第1話 ……ダメですね、これ
商会の検品場は、いつも薄暗い。
窓が小さく、昼でも光が届きにくい。
俺はその隅で、運び込まれた品をひとつずつ確かめていた。
干し肉の樽。
武具の箱。
回復薬の木箱。
今日も、いつもと同じ仕事だ。
樽の蓋を開ける。干し肉の匂いを嗅ぐ。
ほとんどは問題ない。だが、一番下に積まれた数枚に、嫌な感じがあった。
「……ダメですね、これ」
俺は、その数枚を脇によける。
見た目はほかと変わらない。色も、形も。
でも、なんというか、こう、内側から傷んでいく感じがする。あと数日もすれば、表からも分かるようになるだろう。
次は武具の箱。
剣を一本ずつ抜いて、刃を見る。
一本だけ、根元に細いひびが入っていた。使えば、たぶん三度目あたりで折れる。
これも脇へ。
最後に回復薬。
瓶を光にかざす。十二本のうち、二本だけ色が薄い。水で薄められたか、効きが落ちているか。どちらにしても、売り物にはできない。
よけた品を、不良品の棚へ運ぶ。
これで今日の分は終わりだ。
俺は手の汚れを布で拭いた。
地味な仕事だと思う。
誰にでもできる。品物を見て、悪いものを弾く。それだけのことだ。
◇
「リオン……じゃなかった、レイ。ちょっといいか」
声をかけてきたのは、検品場の主任だった。
俺はよけたばかりの不良品の棚から振り返る。
「はい。なんでしょう」
「会頭がお呼びだ」
会頭が、俺を。
検品係の下働きを、商会の頂点が直々に呼ぶことなど、これまで一度もなかった。
主任の顔は、どこか気まずそうだった。
俺は嫌な予感を覚えながら、布を置いた。
◇
会頭の部屋は、検品場とは違って明るかった。
大きな窓。磨かれた机。壁には、商会が扱う特産品の見本が並んでいる。
会頭は椅子に深く腰かけ、俺を見もせずに言った。
「レイ。お前を解雇する」
言葉の意味を、一瞬、つかみそこねた。
「……解雇、ですか」
「そうだ」
会頭は手元の書類をめくりながら続けた。
「新しい鑑定士を雇うことになってな。正式な鑑定スキル持ちだ。等級も、価値も、ひと目で数字に出せる。お前のように、勘で品物をいじるのとは違う」
部屋の隅に、見慣れない男が立っていた。
仕立てのいい服。胸には、鑑定士の証である銀の徽章。
なるほど。あれが、新しい鑑定士か。
「検品など、誰にでもできる仕事だ」
会頭は言った。
「お前ひとりに払う給金も、積もれば馬鹿にならん。新しい鑑定士ひとりで、十分に回る」
「……」
「不満か?」
「いえ」
俺は首を振った。
不満は、なかった。
誰にでもできる仕事だと、俺自身がそう思っている。それを誰がやっても、同じ結果になるはずだ。
ただ、ひとつだけ気になることがあった。
「あの、ひとつだけよろしいですか」
「なんだ」
「今朝の干し肉、一番下の数枚を不良品に回しました。あれは出荷しないでください。あと数日で傷みます」
会頭の眉が、わずかに動いた。
「……何を言っている」
「それと、武具の箱の剣が一本。根元にひびが。回復薬も二本、薄まっています」
「待て」
会頭の声が、低くなった。
「お前は、売り物にケチをつけているのか」
「いえ、そういうわけでは」
「あの干し肉は、北の取引先からの上物だぞ。それを傷んでいるだと?」
「見た目は、確かに上物です。ただ」
「ただ、なんだ」
俺は言葉に詰まった。
なんと言えばいいのか分からない。
傷んでいるものは、傷んでいる。それ以上の説明が、俺には難しい。
「……なんというか、こう、ダメな感じがして」
会頭は鼻で笑った。
「感じ、か」
部屋の空気が、冷えた。
「いいか、レイ。そういうところだ。お前は、正規の鑑定もできんくせに、いちいち出荷の邪魔をする。よけた品の山を見るたびに、こちらは損をした気分になる」
「申し訳ありません」
「もういい。今日限りだ。荷物をまとめて出ていけ」
俺は頭を下げた。
「お世話になりました」
それだけ言って、部屋を出た。
不思議と、悔しさはなかった。
ただ、よけたあの干し肉だけが、少し気がかりだった。
◇
商会を出ると、外はもう昼を過ぎていた。
大通りには馬車が行き交い、商人たちの声が響いている。
俺の手元には、わずかな給金と、着替えが入った布袋がひとつ。
六年いた商会だった。
それでも、出ていくとなれば、持ち物はこれだけだ。
商会に入ったのは、十六の時だった。
ろくな後ろ盾もなく、見栄えのする力もなく。それでも、品物を見て良し悪しを当てるくらいはできた。だから検品場に置いてもらえた。
給金は安かったが、不満はなかった。
毎日、運び込まれる品を見て、悪いものを弾く。
それだけで、暮らしていけた。
さて、どうしたものか。
この街には、もう仕事の当てがない。商会は街で一番大きく、その商会に切られた人間を、わざわざ雇う店もないだろう。
ならば、別の街へ行くしかない。
幸い、俺は冒険者の登録だけはしている。大層なものではないが、薬草採取や素材の鑑定で小銭を稼いだことはある。
素材の良し悪しを見るのは、検品と同じだ。傷んだ薬草を弾き、質のいい鉱石を選り分ける。
冒険者なら、どこの街のギルドでも雇ってもらえるはずだ。
俺は空を見上げた。
夏の日差しが、目に染みた。
よし。
次の街へ行こう。
恨み言を並べていても、腹は膨れない。
会頭の言うことも、たぶん正しいのだろう。検品など、誰にでもできる。新しい鑑定士がいれば、商会は今まで通り回っていく。
俺がいなくなって困ることなど、何もない。
そう思っていた。
俺にできることを、別の場所でやればいい。
布袋を担ぎ直し、俺は街の門へと歩き出した。
◇
その頃、商会の検品場では。
新しく雇われた鑑定士が、運び込まれたばかりの品を眺めていた。
干し肉の樽。武具の箱。回復薬。
彼は徽章を品にかざし、浮かび上がる数字を読み上げていく。
「干し肉、上物。等級B。問題なし」
「剣、鋼鉄製。等級C。問題なし」
「回復薬、標準品。等級C。問題なし」
彼の鑑定は、品の名前と等級を、正確に数字で示した。
それは、この国で「鑑定」と呼ばれる力の、ごく当たり前の働きだった。
ただ、その数字は。
干し肉が内側から傷み始めていることも。
剣の根元に細いひびがあることも。
回復薬が二本、薄められていることも。
何ひとつ、示してはいなかった。
検品場の隅、不良品の棚は、もう空になっていた。
前任の検品係がよけた品は、誰かの手で、再び出荷の列へと戻されていた。
誰も、それを気にしなかった。
いつも品物を弾いていた、あの地味な男は。
もう、ここにはいない。
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