第199話 ダメですね、これ
半日もたたないうちだった。
俺たちは宿を取り、荷を下ろし、それから街の様子を見にまた大通りへ出た。ヴィオラさんは伝手を当たると言って別の方へ行った。俺とフィオナさんは、人ごみをぶらぶらと歩いていた。
大通りのなかほどに、人だかりができていた。
ふつうの人だかりではなかった。取り巻く輪の中で、何か大きな取引が行われているらしい。着飾った商人。その前に、うやうやしく敷かれた黒い布。布の上に、赤い石が一つ。
宝石だった。
こぶし半分ほどの、赤い石。松明の火を受けて、中で炎が燃えているように赤く光っている。まわりの人垣がほうっとため息をついた。
「血玉だ」
「あの大きさ……見たことねえ」
「いくらつくんだ、あれ」
石の前には二人の男が向かい合っていた。一人は石を売る商人。もう一人はそれを買おうとしている、身なりのいい大商人らしき男だ。買い手が革袋を三つ、布の脇に積んでいく。金貨の詰まった、ずしりと重そうな袋だった。
「間違いなく本物の血玉でございます」売り手が朗々と言った。「南の山でただ一つ掘り出された、火を宿す石。これほどの大きさ、この街はもちろん、盟のお蔵にもございますまい」
買い手の男がうなずいた。革袋の口を開けようとする。
俺の目はその石を、もう視ていた。
……ダメですね、これ。
声に出すつもりはなかった。ほんとうに、なかった。ヴィオラさんの言いつけを俺はちゃんと覚えていた。品のことは口に出すな。命がいくつあっても足りない。分かっていた。
でも。
あんまり堂々と、偽物だったから。
赤い石は宝石ではなかった。ただのガラスだ。底に赤い箔を貼って、それらしく色を作ってある。火を宿しているように見えるのは、箔が松明を照り返しているだけだ。中に走った筋も割れ目ではない。型で固めたときの、ただの流れあとだった。血玉なんかじゃない。溶かして固めた色つきのガラス玉だ。──それも、あまり上等でもない。
その偽物に、革袋三つ分の金貨が今まさに払われようとしていた。
放っておけばよかった。分かっている。よその取引だ。だまされるのはあの大商人だ。俺には関わりない。ヴィオラさんも言っていた。黙っていろ、と。
でも口が、勝手に動いていた。
「……それ、ガラスですよ」
しん、となった。
人垣がぴたりと静まった。呼び込みの声も、値切りの声も、一瞬、街の音がぜんぶ消えたようだった。
売り手の商人がゆっくりと顔を上げた。
俺を見た。
その顔から朗らかな笑みが、するすると剥がれ落ちていった。
「……なんだと」
まわりの人垣がいっせいに俺のほうを振り返った。何十もの目が俺に集まる。買い手の大商人も、革袋の口に手をかけたまま、俺を見ていた。
俺はしまった、と思った。
言ってしまった。
「今、なんと言った、小僧」
売り手の声が低くなった。
「もう一度、言ってみろ」
まわりの空気が変わっていた。人垣の外側で腕を組んでいた用心棒くずれが、二人、三人と、こちらへ近づいてくる。売り手の男の連れらしい。俺は囲まれかけていた。またしても。
だが言ってしまったものは引っ込められない。
俺は赤い石を指さした。
「それ、宝石じゃないです。ガラスに赤い箔を貼ったものです。底のところ、光にかざせば分かります。中の筋も割れ目じゃなくて、型の跡です。……血玉なら、こんな筋の入り方はしません」
俺は淡々と、見えたことをそのまま言った。
グラナで、いつもそうしていたように。
買い手の大商人が、はっと石を手に取った。松明にかざす。底を透かす。指で筋をなぞる。
その顔がみるみる青ざめていった。
「……本物なら、こんなに軽いはずが……おい、これは……!」
大商人が石を握りしめて売り手をにらんだ。売り手の顔はもう真っ白だった。言い返そうと口を開き、だが言葉が出てこない。図星だったのだ。
次の瞬間、売り手は身をひるがえした。黒い布ごと石をひっつかみ、人垣を突き飛ばして逃げ出した。待て、と大商人が怒鳴る。連れの用心棒くずれたちが一瞬、売り手を追うか、俺を捕まえるか、迷った。
その隙だった。
「レイ、こっちだ!」
フィオナさんが俺の腕をつかんだ。もう片方の手には、いつのまにか槍。穂先を下げたまま、それでも近づく男たちを目だけで牽制していた。
「行くぞ。ここは、まずい」
俺たちは人ごみに紛れて、その場を離れた。
背中で、どよめきが広がっていくのが聞こえた。ガラスだ。あの血玉、ガラスだったってよ。あの小僧、一目で見抜きやがった。誰だ、あいつは──。
ざわめきは波のように、街の奥へ広がっていった。
路地を二つ三つ折れて、ようやく人目のない軒下に出た。フィオナさんがやっと足を止めた。
「……あんた、なあ」
フィオナさんがあきれたように俺を見た。だがその口元は少し笑っていた。
「言うなって、ヴィオラに、あれだけ言われたばっかりだろう」
「……はい」
俺はうなだれた。
「すみません。……つい」
言い訳のしようもなかった。つい、としか言えなかった。見えたから、言った。それだけだ。グラナなら、それでよかった。傷んだ干し肉を、傷んでますよ、と言えば、みんな、ありがとうと言ってくれた。だからついいつもの調子で。
でもここは、グラナじゃなかった。
考えてみれば、おかしな話だった。
俺はただ、見えたものを言っただけだ。あの石はガラスだった。それは本当のことだ。本当のことを言って、なぜ、あんなに大ごとになるのだろう。
あの大商人は、革袋三つ分の金貨を失わずにすんだ。だまされずにすんだ。感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはないはずだ。──なのにこの街では、それが掟破りになる。
偽物を、偽物だと言ってはいけない街。
みんなが偽物を偽物と知りながら、知らないふりをして、だましあっている街。その暗黙の約束を、俺は破ってしまったらしかった。
そこへ、ヴィオラさんが息を切らせて駆けてきた。
「レイ! あなた、なんてことを──」
もう噂は、ヴィオラさんの耳にまで届いていたのだ。この街の噂は、風より速い。
「聞いたわよ。血玉をガラスだと言い当てたって。人だかりのど真ん中で。……はあ。あれだけ言ったのに」
ヴィオラさんは額に手を当てた。それから俺の顔を見た。怒っている。だがその目の奥に、怒りだけではない何かがあった。
「でもね」
ヴィオラさんは声を落とした。
「あなたのその一言で、今、この街じゅうがざわついてる。……偽物を、偽物と言う人間が現れた。それがどういうことか、あなた、分かってる?」
俺には分からなかった。
ただヴィオラさんの言葉のあとに、なぜか胸の奥がざわりとした。
偽物を、偽物と言う人間が、現れた。
この街に。
その夜、宿の戸を、誰かが、そっと叩いた。
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