそんなもんだ。気にするな」
バッソは笑って、火の始末を始めた。
俺は少しだけ、気になった。
◇
二日目の夜営で、俺は癖を出した。
見張りのついでに、馬車を一台ずつ見て回る。
荷縄の張り。
樽の蓋。
車輪の具合。
検品場の戸締まりと同じだ。ひと通り見ておかないと、落ち着いて眠れない。
三台目の馬車の前で、足が止まった。
右の前輪。留め具の鉄が、嫌な感じに痩せている。
表からは分からない。だが中で錆が進んでいる。強く揺さぶられれば、たぶん次の坂で音を上げる。
俺はバッソを起こした。
「右の前輪の留め具。中が錆びています。替えはありますか」
バッソは寝ぼけ眼で留め具を検めた。それから俺の顔をまじまじと見た。
「……こんなもん、外からじゃ分からんぞ。なんで気づいた」
「気になったので」
「気になった、か」
翌朝、留め具は予備に替えられた。
◇
三日目の昼、長い下り坂に差しかかった。
谷沿いの道で、片側は崖。荷馬車が最も嫌う道だ。
車輪が鳴き、荷縄が軋む。御者たちは口数が減り、馬の足元だけを見ていた。
六台の馬車は、無事に坂を下りきった。
坂の下でバッソが馬を止め、替えたばかりの留め具を撫でた。
「あのままなら、ここで外れてたな。崖の下に塩を撒くところだった」
「荷が無事でよかったです」
「……変わった男だな、あんた」
バッソは笑った。
「普通はまず、自分の手柄だと言うもんだ」
「手柄というほどのことでは。見れば分かることですし」
「見ても分からんから、言ってるんだがな」
よく分からないことを言う人だ。
◇
四日目の昼過ぎ、グラナに着いた。
低い城壁。新しい木の門。門番は若く、検問はあっさりしていた。
メルダートの重々しい石の門とは、何もかも違う。
街の中は、土の道だった。石畳は大通りの半分までしか敷かれていない。
そのかわり、活気があった。
荷車が行き交い、職人が槌を振るい、子どもが駆けていく。普請の途中の建物が、あちこちで骨組みをさらしている。
育ちざかりの街だ。
市場に入ると、俺の足は自然と遅くなった。
薬草の束。
毛皮の山。
鉱石の籠。
品はいい。素材そのものは、驚くほどいい。
ただ、扱いが雑だった。
薬草は日なたに積まれ、せっかくの薬効が飛びかけている。毛皮は重ねすぎて蒸れている。鉱石は泥がついたまま、上物と並物が同じ籠に放り込まれている。
もったいない。
磨けば光るものが、磨かれずに転がっている。
ふと、屋台の一つで足が止まった。
回復薬の屋台だ。『王都仕込みの効き目!』と札が出ている。
並んだ瓶のうち、三本だけ色が薄い。
「……ダメですね、これ」
「あぁ? 兄ちゃん、なんか言ったか」
店主に睨まれた。
「いえ。なんでも」
俺はそそくさと屋台を離れた。
いけない。ここでの俺は検品係ではない。よその店の品にケチをつける筋合いはないのだ。
でも、気になるものは気になる。
◇
市場のはずれで、バッソたちと別れた。
「世話になりました」
「こっちの台詞だ。留め具の礼に、いいことを教えてやる」
バッソは坂の上を指さした。
「ギルドはあの坂の上だ。仕事を探すんだろう? あそこは万年人手不足でな。でかい声の姉ちゃんがいる」
「でかい声?」
「行けば分かる」
◇
坂の上に、その建物はあった。
古い石造りの二階建て。屋根の看板には剣と秤の紋章。
扉の横には、張り紙が何枚も重なっていた。
『人手募集』
『受付係急募』
『荷運び・倉庫整理できる方、急ぎ求む』
新しい紙ほど、字が雑になっていた。
なるほど。相当、切羽詰まっているらしい。
扉の中から、女の人の声が聞こえた。
「だから! 人手が足りないって、何度言えば分かるの!」
……でかい声の姉ちゃん。
俺は布袋を担ぎ直し、扉に手をかけた。
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